第21話 敵か味方かそれとも恋人か
全身で緊張していますとアピールしまくっていた亜季を、繫華街から少し離れた小料理屋に案内した丹羽は、身構える亜季を口説く事もなく、システム移行の経過報告やら上司の緒方とのエピソードやらと話して、上手く緊張を解いてくれた。
最初は口を付けるだけ、とちびちび飲んでいた日本酒が、料理の美味しさに比例するようにするする喉を通るようになって、すっかり気分も落ち着いてただの飲み会の雰囲気に落ち着いた頃。
「最初は、ヘンな女だと思った」
丹羽が言いだした一言にも、最初は寛大に頷いて見せた。
いい具合に酔っていたせいもある。
「そりゃーそうでしょうよ。あたしもねー、初対面の男の人に喧嘩売ったの生まれて初めて。二度とないわ、あんなこと」
猫を被っても仕方ないと分かったのですっかり口調も砕けてしまっている。
見栄を張らなくて良いというのはこんなに楽だったのか。
今更ながら惜しい事をしたと思う。
きっとこれまでの自分は、色んな事に力を入れ過ぎていたのだ。
肩をいからせて背筋は伸ばして凛として、白か黒かでばかり物事を決めようとしてきた。
それが、29年生きてきた亜季が唯一見つけた強くなる方法だったし、強い自分というのは存外気持ちがよかった。
揺らがない、曲がらない、確固たる自分。
生きてきた自分の道が間違っていたなんて思っていない。
”もしも”なんて考えたらきりがない。
別の未来を願わなかったといえばウソになる。
けれど、それでもこの道を選んだのは自分だ。
転んで泣いて痛くても。
自分で自分を抱きしめてきた。
なくせない過去はもういい。
抱えて行く覚悟も今なら持てる気がする。
そして”強くないあたし”も意外と心地よいものだ。
「怒らないの?」
「怒んないわよー」
「今日は寛大なんだな」
面白そうに言った丹羽が、それとなく亜季の手元から酒を遠ざける。
これ以上飲ませるのは危険だと気づいたらしい。
「あたしは心の狭い女じゃないのよ」
えへんと胸を張ってみせる。
面倒見のよさは佳織にも負けていないと自負していた。
亜季の顔色をちらりと窺って、丹羽が鷹揚に頷いた。
「そりゃー・・・よかった」
「あれ・・・グラス・・」
伸ばした指が空振りして、手元にないグラスに気づいて首を傾げれば。
「そろそろ、ノンアルコールにしとこうか?」
メニューを開いた丹羽がウーロン茶にすればと提案してくる。
自分の酒量はきちんと把握しているし、気分良く酔ってはいるが、帰れない程ではない。
「グーラース」
ジト目で亜季が手を差し出す。
丹羽が笑顔のままで首を振る。
「まだ飲める」
「まだ飲めるとは思うけど、今日はここまで」
「あーのねー・・・あんたにあたしの限界測られたくない。自分のことは、自分が一番よく分かってんの」
「今は、そうだろうね」
「・・これからもずっとそーよ」
きっぱり言い返した亜季の空の手を丹羽がそっと握って来た。
その手が思いのほか冷たくて亜季は少し酔いが醒める気がした。
自分は程よくぬくもって、ほろ酔いでちょっと眠たいくらい心地が良いのに、なのに、どうして彼はこんなに・・・
丹羽が繋いだ手を確かめるように握りしめてから告げた。
「これからの、話をしようか」
「これ・・から・・・?」
「少しずつでいいから山下さんのこと、俺に教えてよ。酒の量もだけど・・好きな物とか、苦手なこととか」
ぱちくり。
音がしそうな位ゆっくりと亜季が瞬きをひとつした。
「知って・・・どーすんの?」
考えずに思った事をそのまま口に出していた。
思考回路はそろそろお休みの時間帯らしい。
あまりにキョトンと尋ねられて丹羽の方が狼狽えたように視線を泳がせた。
★★★★★★
このあどけなさなはなんだ。
結構な勇気を出して握った指先は、気持ちの良い体温を伝えて来る。
それなりに酔っているから振りほどかれないだろうと踏んでいたが、この反応は予想外だった。
ハリネズミよろしく武装していた彼女の砦をどう壊してやろうと目論んでいた自分が馬鹿みたいに思えるくらい。
目の前の亜季は”ノーガード”だ。
その証拠に、繋いだままの手は未だに解かれることはない。
これまでの事態からは想像できない位穏やかで上機嫌で無防備な亜季。
決して酒に弱くない彼女が、実は日本酒だけはあまり飲んだ事がなかったという事実を知らない丹羽にとってこの状態はまさに”うってつけ”だった。
あれほど踏み込みあぐねていた亜季の内側に、多分、今自分は居る。
「・・苦手なことは・・・そのうち弱みとして使うことにしようかな?好きな物は・・喧嘩したときの免罪符代わりに」
「弱みって何よ。・・それに、喧嘩しないってーの。あたしもう良い年した大人よ?上手く躱してみせるわよ」
ふんっと強気に言ってのけた彼女の爪の先をそろりと撫でた。。
綺麗に整えられた丸みが、亜季の一部だと思うと嬉しくなる。
頬杖を突いてほんのり染まった頬を覗き込めば、真っすぐ見つめ返されて、逆にバツが悪くなった。
「それは、正しい大人のお付き合いかもしれないけど」
「そーよ」
「そういうくだらない迂回路取るのやめてさ。ちゃんと、喧嘩しよう。少なくとも俺は、好きな相手とはちゃんと理解し合いたい。だから、教えてよ。・・・何が好き?」
「・・・・えー・・っと・・それは・・・どーゆ・・・う意味?」
迷うように紡がれる言葉は、亜季の戸惑いをありありと伝えて来る。
指先を絡ませていることにも気づかない位、狼狽する彼女は初めて見た。
「いま此処でその質問?」
結構本気で口説いているのだが。
有難い事に、営業所内でも、取引先でも女性に好かれることが多い。
仕事柄穏やかに接するように意識はしているせいもあるけれど、大抵の女性たちは丹羽が微笑めば嬉しそうに頬を染めて好意的な態度を返してくれる。
そうじゃない態度を取られたのは、亜季が初めてだった。
当然、こんなに必死に追いかけた相手も一人だけ。
自分から名刺を押し付けたのも初めてだし、ここまで時間を掛けたのも初めてだった。
だから、少しだけ、意地もあった。
「え・・だって・・・ちょっと・・」
「わかんない?」
「・・あの・・」
「俺、本気で口説いてるのに」
ぱちぱちと二度ほど瞬きを繰り返して、亜季がこくんと頷いた。
「はい」
嬉しいとも嫌だともいわず、ただ受け止めるだけの返事。
「ひょっとして・・困ってる?」
「・・困るほど頭回って無い」
むうっと眉をひそめて返って来た言葉に、日本酒を止めるタイミングを間違ったことに気づいた。
「もうちょっと早く止めれば良かったな」
綺麗に空になったグラスを見て今更ながらに後悔する。
「とりあえず、返事は?」
それでも、酔った勢いでも何でもいいので言質だけは取っておきたかった。
今後の為に。
「へ・・返事もなにも・・・」
「俺、悪くないと思うよ?」
「・・や・・安売りしないで・・売れないホストじゃあるまいし」
溜息交じりに亜季が言った。
「安心していいよ。他ではしない」
というか、これまでもしたことが無い。
顔を赤くして告白された事なら片手では足りないし、自分に好意を持ってくれている相手は分かりやすいので、口説く前にするりと手の中に堕ちて来るので。
けれど、目の前の彼女だけは、どうやって言葉を尽くせばこっちを向いてくれるのか未だに分からない。
誠実に向き合うだけでは永遠に駄目だという確信以外、何も。
「へ・・へんな女とか言っときながら調子いいこと言ったって・・」
無意識だろうが、きゅっと唇を尖らせて睨まれると、色んな感情が一気に押し寄せて来た。
しどろもどろに言う亜季の唇を堪え切れなかった丹羽のそれが塞いだ。
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