第14話 試練と未練
「で、その後どーなったのよ?」
純粋な興味に彩られた佳織の問いかけに対する上手な返事を考えながら、亜季はコーヒーに並々とミルクを注いだ。
佳織はそんなにミルクを入れるならカフェオレを頼めばいいのにと毎回突っ込むが亜季は譲らず毎回普通のブレンドを頼む。
カフェオレだと店によっては低脂肪乳を使うところもあるらしく、それだと美味しくないから、自分でミルクを入れて味を調整する方が良いのだ。
たっぷりと入ったコーヒー用ミルクをぐるぐるスプーンでかき混ぜて、亜季は溶け合ったそれを満足げに見つめた。
それから、やっぱこの一言しかないわな、と結論付ける。
「逃げた」
「あら、らしくないじゃあない?負けず嫌い意地っ張りの亜季ちゃんが」
「気持ち悪いからちゃん付けやめてよ」
「ごめんごめん」
「面白がってんじゃないよ」
辟易しながら言った亜季が、佳織を遠慮なく睨みつける。
けれど、その鋭い視線をモノともせず佳織は朗らかに笑った。
「だって嬉しいから」
「は?何が」
こんなに親友が困っているというのに、何が嬉しいことか。
あんたが樋口と離れて、後悔して泣いて落ち込んで自分を責めてる間ずううっと付き合ってやったのどこの誰だと思ってる?と詰ってやりたくなる。
結婚した途端、ただの美人が超美人になって、色気まで加わって本物の女帝だなんて言われている親友をジト目で見返す。
樋口の愛情がどれ位深いのか、彼女を見れば一目でわかる。
愛されることの重要性は、嫌というほど伝わってくる。
だから余計虚しい。
「相良以外の男に心揺らされてるのが嬉しい」
「はい~!?」
「揺れたでしょ?」
「ないよ」
話を長引かせれば、こっちが不利になるのは目に見えている。
即座に切って捨てたのは、深堀されたくないからなのに、やっぱりこの親友は容赦がない。
「嘘吐くな嘘を。揺れないなら、逃げてないでしょ」
図星をつかれて亜季が口を閉ざす。
「面倒だから逃げただけよ」
「いつもみたいにケチョンケチョンに言ってやったら良かったじゃない」
「言ってもへこたれないんだもん」
その男兵と見たと佳織が呟いて笑う。
他人事だからそんな風に笑えるのだ。
当事者は恋愛経験値が底辺のアラサー女子なのだから、上手く躱せるわけがない。
「笑い事じゃない!」
「はいはいそんで~黙って逃げてきたわけ~?」
「そんな訳ないでしょ!ガツンと・・言ってやったわよ!」
亜季は憤然と言い放ってことの顛末を話し始めた。
★★★★★★
結局打ち合わせは二時間に渡った。
これまでのデータ抽出方法から新しいシステム移行に伴う変更点の確認と設定についてのいくつかの追加注文。
システム設計当初からの変更追加が入るのは想定済みらしく、亜季が依頼した内容をラップトップに打ち込んで、丹羽が再確認する、という作業を繰り返した。
けれど、その中には許容範囲内の変更とそうでない物がある。
変更可能なラインを明確にしつつこちらの意向に添うような提案をして貰う事が、打ち合わせの目的だった。
交渉というよりは意向のすり合わせに近い。
現状こんな感じで進んでますが変更点ないですか?という確認だ。
納品してからのクレームを防ぐ為でもあるのだろう。
実際丹羽との仕事はやりやすかった。
緒方が右腕と称するのも納得の手腕で、亜季の移行は的確に読み取って、さらに新たな提案をくれたりもする。
事前に部署で纏めてきた意見や現システムの不具合や不都合を上げれば、それも踏まえて新システムに反映すると回答が来た。
ただ、納期についてのみ意見が分かれた。
展示会前に何とか納品してほしい亜季と、システム作成上譲れない日数がどうしても合わなかったのだ。
「じゃあ、納品日については調整付き次第連絡します」
「よろしくお願いします」
納品日は返事待ちという事で話がまとまり、打ち合わせは無事に終了した。
時計を見ると夕方16時前だ。
会社に戻って仕事を片付けるにはちょっと時間が足りないし、中途半端に仕掛を残して帰るのも嫌だ。
普段の倍は緊張したし、気も使ったので、今日はこのまま直帰にしようと決める。
「この後のご予定は?」
完全に不意打ちの質問だった。
帰り支度をしながら、思わず素で答えてしまった。
「まっすぐ帰るわ」
亜季の答えに丹羽が小さく笑う。
「お茶でもどう?」
誘いかけられて、慌ててさっきの自分の返事が間違っていたことに気づいた。
大急ぎで帰社して仕事を片付けると言えばよかったのに。
「は!?」
「まっすぐ帰るんでしょ?」
「ま…まっすぐ会社に帰んのよっ」
強引に捻じ曲げてそういうことにしてしまう。
慌ただしく荷物を纏めて、一刻も早くこの場から逃げ出そうと立ち上がれば。
「ふーん」
試すような、揶揄うような返事が返って来て心臓がざわついた。
「しっ仕事山積みなの!これでも一応主任だし。部署の女の子みんな年下ばっかだし。
仕切るのあたししかいないし!大変で大忙しで!」
そこまで言って、亜季は丹羽の視線に気づいた。
可笑しくてどうしようもないというその表情を見た瞬間、自分が思い切り流されていることに気づいた。
何もこんなペラペラと喋らなくても、結構ですと断るか、それでもまだしつこく食いつくなら、本当に大迷惑です、で一刀両断、の筈なのに。
どうしてもこんな明らかに言い訳みたいな事。
ぐらりと傾いだのは、意識かそれとも自分の身体か。
「山下さんさぁ」
今度は明らかにからかい口調で丹羽が口を開いた。
それを慌てて押し止める。
「いい。待った。わかったから言わないで」
一気に顔が赤くなる。
形勢不利、完全に押されている。
そしてそれに気づいた自分にまた慌てるという悪循環が当分終わりそうにない。
あまりにも必死な亜季の様子に、丹羽は喉元まででかかった一言をぐっと飲み込んだ。
「・・・うん、わかった」
そう告げて、もう攻撃しませんよと両手を広げて見せる。
その仕草にホッとして、命綱のように握りしめていたカバンの取っ手を優しく握り直した。
「けど・・・」
「なに!?」
油断した途端に先手を打たれて噛みつかんばかりの勢いで問い返す。
もう殆ど威嚇に近い。
丹羽は動揺しっぱなしの亜季に、助言するように穏やかに言った。
「いつもその調子じゃあそのうちにつけ込まれるよ?」
かっと頬に熱が走った。
真っ白な頭のままで反射的に言い返す。
「いつもこんなじゃないわよ!」
「・・・へぇ」
丹羽は呟いて至極楽しそうに亜季を眺める。
その視線が余計亜季を苛立たせる。
「あんたと会うときが異常なだけよ!」
とんでもない言葉を口にしたもんだと思ったが今更退くに退けない。
もとより見栄を張るような相手ではない、はずなのに。
困惑顔の亜季に丹羽は尚も切りこんできだ。
「それは・・・光栄だね」
あまりの攻撃力に亜季が何とか返せたのはたった一言。
「っ!ムカつく!!」
精一杯の、ガツン、だった。
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