第20話 感情論
逃げない、と決めたのになんで竦むか、足!!
化粧直ししつつ、震えるのは手か足かはたまた全身か。
別段なにがあるというわけでもないのに。
いや、あるけれども、いや、ない。
さっきから頭の中はこの問答の繰り返しだ。
知人と夕飯食べに行くだけの話。
世間話して、当たり障りない会話で食事を楽しむ、ただそれだけ。
ってちょっと待って!!当たり障りない世間話ってどんなの!?ってかあたし、これまで男の人とどんな感じで話してたっけ!?
えーっとえーっと。思い出せ、数年前の恋愛を・・って待てー!!参考になんないから古すぎて!
ってもっと待てー!あたし、今から口説かれに行くのか?違うでしょ、早とちり、自意識過剰!
落ち着け自分!!
トイレの鏡の前でぐったりして溜息を吐く。
もーだめだ・・動悸息切れ・・今すぐ有名な特効薬が必要だ。
「はああああー」
盛大に溜息を吐いたら、トイレから出てきた同期の社員がぎょっとなった。
「ど・・どしたの?亜季ちゃん・・・えっらく疲れてるけど」
「動悸と息切れ止める薬ちょうだいー!」
「はあー!?」
素っ頓狂な声を上げる同期に縋りついたところで、佳織の声が聞こえてきた。
「あーきー?いるー?あ、いた・・ってなーにやってんのよ」
「あ、いーとこに樋口!亜季ちゃんなんかご混乱気味なのよー」
「はいはい、引き受けるから。ってか樋口ゆーな。佳織って呼べ」
「なーによ照れちゃってさー」
「照れてない!慣れないのよ樋口って。っていうか、ほら、亜季さっさと準備して。時間もうあんまりないわよ?」
「えーもーやだーいかないー」
「子供みたいなこと言わないの!」
「だってー!」
「だってもへったくれもない!待ち合わせ19時でしょ?もーチークもしてないし・・ほら、ロッカー行こう。荷物持って、食堂ガラ空きだからあそこで化粧直しすればいいわよ」
叱り飛ばして亜季を引きずりだす佳織の足は止まらない。
この後のデートに向けて誰より気合が入っているのは亜季ではなく佳織のほうだ。
ぎゃーぎゃー騒ぎながら連れて行かれる亜季は、売られていく子牛の気分だ。
「あんたたちって仲良いわよねー」
しみじみ呟いた同期に振り向いてそこだけは笑顔で亜季と佳織が一緒に答える。
「まーねー」
佳織の言う通り、定時後の食堂はもぬけの殻だった。
遠慮なくソファスペースを陣取って、久しぶりにきちんとメイク直しをする。
と言ってもメイクブラシを動かすのは佳織で、亜季はもうされるがままだ。
「ここまで来たらもう腹括んなさいよ」
「だってー」
「メール送った時のあんたの強気は何処行ったのよ」
「あれは別人が送ったのよー」
食堂のテーブルに頬をくっつけてぶつぶつ言う親友を見下ろして佳織は呆れた声で言った。
「あーきー!」
「なによう」
「愚痴るのは終わってからにしなさい」
「その突き放し方はなにー?あんたあたしの親友でしょーがー」
「そーよ。意地っ張りで強がりで、可愛げ無くてでも優しいあんたのことが大好きな私だからゆーのよ。他に誰が背中押してやれるっていうの?」
えへんと腰に手を当てて言った佳織に向かって亜季が溜息交じりに笑う。
「・・佳織ー好きよ」
「ありがと、知ってるわよ。ねえ、亜季。別に、丹羽さんを好きになれって言ってるんじゃないの。でも、知る前から却下は駄目。せっかくのチャンスなんだからさ。有効利用しようよ。相良以外の男もちゃんと見た方がいいよ」
「・・・」
「好きになったらひたすらに一直線なのはあんたのいいとこだけど。そのせいで、亜季が幸せになれないなんてのは、私は絶対、ぜっったい許さないから」
一瞬瞠目してそれから目を伏せる。
あんたってほんっと・・
泣きそうなくらい親友が愛おしく思えて、彼女を妻に娶った樋口が心底憎らしい。
亜季は体を起して佳織に向かって手を伸ばす。
「力、分けて」
「うん?」
「頑張って来るから」
「よし、そーこなくっちゃね」
伸ばされた手をしっかり握って、佳織が笑う。
「じゃあ、ほらこっち向いて。その仕事疲れの顔、もうちょっとどーにかしなくちゃね」
「化粧は適当でいいわよー」
「だーめよ!」
「なんで?」
「・・・化粧は女の武器だから」
「ほっほーう。初めて聞いたわ、そんな言葉」
「気合いも入るしね、ほらしゃんとして。仕上げにこないだ買ったグロス塗ったげるから」
「ってあんた、あたしで遊びたいだけでしょー」
いそいそと化粧ポーチを取り出した親友に向かって亜季が呆れた口調で返す。
「いーじゃない。こんなこと滅多にないんだしー。それにほら、丹羽さんがあんたに幻滅して二度目は無いかもしれないんだからさ」
ごもっとも、と頷いて亜季は大人しく唇を差し出した。
★★★★★★
時刻は19時。
駅前の噴水広場前にて。
ロータリーに止まった車の中でひたすらに深呼吸を繰り返す亜季。
その背中を叩いて後部座席で並んで座っていた佳織が笑う。
「はい、頑張って」
運転席から振り向いて樋口も続けた。
「頑張れよ」
これじゃあまるで決戦に向かうようではないか。
ここまで送り届けてくれた樋口夫妻には感謝しているけれど。
「応援しないでよー!」
「だいじょうぶよー、あんたイイ女だから」
「ほんっとにその褒め言葉信用できない」
「こら、ちょっとは自分に自信持ちなさい・・あ、そうだ」
佳織が何かを思い出したようにカバンから小さな瓶を取り出した。
キャップを外して亜季の手首にシュッとひと吹き。
「あ、これあんたのお気に入りの」
佳織がいつも使う香水の香りに包まれる。
持ち物には拘る彼女が、10年近く愛用している香水だ。
「いい匂いでしょー。じゃあ、行ってらっしゃい」
「・・樋口、送ってくれてありがと」
「おー行って来い」
「佳織・・ありがと」
隣でずっと寄り添ってくれていた親友を抱きしめて亜季が呟く。
「楽しんで来てね?」
楽しむなんて、そんな余裕ない。
だから、今はとにかく。
「ひたすら頑張って来るわ」
ドアを開けたら冷たい風が吹き込んできた。
怯みそうになるけど、負けない。
えいやっと気合いを入れて外に出る。
街の雑踏が一気に近くなった。
ドアを閉めて、佳織たちに手を振る。
ここからは、本当に一人。
もうこの間みたいに逃げない、それだけは自分自身と約束する。
走り去る車を見送ったら、タイミングよく背中から声がかかった。
「お疲れ様」
「に・・丹羽さん!!」
久しぶりに顔を合わせた丹羽は、相変わらず穏やかな表情で、ついこの瞬間までドギマギしていた自分が恥ずかしくなる。
あれこれ過剰に考え過ぎていたかもしれない。
「送って貰ったの?」
「え、あ、うん。友達に」
「こないだの、飲み会の?」
確かに丹羽と鉢合わせした会に、樋口夫妻は揃って参加していた。
「ああ・・うん」
頷いた亜季の顔を見て丹羽が呟く。
「そう・・・」
「あの・・えーと・・この間は急にメールしてすいません。お時間頂いちゃって・・ありがとうございます」
山下亜季出来る女仕様の笑顔で必死に言ったら丹羽が面白くなさそうに言った。
「それ、やめない?俺の前で猫被ったってしょうがないでしょ?」
「・・は」
早速出鼻をくじかれて呆然とする。
そう言えば毎回この男とはこんなやり取りばかりしている気がする。
「じゃあ、行こうか」
目を丸くする亜季を促して、丹羽が雑踏の中を歩き出した。
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