第119話 欲張りmajesty

摘みたてハーブのフレッシュな香り。


ナチュラルシャボンとグリーンの香り。


「んんー・・選べない・・・」



☆☆☆


休日の夜、早い時間帯から飲みに出かけて、月曜の朝に響かないように帰宅する。


寄り道はコンビニが定番。


結婚生活が始まって以来、ほぼ隔週で続いている習慣。


今日は少し足を伸ばして、駅前の大型ドラッグストアまで散歩がてら寄り道した。


そろそろシャンプーが無くなりそうだった事を、いつもの店の小さなテレビを見ている時に思い出したのだ。


色彩豊かな花々の中で、うっとりと微笑む人気女優が長い髪を風に靡かせる、シャンプーのCMだった。


忘れないうちに、と店を出る前に丹羽に言って、寄り道する事にした。


徒歩圏内に何でも揃うのは本当に有難い。


スーパー、コンビニ、銀行のATM、ドラッグストアに、本屋。


電車に乗らずともすべて事足りてしまう。


20時すぎのドラッグストアは閑散としていて人も少ない。


平日の帰り道に思い出せればいいのだが、その可能性は極めて低いので、覚えているうちに買っておかなくてはならない。


のだが、シャンプーのコーナーにいざ来てみると、あまりに種類が多すぎて迷ってしまう。


迷うなら、定番の詰め替えを買って帰ればいいと思うのだが、次々発売される新商品が気になってしまうのだ。


ノンシリコン、オイルシャンプー、ボタニカル。


枝毛補修、カラー補整、しっとり、サラサラ。


ボトルもシャンプーが入っているとは思えないようなお洒落なものがいくつもある。


曲線が優美なキャップタイプに、クリスタルのような青い透明のポンプ式、香水瓶のようなころんと丸いデザインボトル。


可愛らしい動物モチーフなんてものまである。


見れば見るほど迷ってしまう。


ひとり暮らしの頃は、とっかえひっかえその時の気分で気になるものを選んでいた。


が、結婚してからはちょっと違う。


丹羽も一緒に使うとなると、匂い選びがより慎重になってくる。


どうせシャンプーしか使わないし、なんでもいいよ、と本人は言うのだが、自分の夫が、ただでさえ見目が良くて、取引先でも人気の営業マンの夫が、爽やかな笑顔でカッコイイスーツきて、お花の匂いさせてたらいやでしょ!?


そこは、妻として、しっかり夫の威厳も守りたいところなのだ。


香水をつけるので、さして気にならないかもしれないが、それでもやっぱり、見た目にそぐわない匂いは纏わせたくない!


ぐっと拳を握りしめて、誰にともなく訴える。


もちろん天からの声なんて聞こえて来る筈がないので、勝手にそこは脳内再生。


”よきにはからえ~”


はい、神様!仰せのままに!


決戦に挑む武将のような表情で、掴んだシャンプーボトルを睨み付ける亜季。


シェーバー見て来る、と側を離れた丹羽が、戻って来ても微動だにせずに固まっている妻に、恐る恐る声を掛けて来る。


「亜季・・まだ迷ってるの?」


インスピレーションで買い物する事が多いので、うんうんひとつのものに何分も迷う事がまずない亜季が、色も形も違うボトルを手に、必死に唸っているのは、かなり滑稽だろう。


しかも凄まじい形相で睨み付けているのは、シャンプーボトル。


「俺、拘りないからどれでも・・」


「それじゃダメなのよ!そこは拘る所なの!岳明はよくてもあたしがだめ、それだけは譲れないの!これはもう、妻の権利で義務で、責任、使命だから」


「・・そんな大仰な買い物じゃないと思うけど・・」


いったい何十万円の買い物をする気なのか、と丹羽が呆れた表情になる。


たかが千円するかしないかのシャンプーボトルで何が権利かと普通なら思うだろう。


けれど、亜季にとっては死活問題だ。


どのシャンプーボトルを掴み取るかで、妻としての真価が問われる、ような気がする。


だから、これは絶対に負けられない戦いだ。


あんたには一生、きっと逆立ちしたってわかりっこないわ!


イケメン旦那を捕まえた妻の苦労なんてね!


まあ、丹羽がこくこく頷いて、そうだよな、俺もそう思うよ、と共感して、亜季の気持ちを分かってくれても困るのだが。


カッコイイ旦那のかっこよさを守るのは、家庭を守る良妻の誇りを守るも同義。


だれにもどこにも恥じない、胸を張れる選択を!!


とにかくここは譲れない。


亜季だけの戦場なのだ。


両足で踏ん張って、さあどっちだ、とボトルを睨み付ける。


「親の仇じゃあるまいし・・」


「親の仇なら、3秒も迷わないからね!睨み付けて即座に切って捨ててるから」


「・・そういう問題なの・・?」


「いいから、とにかく黙ってて、気が散るから」




ぴしゃん、と跳ね除けた自覚があった。


なのに、隣から聞こえて来たのは相変わらず穏やかな声。


と同時に、両手からシャンプーボトルが消えた。


「えーっとさ、そんなに必死になる必要ないんじゃない?亜季がどっちもいいなと思ったんだろ?じゃあ、どっちか、じゃなくて、どっちも」


「・・・は?」


亜季の中に全く存在していなかった角度から飛び出した解答。



絡まった糸を必死に解いていたら、横からハサミでじゃっきんとカットされてしまったような。


まさに呆気に取られる幕引きだった。


ハーブ系のシャンプーは、洗い心地がすごく良くて、清涼感がある。


少し匂いがきつい気もするが、湯上りの香りの良さはピカイチだ。


シャボンは良い匂いの定番で、これを嫌う人はいない。


面白みがない香りだけれど、そこにグリーンフローラルが加わると、ぐっと華やかになる。


しつこい香りでは無くて、通り過ぎた後にふわっと残る紛れもなく良い香り。


どっちもすごく好きな香りだった。


どっちもきっと丹羽に似合う。


だから、頑張って選ぼうと思ったのに。


ハイ、決定、とカゴに2本のボトルを放り込んだ丹羽が、トリートメントどうするの?と尋ねて来た。


美容室で定期的に買っているアミノ酸配合のトリートメントは、一日おきに使うスペシャルケアだ。


日常使いするなら、ラインで揃えてしまいたい。


「あ・・一緒に買う・・」


「じゃあ、そっちも両方買って帰ろう」


「・・・その答えは無かったー・・・過っても無かった・・」


「だから、大袈裟だって・・うちのバスルーム狭くないし、シャンプーボトルが増えたって、大したこと無いだろ?化粧品はいくつあってもイイとか言うくせに、なんでそういう所だけ選択肢狭めるかなぁ・・・」


「よ、より良い方を選ぼうとしただけです!」


「今現時点で、どっちもより良いんだから、使ってみたらいいじゃない。こんなの贅沢のうちに入らないよ。ほら、トリートメント選んで」


「贅沢っていうよりね、夫の為に、良い妻を目指すっていう野望がね・・」


「うん、俺の事考えてくれてるのは分かってるよ」


「え、そうなの!?」


「だって亜季は匂いに煩い」


「・・・」


「俺が香水変えてもすぐに気づくし、タバコの匂いが混ざってても気にするから。これも、一緒に使うものだし、余計悩んだんだろ?」


くっそう・・見事にばれていた・・・


チューブタイプのトリートメントは、スムースを選択。


短い髪なので、しっとりした指どおりより、サラサラする方が好きだ。


「お見事って拍手とかしたほうがいい?」


「手放しで称えてくれるならね」


「それはやだ」


子供のように膨れたら、頬を突かれた。


丹羽が呆れたように笑う。


しょうがないなぁ、とその顔に書いてある。


この優しさに、いつも許されて来たんだと改めて実感する。


「両方バスルームに置いて、気分で好きな方使えば?日によって選べる方が、楽しみがあっていいだろうし」


「・・・」


「それに、亜季が迷う位好きな匂いなら、きっと俺も好きだよ」


さらりとこういう事を言ってのける所が、本当に憎たらしい。


本人全くの無自覚で、本心だから、尚更、性質が悪い。


あー結婚してて良かった。


これを昔の女に言ってたと思ったら腹が立つけど、そこはもう大人なんだから、割り切るしかない。


あたしにだって、それなりに・・・それなりに、多分ある。


丹羽比べたらぺらっぺらの恋愛遍歴を振り返りそうになって思い止まる。


ついでに、湧き上がって来た嫉妬の焔も胸の奥底へ。


「そういう口説き文句は家でお願いできます?」


肩を竦めてみせたら、丹羽がクスクス忍び笑いを漏らした。


精一杯の強がりを見抜かれたようで悔しい。


「家でも外でも、こんな事、亜季にしか言わないよ」


「・・・そうねぇ。そうでないと困るわ」


これ以上格好つけると、後で取り返しのつかない事になるので、ボールを投げたら即時撤退だ。


「今日はあんまり飲んでないし、休憩しなくても平気かな?」


「なにが?」


「帰ったら、一緒に風呂入ろうか。髪、洗ってあげるよ」


にっこり微笑んで、誘いかけて来る笑顔に後ろ暗いところはどこにも見当たらない。


けれど、亜季は知っている。


この笑顔にほだされて頷いたら、翌日が平日であっても手加減して貰えない事を。


さあ困った、と次の一手を考えているうちに、カゴを持ち上げた丹羽が、反対の手で亜季の手を握りしめた。


「とりあえず、我が家に帰るよしようか、奥さん?」


はい、旦那様!とは言えずに亜季は目を泳がせながら頷いた。

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