第117話 I don't want to leave you
どうしても手放せないもの。
愛用のリップ、お守りのネックレス、それから、お気に入りのブランケット。
「ちょっと亜季、まだこれ使ってんの!?」
リビングに通すなり、佳織がソファに放り出されているお馴染みのブランケット見て、驚きの表情を見せた。
お互い、みっともない所も、馬鹿みたいな所も、強い所も弱い所も洗いざらい晒しあって来た、家族同然の親友なので、掃除機とモップでさらっと掃除しただけで、ざっくばらんに置かれている日常アイテムはそのままの状態でいらっしゃいませをした亜季は、毛玉まみれの古びたそれを指差す佳織に、あーそうなの実はーと苦笑いを浮かべた。
「いい加減捨てなさいよ、貧乏くさい!!何年使ってんの!?入社した年のやつだから7年・・・8年・・」
「数え無くていい!来客があんただから放置してただけで、これが丹羽のご両親とかだったら、綺麗に片付けて隠してるから!」
指を折り始めた佳織の前から隠すべく、抱え込んで丸めたブランケットをぺいっと寝室に放り込んでしまう。
「物持ちがいいのはいいけど・・・あんな毛羽立って買った時の半分の分厚さになったブランケットなんて、もうブランケットじゃないでしょう。
まさか、亜季、あんたあれベッドに持ち込んでるわけ!?」
「た・・たまに・・・?」
視線を逸らして口笛でも吹きそうな軽口で答えたら、更に佳織が愕然とした。
綺麗に嘘を見抜かれたらしい。
「嘘でしょ!毎日使ってんの!?」
「ま、毎日じゃないってば、ソファに置いて、時々包まってるだけで」
「やっぱりほぼ毎日使ってるんじゃないの!信じられないわ・・・手触りが生きてるならともかく、あんな布切れ同然と化したブランケットを」
「ちょっとー失礼なこと言わないでよね。ちゃんと使えます。
包まるとなんか安心するし」
「あんなぺらっぺらで!?ちっとも温もらないでしょう!?」
「別に寒さ対策ってわけじゃあ・・もっと分厚いちゃんとしたやつもあるし、岳明もいるし・・っ」
ちゃんと新婚生活に合わせてそれなりに小洒落たブランケットも新調した。
ソファに座る時は、大抵隣に丹羽がいるので、そうそう寒さを感じる事はない。
何もかも知り尽くした親友の誘導尋問というのは恐ろしい。
ついうっかりソファでのイチャイチャを漏らしそうになって踏み止まる。
が、踏み止まったと思ったのは亜季だけだった。
生温い視線を向けながら、佳織がふーんとからかうような声を出す。
「あーそう。二人きりの時は、ひっきりなしにこのソファでイチャイチャしてるんだー」
「ひっきりなしじゃないわ!それはあんたの方でしょうが佳織!こないだ旦那がウチに引き取り来た時に、最近疲れる度に髪洗え髪乾かせって甘えて来るってデレデレの顔で惚気てたわよ~!佳織は年度末まで忙しいんだから、疲れさせる程励むなって突っ込んどいたけどね、ご馳走様!」
ついでに言うと、髪乾かしてやった後は寝るまで添い寝しろって煩くてさー、タバコも吸いに行けねぇんだよ、と仰っていたのだがそこは、優しさで伏せておいてやった。
「ちょ、あの馬鹿男!なにをそんな・・じゃなくて!私の事はいいの、いまはあんたの事言ってんだから!
そもそも丹羽さんはボロボロのブランケット使ってて何も言わないわけ!?」
向けられた矛先を捻じ曲げて亜季の方へ戻しながら佳織が尋ねる。
「気に入ってるならいいんじゃないって言ってたー」
「えええ、ちょっと、それ絶対気を遣ってるわよ」
「でもこれがいいのよ。落ち着くんだもん」
「じゃあ、また新しいの贈ってあげるから!プレゼントした私が捨てろって言うんだから、捨てなさいよ!」
「いくら贈り主の言葉でもちょっと承れませんー。愛着あるのー」
唇を尖らせて、入社した時から一緒だからさ、と呟けば、佳織が嘆息して腕組を解いた。
入社一年目の誕生日に、佳織が亜季にプレゼントしてくれたブランケットは、いつも亜季と共にあった。
仕事で大ポカやらかした時も、先輩社員に打ちのめされた時も、飲み会で失敗した時も、失恋した時も。
もう、亜季の社会人人生の全てを見て来たいわば相棒のような存在なのだ。
捨てろと言われたってはいそうですねと頷けるわけがない。
亜季の性格をよくよく理解している佳織は、説得を諦めて、別の提案をして来た。
「大事にしてくれるのは嬉しいけど、折角の新生活なんだから・・って、言っても無駄かー。新しいのが欲しくなったら私に言いなさいよ。今度は10年使える丈夫なやつ、贈ってあげるわ」
「その提案なら、乗るわ。気が向いたらちゃんと教える」
「ぜひそうして。ほんっと、気に要るとずっとおんなじのばっかり使うんだから・・」
★★★★★★★
「ただいまー・・まーた包まってるのか」
昼間佳織が遊びに来るってー、と聞いていたので気を遣って午後から休日出勤をして時間を潰してきた丹羽が、リビングのソファで丸くなっている亜季に笑いかける。
贈り主の許可を得た(ぶんどった?)ので、心おきなく使用できる。
「おかえりー、仕事お疲れー。佳織が持ってきてくれたトマトシチューが大量にあるから、晩御飯それねー」
「有難いね、彼女は何時ごろ帰ったの?」
「30分位前に、ゴルフ帰りの旦那が拾いに来たわ。お土産に、プリン貰ったからデザートはそれねー」
「そっか。久々にゆっくりできた?」
「うん。平日だとお互い仕事持ちながらの電話とスカイプで落ち着けなくって。休憩もすれ違ってたから、ちゃんと近況報告しあえて良かった」
「良かったね。なんか、朝よりリラックスした顔してる」
「そうー?これに包まってる時のあたしは大抵リラックスしてるでしょう?」
どれだけ薄っぺらくなろうと、毛玉が出来ようと、手触りが悪くなろうと、この子がくれる安心感には代えられない。
始まったばかりの新生活で、新居に慣れていない亜季にとって、このブランケットに包まれている空間だけは、自分のテリトリーだと思えるのだ。
丹羽が長年暮らしてきたこの部屋に、文句を付けるつもりなんてさらさらないが、慣れない部屋なので居心地だけはどうしようもない。
あの部屋でこのブランケットに包まっていた時間の方が、丹羽と過ごしてきた日数よりも、もっとうんと長いのだから。
「そのうちそれ無しでも、そういう顔見せてくれると嬉しいんだけどな」
「あ、もしや、岳明もこのボロボロのブランケット捨てた方がいいと思ってる!?」
「そんな事ないけど、なんか言われた?」
「佳織に見つかって、いい加減処分しろって言われた」
「贈り主から言われたのか」
「気を遣ってるなら、新しいの買ってあげるとまで言われて」
「え、それで頷いたの?」
「そんなわけないでしょ。そのうちっつっといた」
「・・なんか、亜季らしいよ」
「でも、佳織には、岳明も内心呆れてる筈だって」
「これが無いと困るってものは、誰にでもあるだろ?亜季が要らないと思うまでは使えばいいと思うけど・・・それに、俺がいる時はあんまりそれの出番ないみたいだし」
茶化すように微笑まれて、思わず赤くなった頬を引き上げたブランケットで隠した。
確かに言われてみればそうだ。
このブランケットは、一人でソファでゴロゴロする時以外、この家に来てからあまり出番がない。
そもそもこれまでの生活では、堪った鬱屈を吐き出す時に頭から被ってやり過ごす事が多かった。
だって誰も聞いてくれる人なんていない。
涙も、愚痴も、後悔も、そして多分鼻水も、吸い込んで来てくれたんだろう。
そう思うと、尚更愛おしさがこみあげて来る。
隣に座った丹羽が、そっと肩を抱き寄せてくる。
こうなるとブランケットのお役目は終了だ。
今は、仕事の愚痴も悩みも、日常のちょっとした出来事さえも共有し合える相手がいる。
そして、受け止めて亜季に答えやヒントをくれる。
するりと肩から滑り落ちたブランケットを軽く引っ張って、ごろんと遠慮なく丹羽の膝に横になる。
下から見上げた丹羽の顔が、一瞬驚きを浮かべて、すぐにとろんと柔らかくなった。
あ、受け入れて貰えたんだな、とその顔で確信する。
「亜季は、佳織さんと会った後は、いつも俺に甘えて来るな」
「え、そう・・かな?」
起こしかけた頭をやんわりと膝の上に押し戻される。
ついでに頬にかかった短い横髪を優しく梳かれた。
「いつも入ってるスイッチがオフになるんだろうな・・佳織さんの前だと、亜季は精神年齢が下がるから」
「うわーやだ、それ、嬉しくない」
女同士集まると女子高みたいなノリになるのはいつもの事だが、精神年齢は保ちたい。
あ、でもさっきも子供みたいな口喧嘩もどきしたな・・
全否定できずに難しい顔になった亜季の頬をつついて、丹羽が笑う。
「良い事だよ。自由になれる場所はいくつあっても困らないから」
「ん・・自由過ぎてごめん・・家の事なんもやってない」
「明日も休みだし、掃除なら俺もするし、洗濯は今日のうちに回して、乾燥機にかけておこう」
「完璧すぎるフォローをどうも」
「完璧ついでに、明日の朝のパンも買って来たけど、後で見る?」
「わー・・もう何も言う事がない」
「だから、今日はもうスイッチはオフのままでいいんじゃない?好きなものに囲まれて、好きな事だけすればいいよ」
優しく前髪を撫でられて、胸の奥がきゅうんとなる。
「・・じゃあ、岳明はずっと膝枕ね」
勇気を出して強請ったら、あっさり了承の返事が返って来た。
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