第96話 お迎えに上がりました。
”今日は女子会だから、帰り遅くなるからよろしくね”
いつもより華やかなメイクと、新しく買ったばかりのタイトスカートで武装した亜季と玄関先で別れたのは今朝の事だ。
定時退社日に合わせて企画された女子会は、亜季の大親友である佳織が発起人らしい。
女子会にしてはやけに気合の入った格好だな、と浮かんだ疑問をそのまま口にすれば
”最近は女子の目の方が断然厳しいのよ!”
とすごい剣幕で返された。
同性同士の傷の舐め合いに見せかけた舌戦の凄まじさは、丹羽も幾度となく目にしてきた。
”ちょっと気を抜いたら、途端、結婚したら女捨ててるとか言われるんだからね!”
今日に限っては、いつもの適当は絶対なし!と、鏡に向かう後ろ姿は、魔王に挑む前の勇者のようで、思わず聖水やら回復薬やらを授けたくなる。
常日頃から頑張ってくれている後輩たちを労いつつ、愚痴を聞いて相談に乗ったりする会、というのが本日の女子会だ。
下の人間を上手く扱えない限りは一人前とは言えない。
適度に厳しく、適度に優しく、メリハリをつけて、信頼を置きつつも目を離さない。
同じように部下を育てて来た丹羽だから、その苦労はよく分かる。
けれど、さらに女性同士は、水面下での足の引っ張り合いが絶えないと聞く。
仲の良い素振りをしながら別の場所では当人の影口を叩くなんて日常茶飯事だ。
誰を信じて、誰を疑うが、それを決める自分の目に全て掛かっている。
後輩達から頼りにされる山下亜季は、常にカッコイイ女性でなくてはならない。
俯いたり、へこたれたりしない、戦う女。
それは、亜季の大親友である佳織も同じことで、二人揃って志堂の女傑と呼ばれている。
本当に本音を零して自分を曝け出せるのはお互いの前だけだと分かっているから、ここでだけは、いい格好はしない。
踵のすり減ったパンプスを脱いで、等身大の自分たちで慰め合う。
佳織がいるから、頑張れる。
亜季から何度も聞いたセリフだ。
女の友情は血よりも濃く、恋より脆いと聞くが、嘘だろうと丹羽は思っている。
亜季の佳織に向ける信頼の厚さは、嫉妬してしまう程だからだ。
お気に入りのヒールの細いパンプスに足を入れた亜季が、よし!と拳を握って、丹羽に手を振る。
その顔はもう、カッコイイ山下亜季の顔だった。
仲良しこよしもいいけれど、この先輩なら付いて行きたいと思わせる背中を見せなくてはならない。
使命感に燃える亜季の横顔は、いつもおり厳しくて、凛としていて、間違いなくイイ女だった。
俺の手なんて、あっさり振りほどいて行くんだろう。
山下亜季の戦う場所に、丹羽の入る隙はどこにもない。
だから、傷を作って来た彼女が、遠慮なく泣いて、甘えられる場所になろうと、いつからか思うようになった。
彼女が上乗せした鎧の分だけ、気持ちが楽になれるように。
平日に夕飯を揃って取る事は珍しいほうだし、飲み会の誘いもしょっちゅうなので、亜季の女子会参加に、口を挟むつもりなんてない。
亜季の帰りが遅いなら、いつもより残業しても良いだろうと思って、先延ばしにしていた見積作成に取り掛かったところで、丹羽のスマホが鳴った。
すでにほとんどの社員が帰宅した午後10時過ぎ。
事務仕事を溜めると、残業か早朝出勤か、休日出勤で捌く事になる。
独身時代は、休日出勤も少なくなかったけれど、結婚してからは出来るだけ、早朝出勤で片付けるようにしていた。
亜季の仕事が立て込んでいて、遅くなる時は同じように残業して帰るが、それ以外は出来るだけ早く帰宅するようにしている。
亜季は無理しなくていい、というが、自分都合でスケジュールを組むと、平日はほぼ顔を合わせない事になってしまう。
夫婦としてそれはどうかと思うし、何より夜は亜季と一緒に居たかった。
傍に居ないと、彼女の変化に気付けないからだ。
自分を騙して平気な顔をする事に慣れている亜季だからこそ、余計に側にいてやりたい。
どんなに遅くても午後21時前には会社を出るようにしていたので、こんな時間まで残ったのは久しぶりだった。
静かなフロアに着信音が響く。
画面に表示された名前を見て、ふっと気持ちが緩んだ。
今から帰るよ、という連絡だろう。
定時後すぐに飲みに行くと言っていたから、二次会を終えた頃合いだろうか。
ずっとパソコンに向かっていたので、肩と腕が痛い。
伸びをしながらスマホを耳当てる。
「亜季ー」
呼び掛けた声が、思った以上に甘く響いて、思わずフロアを振り返ってしまった。
丹羽の座席一体以外は、フロアの明かりが落とされている。
がらんとした職場を見渡してホッとした矢先に聞こえて来たのは、意外な人物の声だった。
★★★★★★★
「佳織さん、遅くなって申し訳ない」
指定された店に着くや否や、奥のベンチ席から呼ばれた。
見れば、亜季が、佳織の肩に頭を預けて眠っている。
具合が悪くなったわけでは無い、と聞いていたけれど、姿を見るまで落ち着かなかった。
この様子なら大丈夫そうだ。
「こちらこそ、呼び出してすみません。まだお仕事中だったんですね、大丈夫ですか?」
「事務仕事だから。それより、重かっただろ?」
立ち上がった佳織に代わって、ずり落ちそうな亜季の身体を支え直す。
見事に眠っているようだ。
「慣れてるから平気ですよ。でも、こんなに酔うのは久しぶりだったけど・・・」
「そういう佳織さんは、あんまり酔ってないね?」
亜季も佳織もそこそこ飲めるタイプだ。
だが、亜季は泥酔、佳織はほろ酔い。
この違いは何だろう?飲み合わせかな?
疑問に思いながら尋ねると、佳織が苦笑した。
「今日は後輩メインの女子会だったんで、私たちも最初は殆ど飲んでなかったんですよ」
「ああ、なんか女同士も色々大変らしいね、亜季から聞いたよ」
佳織の本日の格好は、カーキのシャツワンピに大ぶりのピアスとバングルを合わせて、髪は緩く巻いてある。
大人の余裕と、程よい気安さを感じさせるスタイルだ。
いつもより女っぽく見えるのは、化粧の仕方が違うせいだろう。
亜季と同じように、佳織も戦う女なのだ。
「そうなんです。一次会はワイワイ楽しく飲んで、相談会とかやって、二次会で飲み直そうって、ふたりでここに来たんですけど、ビール二杯でこんなになっちゃって・・・疲れてたのかしら?」
いつもの亜季なら考えられない。
「最近残業続いていたし、そうかもしれない・・・」
「家も知ってるし、亜季だから、そのままタクシー拾って送ろうかとも思ったんですけど、今日は、この子甘えたかったみたいで。酔っぱらって丹羽さんの名前呼ぶもんだから、つい、呼んじゃいました」
ご迷惑でした?とにっこり微笑む佳織に、首を振る。
佳織ならではの采配だ。
このタイミングでここに来なければ、亜季の言葉を知らないままだった。
「とんでもない。呼んでくれて良かったよ。連絡を貰わなかったら、あと1、2時間は残ってただろうから。タクシー2台呼んだから、乗って帰ってね」
すっかり脱力している亜季の身体を抱き上げながら丹羽が告げると、佳織がありがとうございます、と答えた。
こういう時女友達は物凄く頼りになる。
亜季が無条件で甘えるのは、恐らく自分と彼女くらいのものだろうから。
ここは佳織に任せきりにせずに、亜季を連れて帰るのが夫の役目だ。
亜季が丹羽を呼んだのだから。
タクシー着きましたよ、と店員が声を掛けて来て、丹羽は佳織を伴って外に出た。
亜季をお願いします、と頭を下げる佳織にお礼を言って見送った後で、タクシーに乗り込む。
走り始めて暫くすると、亜季が顔をこちらに向けた。
「ん・・・あ、れ・・」
うっすらと目を開けた亜季が、丹羽の顔を見て難しい顔をする。
「なに?」
「なんで佳織が岳明になってんの・・」
「迎えに来たんだよ。俺の事呼んだんだろ?」
「・・・えー・・わー・・やだ・・ごめんー」
両手で顔を覆った亜季が、もう一度ごめん、と言った。
「仕事・・・してたんでしょ」
「いいよ、いつでもできる仕事だから」
「違うの、佳織から何訊いたか知らないけど、不意打ちで呼んだだけだから。
深い意味はないから・・」
「俺に甘えたかったんだろ?」
「っは!?」
飛び上がらんばかりに驚いた亜季が、頭を抱えてうずくまる。
「佳織のやつめーっ!なんでそんな余計な事をっ」
「余計な事じゃないだろ。少なくとも、俺は亜季の口から直接聞きたかったけどな。何で佳織さんの前だと言えて、俺の前だと言えないかな・・まあ、亜季だからか・・」
それを言えるような性格だったら、丹羽が亜季を”変な女”と評価するような出来事はきっと起こっていない。
起きたのだから遠慮はいらないだろうと、伸ばした手で亜季の襟足を擽る。
短い髪がふわふわと揺れた。
亜季が肩を震わせて、一緒になってぶら下がりチェーンの真珠のピアスが揺れる。
「っ・・・なんか色々含みがあるけど・・・」
「俺は、待ってるんだけど」
「・・・」
「亜季が、もっと俺に甘えてくれるのを」
「あ・・うん」
窓枠に頬杖を突きながら亜季に視線を戻す。
神妙な眼差しが丹羽の事を真っ直ぐに見つめていた。
「もう、無理やり素直にさせたほうがいい?」
静かな問いかけに、亜季が即座にごめん!と謝った。
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