第118話 call me

「あ、大丈夫みたい・・一件落着だ」


自動販売機の影に隠れて、王子様の逆鱗に触れた噛ませ犬が撃退される一部始終をこっそり盗み見していた亜季は、走り去る3人娘が消えた後で、そっとその場を離れた。


デバガメに付き合う事になった佳織が、後ろを歩きながらあの子が浮気相手だったんだーへーえ、若いって怖いもの知らずだわーと呟く。


「いやー今回はちょっとハラハラした。相手が平良だし、ファンも多いし変に逆上した子達が派手に動いたらどうしようかと思ったけど、上手く行ったわ」


平良相手に取っ組み合いは無いだろうが、大袈裟に泣き喚いて騒ぎを無駄に大きくして、被害者に成りすます可能性も懸念されたので、騒ぎを聞きつけた時点でいざという時フォローに回れるように後を付けて来たのだ。


時間帯が昼休みで本当に良かった。


「たっかい手数料で売りつけといてよく言うわ」


佳織が呆れた顔で言い返してくるが、亜季は当然ですと開き直る。


時には役員も情報を買いに来ると噂されている志堂の女帝として名を轟かせている亜季の元には、様々な噂話が持ち込まれる。


亜季自身が聞きだしたものも勿論あるが、大抵は工程管理を訪れた社員が漏らした話の裏を取る形で掴んだ情報ばかりだ。


今回やってきた平良が求めた情報は、祥香との噂話を広めた人物の名前だった。


そこに上乗せする形で、彼にとって恐らく最強の切り札となるトップシークレットを買わせた。


社内で金品のやり取りはご法度なので、大抵映画のチケットやら飲み屋の割引券と交換なのだが、今回は有名ホテルのペアエステ優待券というかなり高額な取引となった。


平良的には貰い物の横流しなので懐は痛まないし、亜季は自分へのリッチなご褒美が手に入ってウィンウィンだ。


便乗する佳織も然り。


「相応の見返りってやつよ。あのネタ、ほんとは出すつもり無かったもん。そのうち遠回しに釘は刺そうと思ってたけどね、旦那の方に」


「3年目の浮気だからって調子に乗るなって?」


「んー」


「ほんっとあんたはお節介」


「だってさー話聞いちゃったら見て見ぬふり出来ないでしょ?」


浮気相手の妻から泣きつかれたのは先月の事だった。


なんか話入って来ない?絶対本社の女と浮気してんのよ!と同期である販売員から相談を受けた亜季は、出来るだけ情報を集めてみるとお茶を濁しつつ、精力的に各課の動きを探った。


すぐに目ぼしい女子社員の名前が挙がって、あっという間に裏も取れた。


というのも密会場所に使っていた会議室から出て来る所を見ていた社員がいたのだ。


まず旦那に事情聴取して、どうにか収まるなら、何も無かったと報告して安心させるつもりだったのだ。


思わぬ所で相手の女子社員と関りを持つ平良から協力要請が来たので、乗っかる形で対応させた。


亜季としても、表立って動くのは面倒だし、目立つことは極力避けたいのだ。


「そういう性格だから、何でもあんたのとこに集まって来るのよ」


男っぽい性格の癖に意外な程面倒見がよくて身内に甘い亜季を知っている佳織は、やれやれと苦い顔で肩を竦めた。


「でもほら、おかげで幸せなカップルは守られたし。あの子達も反省するだろうし、火遊びの浮気なら鎮火するだろうしさ」


浮気という単語に良い思い出の無い佳織が、この話題はお終いと天井を仰いだ。


「・・・だといいけど。まあ、あの場合男が出て行くのが正解よね。火種は自分だもの。ああいうのは男がしっかりしてないから駄目なのよ。平良は人当たりが良すぎるって前から思ってたわ。本人無意識に思わせぶりな態度取り過ぎなのよ。加えてあの見た目でしょ?勝手に逆上せがる子が出ても無理ないわ」


「まあねぇ・・その上選ばれたのが、全くノーマークだったぽっと出のシンデレラじゃ、周りも納得しないかぁ。平良がシステム配属されてから、毎年部署異動の希望が後を絶たないって人事課長も嘆いていたわ。あの子、今井さん?と最初の噂が立った時点で、人材不足なら雑用でも何でもするから異動させろって直談判して来た子もいたみたい。極めつけがコネ使って裏で取引持ち掛けて来た社員もいたらしいよ」


「げ・・そんなに・・?」


独立機関であるシステム部配属で、且つ派遣社員の今井祥香は知らないだろうが、亜季の知る限り平良の社内での人気ぶりは凄まじいものがある。


愛想の良さと、フットワークの軽さに加えて、定期的に連れ歩く女性が変わっても、不思議と嫌悪感を抱かせない。


むしろ、次は私がと名乗りを上げる女子が後を絶たないのだ。


手を伸ばせば届くと思わせる親近感が常に平良にはある。


「年々うちのイケメンは売れていくからねー。本気で落とすなら、入社1、2年目でがっつり捕まえとかなきゃ駄目だわ」


「・・なんであの子が、って思った時点でもう負けてるのにね」


過去の片思いが頭を過って呟くと、佳織が一瞬目を丸くした。


「やだ、亜季。あんたもそんな風に思ってたんだ」


「そりゃー思うよ。自分より若くて可愛い子選ぶのは当然だけど。やっぱり嫉妬はしちゃうでしょー」


「・・安心したわ」


「え、呆れるでなく?」


「だって、あの頃あんたそんな素振りちっとも見せなかったし。暮羽ちゃんに嫌味のひとつも言わなかったから。こんな綺麗に割り切れるなんて、どんな忍耐力よって思ってた」


「見栄張ってたのー」


「なにそれ、言いなさいよ」


「言ったら金メッキ剥がれるでしょ」


「私の前で格好つけてどうすんのよ」


「佳織の前だから、胸張っていたいってのもあったのー。親友にまで見放されるようじゃあ、女が廃る的なね」


「そんな格好良さ、要らないわよ」


「ん・・そうだよね・・分かってる」


「あそこであの子達がぎゃーぎゃー騒ぎ始めたら、割り込んでた?」


「あたしが動かなくても佳織動いたでしょ?」


「亜季が動いたら、仕方なく首は突っ込んだかもしれないけど。危なっかしい事しないように会社であんたを見張るのが私の役目なんだか、しょうがないわ」


「え、何それそんな役目あるの?嘘ー初耳だー」


「丹羽さんから頼まれてるのよ。私の言う事なら亜季は聞くからって」


「うう・・痛い所突かれてる」


「よく見てると思うわ、亜季のこと。駄目な所も、良い所も。素敵な人選んだと、誇りに思ってる」


「胸張っていい?」


茶化すように訊いたら、佳織が良いわよと笑った。


「けど、調子に乗らない様に」


「素っ転ぶからって言いたいんでしょー?」


「そうよ。助けるの、私しかいないんだから」


「転ばないってか、転べないよ。あんた巻き込んだら樋口にしこたま叱られる」


「巻き込まなくても転んだ時点で紘平は怒るわよ。亜季はすぐ無茶するってのが我が家の共通認識なんだから」


「それは分かってるけどー・・・無茶したくなる時もあるでしょ?」


「だから、そういう時は呼びなさいつってんのよ」


「今日みたいに?」


「・・・今日みたいに」


顔を見合わせてクスクスと声を潜めて笑い合う。


入社した直後の大立ち回りの後も、こんな風に顔を寄せ合って笑い合った。


物凄い力強い味方が一人いる。


それだけで、これから社会人としてやっていけると確信が持てた。


それが、今は、佳織だけじゃない。


心強い味方は、有難い事に増える一方だ。


「ちょっとあんたたちー!っていつ突入するかとハラハラしたわ」


「んー実は結構迷ってた」


「知ってたわよ。迷って足踏みして、じりじりしてるのも気付いていた」


「やっぱり?」


そのまま今井祥香が立ち尽くして、周りが黙ったままなら、多勢に無勢を見過ごせないと思っていた。


「でも、出る幕無かったわね」


「いい同僚が居て安心した。あの場面で、どれだけ今井さんが言い返しても、相手は逆上するだけだったろうし。平良だけじゃなく、周りからも大事にされてるんですよって事実が一番ああいう場面では利くのよ」


「とどめの一発は、王子様が食らわせてたけどね」


「温厚な平良が怒るとこ初めて見たわ。普段優しい人程怖いってほんとだった。笑顔で槍の雨降らせるタイプだよアレ。敵に回したくないわー」


「あんたも同じこと思われてるわよ。女帝様」


「って事は、佳織も同じ扱いだからね。ちなみに最近の佳織の異名は、ヘラ様だから」


「誰がゼウスの嫁よ!?」


「紘平が、上司の誘い断る時に、うちの佳織が~って言い訳に使ってたらしいわよ」


「あの樋口が必死に機嫌を取る相手は、佳織しかいない、だから最強無敵のヘラ様」


「嬉しくない~あの馬鹿男は~!!」


「いいじゃん、紘平が唯一頭上がらない相手ってあんただけなんだから」


天上天下唯我独尊の樋口紘平が、終始気にかけてご機嫌伺いたがるのは、きっと一生佳織だけだ.


佳織がそばにいないと朝が来ないと、彼が本気で訴える自信が亜季にはある。


顔を真っ赤にして憤慨する佳織の肩をまあまあと宥めつつ、ほんとの所は一部の人間が知ってればいいじゃんと笑う。


「女帝だろうがヘラだろうが、親友が居て、旦那が居るんだもん。怖いものないでしょ?あたしは自分を曲げられないし、そういうのを分かってくれてるあんたと、樋口と、相良達同期と、岳明がいてくれるなら、それでいいわ」


文句ある?と上から尋ねれば、佳織が亜季の掌をぱしんと小気味よく叩いて笑った。


「あるわけないでしょ。上等よ!」

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