第41話 ガラクタの鎧

着ると気持ちがシャンとして、前を向いてちょっと強気になって”やるか!”と気合が入る服。


人はソレを”戦闘服”と呼ぶ。


因みに、亜季の戦闘服は勿論社会人になってからはずっと変わらず”スーツ”がそれに当たる。



☆★☆★



「あっれー、亜季さんスーツ珍しいですね!」


食堂で出会った友世が亜季のグレーのタイトスカートとジャケットを見ながら言った。


お昼を過ぎた食堂は閑散としている。


午後から使う資料を纏めていたらこの時間になってしまったのだ。


野菜あんかけの焼きそばを食べる手を止めて、友世に向き直る。


どうやら彼女は飲み物を買いに来たらしい。


手には紙パックの100%ジュースを持っていた。


いつ頃からか彼女の右手の薬指に華奢なリングが嵌められている事に気づいた。


人気者の彼氏とは順調に交際が続いているようだ。


才色兼備カップルと社内で噂の2人だが、当の本人達はのほほんとしたものだ。


友世が、大久保瞬と付き合い始めた時、陰ながら泣いた独身男性は亜季の知る限り片手で足りない。


勿論、それ以上に泣いた女の子がいただろう。


友世は、見た目もだが、彼女自身の持つ雰囲気も含めて綺麗なのだ。


ただの紙パックのジュースもこうして彼女が持つだけでなんだが上等なものに見える。


得だな、と思う。


大事に育てられてきた箱入り娘ってイメージがぴったり。


決して声を荒げて怒ったりすることは無い、いつも穏やかで優しい女の子。


人に対しても、物に対しても、いつも対応が丁寧だ。


彼女はプリント一枚渡すときでも両手を使う。


こういう仕草にぐっとくる男性陣が多いのだろう。


きっと社内で部下にしたい女性NO.1だと思う。


そんな彼女が小首を傾げながら近づいて来た。


長いまつげが綺麗に揺れる。


「今お昼ですかー?」


「そーなの、ちょっと研修の講師まかされてさ」


「あ、新人研修?」


それでスーツなんですね、と合点が行った様子で友世が頷く。


「大変ですねー」


「持ち回りだから仕方ないけどね」


肩を竦めてみせた亜季に、友世が笑顔を向ける。


志堂本社は新人1年目は2カ月に1度、配属部署ごとに研修が行われるのだ。


仕事の流れを徐々にレベルを上げつつ指導して行くシステム。


約半年かけて、所属部署の大まかな仕事の流れを叩きこむ。


宝飾品というブランドを守っていくために、人材育成には手抜きをしない社内方針が気に入っている。



けれど。


友世がこちらを窺うように声を顰めた。


「朝いちが営業系の研修だったみたいなんですけど・・・四谷課長ピリピリでしたよー」


「やっぱり・・」


予想通りの情報に、テーブルに突っ伏しそうになるのをなんとか堪えて、焼きそばのプレートを端に寄せた。


行儀が悪い事は百も承知で盛大に溜息を吐いてて頬杖をつく。


四谷課長とは、人事部の女性課長だ。


所謂バブル世代を生き抜いてきたキャリアウーマンで鉄の女。


もちろん華の独身貴族。


いつだってビシッとスーツを着こなして、いかにも、なブラックフレームのメガネをかけている。


手にはトレードマークのブランドロゴの入ったカバー付き手帳。


現在の社内人事を完全に掌握しているのはほかでもない彼女だ。


部長や次長はお飾りのおじ様で、実権は全て彼女にある。


そんな四谷の人材育成にかける情熱はすさまじい。


かならず毎回新人研修に顔を出して、内容をチェックしては講師に駄目出しする。


これは通過儀礼と思って我慢するしかないのだが、如何せん彼女の鋭い指摘は胸に刺さる。


正直、新人研修の講師を任された時は断ろうかと思った。(無理は承知で)





「だってあの人同性にめちゃめちゃキツイんだもん!!」



これは先日の電話で岳明に愚痴った亜季の台詞だ。


珍しく泣きごとを言った亜季に向かって岳明が宥めるように返してきた。


「じゃあ、無事に終わったら上手い酒飲みに行こうか」


つまりはご褒美目指して頑張れと言う事だ。


そんな餌に釣られる程安いわけでは決してないが、岳明の言葉が優しかったので泣く泣く頷く。


「頑張っておいで」


そんな一言にキュンとなったのは死んでも内緒だけど。


と、いうわけで、決戦はもう目の前なのだ。






「知ってる、覚悟してるから」


「今朝も備品取りに来たんですけど、佳織さんとやり合いそうになったんです」


「えっ佳織と!?」


「午後から配布予定の研修用ファイル10時までに必要数届けろって無茶言って」


「そりゃ怒るわ」


筋が通らない話しは頑として譲らない佳織だ。


「課長が間に入って11時配布で纏めたんですけど」


「低気圧吹き荒れてるんだ」


そんな事があったなら、益々胃が痛い。




★★★★★★




「前回の研修でも言ったと思うけど、説明文が長い。簡潔にって指示、覚えてるかしら?あと、イメージ図見ながらの説明、ちゃんと練習してきた?」


待ち合わせた馴染みの居酒屋で、四谷の口ぶりを真似した亜季に岳明が苦笑を返す。


「そんな嫌みな言い方すんの?」


「本物はもっと酷いわよ!」


「そりゃー胃が痛くなるね。で、何て返したの?」


「説明分については、極力短文にしてきました。あれ以上短くすると、入社研修の内容と同じになってしまうので意味が無いと思いますが。どうしても、各課との連携と特注関係の流れの部分だけは詳しく説明したくて、イメージ図と流れが分かりにくくなった部分は申し訳ないです」


四谷に言ったそのままを伝えてやる。


「やるねェ」


「腹立つから言い逃げしてやったわよっ」


憤然と言い放った亜季のグラスに名品と名高い日本酒を入れながら岳明が笑う。


「頑張ったね」


「戦ってやったっ」


「うん、でももう当分無いんでしょ?」


「後は最後の全体研修位かな」


ホッと肩の力を抜いた亜季の頭を後ろから腕を回した岳明があやすように撫でる。


半地下の小さな隠れ家的居酒屋のカウンター席。


並んで座る分いつもより距離が近い。


チラッと横目で彼を見たら柔らかい視線が降りてきた。


初めて来た店だし、知り合いに会う心配もないし、いいかと思って岳明の肩に頭を預ける。


「珍しいね」


岳明が呟いて反対の手でグラスを引き寄せる。


「悪い?」


だって今日は戦闘服に身を包み全力で戦ったのだ。


ちょっと位甘やかされたっていいだろう。


と酔った勢いで自分を正当化しつつ肩に置かれた岳明の指先を握る。


「スーツ着て強がって頑張って来たの!」


弱気な自分を押し込めて、意地と根性で作り上げた鎧を身に纏って必死に強くなった。


だから、今日くらい甘やかされたい。


「そうだね」


背中を撫でた岳明が徐に耳元の髪を撫でる。


こちらを覗き込むように視線を合わせてきた。


ちらりと店内に視線を送ってから前髪の上からキスされる。


「俺の前で武装する事ないんじゃない?」


甘やかな視線と共にそんな言葉が返って来て、お酒のせいで回らない頭で呟く。


「今日は帰んないで」


「いいよ。嬉しいけど・・・酔ってるね」


苦笑交じりに岳明が言った。


「お疲れ様」


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