第13話 カタクナ彼女

かき乱して揺さぶってまるで生き物みたいに。


心がどんどん形を変えてく。


恋するたびに思い出す。


あたしはそんなに強くない。





☆★☆★



「っはーあー・・・」


「う、わーあ。何だその冴えない溜息」


「っさい」


頬杖ついてマニュアルを睨みつけていた亜季の隣りに腰かけながら樋口が苦笑いする。


さらにその隣りには相良。


顔を顰めた樋口に向かって宥めるような視線を送ってそれから口を開く。


揶揄うのが樋口の担当で、宥めるのが相良の担当、昔からずっとそうだ。


「そんなシステム変更大変なのか?」


「・・・まーね・・大変ってかなんてーか・・勝手は良くなってるんだけどねー・・」


悔しい位に。


これまでの旧式システムより操作も数段楽になっている。


が、旧式に慣れている上司連中には最新システムの操作方法はどんなに懇切丁寧に説明しても伝わらない。


最終的には


「んーやっぱり良く分かんないから。コレ確認して提出しといて」


ということになる。


仕事が簡易になって、減ったかと思いきや別方面からの依頼が増えている。


「そんなややこしいマニュアルなの?」


横から伸びてきた相良の手が、分厚いマニュアルを持ち上げた。


項目ごとに付けられたインデックス。


そして、パソコン用語に矢印で書かれた説明文。


総て亜季が時間を割いて付けたものだ。


「コレ誰用のマニュアル?」


「うっわ・・・スクロール・・下矢印・・何だこのおこちゃま向け説明分は・・」


相良に続いて樋口も身を乗り出して来た。


ここまでやるのにどれだけ時間と労力を要した事か。


「ウチのおじ様連中よ」


「あー・・」


顔を見合わせた相良と樋口が同じ人物を思い浮かべたらしく苦笑いする。


工程管理は、もともと商品制作現場を仕切っていた職人気質の社員が多く存在する。


パソコンなんて使った事もないしメールも部下に任せっぱなしというのが珍しくないのだ。


「なるほど」


「お疲れ」


「ちょっとー分かってんならもーちょっと心の籠った労いの言葉頂戴よ」


至極あっさりと言われて、そんな安っぽい言葉はいらんと眉をひそめる。


と、相良が笑顔のままで言い返した。


「労ってやろうにも、タイミング合わなかったの山下だよ?」


ええ、ええ、仰る通りでございます。


めちゃくちゃ避けてましたよ、極力会わないようにしてきましたよ。


ばったり会えば、そりゃあ笑顔で話も出来るし惚気話にも相槌を打てる。


けれど、事前に分かっていると身構えてしまって上手くやれる自信がない。


だって、幸せそうな顔なんて見たくないし、新妻の事考えてにこにこしてるのなんて想像するだけでむかっ腹だっつの。


・・・というのは表向きの意地っ張りで。


ホントのところ、どんな決定打を見せつけられても胸の中で燻ってる恋心の火が消えてくれないから。


それを確認するのが嫌だから。


だから、ずっと避けてきた。


相良は鈍いけど聡い。


亜季の薄っぺらい”オメデトウ”なんてきっとすぐに見抜いていしまう。


”友達”なんだから、”減点”されても関係ないだろうに。


どこまでも見栄っ張りな乙女心は、叶わないなら、せめて最後まで”満点”の友達でありたいらしい。


「・・・身勝手・・」


女として好かれる事は一生ない。


でも、嫌われたくない、なんて。




☆★☆★



「あれ、今日ひとりなの?」


本日も打ち合わせに訪れた丹羽のオフィス。


もう場所も覚えてしまった会議室のドアが開くなり、中を覗いた丹羽が砕けた口調でそう言った。


と同時に背中でドアの閉まる音がする。


振り向きもせずに亜季は言った。


「愛ちゃんはお休み。風邪ひいちゃったみたい」


庄野は疲れが溜まっていたのか昨日から発熱で欠勤している。


「へー気の毒に」


「季節の変わり目だからね。体調崩しやすいんでしょ」


ひょいといつものように肩を竦めてみせた。


本当は、今日来たくなかった。


何かの理由を付けてせめて日にちをずらしてもらうとか、こっちまで出向いて貰うとかあれこれ理由づけをしようとしたけれどどれも出来なかった。


だってそれじゃあまるで、この間の一件が、亜季に物凄い動揺を与えたみたいだ。


1人で打ち合わせに来るのも怖気づく位丹羽の事を意識したのだと思われるのは癪だった。


”山下亜季”はそんなんじゃないのに。


いつだってキリッとカッコイイ女性でいたいのに。


けれど、なけなしの勇気を振り絞ってみたもののやっぱり声を聞いたら振り返ることは出来なかった。


丹羽の言葉がからかい半分の”嘘”でも。


本気の本音であっても。


そんなの関係ない。


測る余裕なんてない。


”山下亜季は、自分以外の誰かが自分を好きになるなんて冗談でもあるわけない”


そう思っている。


最初から可能性は0なのだ。


だから、それ以外の答えが返ってきた時にどうしていいか分からない。


「冗談でしょ?」


と言ってはったりで笑う余裕すらなかった自分を思い出して、亜季は一気に帰りたくなる。


本来なら切れるはずだった丹羽との接点が未だ繋がっている事。


それが総ての原因だ。


飲み会1回でさようなら、のはずが、仕事でも関わり合うことになってしまった。


ついてない。


うん、そう思う事にしよう。


相変わらず振り向くことは出来ないけれどこうして話す分には問題は無い。


そう言い聞かせてピンと背筋を伸ばす。


そんな亜季の様子を後ろから眺めていた丹羽は小さく笑って、彼女の横に1冊のマニュアルを置いた。


「で、この前の打ち合わせで言ってたもう一段階分かりやすい初期マニュアルのことなんだけど」


「え・・・」


上司連中には、既存マニュアルでは対応が難しいと零していたのを覚えていたらしい。


亜季が視線をぎくしゃくと右隣に下げる。


不自然すぎる亜季の仕草にくすりと笑みを零して、けれど言及はせずに丹羽は向かいの席に腰を下ろした。


「とりあえず、専門用語には解釈付けてみたから。後、足りない部分はフォローして貰えたらありがたいかなと」


「・・あ・・・ありがと・・」


そう言ってから、一瞬だけ視線を合わせて再び大急ぎで視線を逸らす。


裏読みしそうになる自分を心の中で叱咤する。


これは、仕事だ。


亜季の表情をつぶさに見ていた丹羽は鷹揚に営業向けの笑みを浮かべた。


「いえいえ。クライアントの依頼に応えるのがこっちの仕事ですから」


これはあくまで仕事の一環なのでと言われて、ですよね、と何とか作り笑いを返す。


生きた心地がしないとはまさにこの事だ。


これが自社ビルのフロアなら、まだ自分のテリトリーに相手を受け入れている分強気に出られるのに、ここは完全にアウェーで、今日は庄野も不在。


丸腰プラス単身で敵陣に乗り込んだ気分になる。


システム説明を始めた丹羽の言葉に相槌を打ちながら、早くこの時間が過ぎますようにと必死に祈るしかなかった。

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