第4話 後悔
「あーきーちゃん」
気持ち悪いとしか言いようのない猫撫で声とともに、工程管理のドアを開けて入ってきた新婚の大親友に、亜季は友情を全く感じさせない冷ややかな視線を送った。
「忙しい」
「なによ。せっかく可愛く呼んでみたのにー」
腰に手を当てて踏ん反り返る佳織。
「・・可愛く名前呼ぶ相手は別にいるでしょ」
新婚なのだから、いくらでも夫である樋口の名前を呼べばよい。
呼ばれる度に全力で大型犬に構い倒されるだろうに。
しれっと言い返した亜季に向かって、腕組みをして佳織が言った。
「いいから、今晩顔貸しな」
「・・なによ」
「呼び出し」
「はぁ?」
「我が家に強制ご招待ー」
Vサインとともにくりだされたセリフ。
亜季は怪訝な顔をする。
昨日の今日で、心配かけたにしてもいきなり家に呼ばれるなんて。
「え、やだ、あんたたち早速なんかあったの?」
むしろ、樋口夫妻の仲が気になる。
喧嘩でもしたのだろうか?
亜季と同じく意地っ張りの佳織のことは手に取るように分かる。
また可愛げのないことを言って樋口を怒らせたのだろうか?
次々と浮かぶ疑問を亜季が口にするより先に佳織が言った。
「はーい、ご心配なく。我が家は至って順調よ!おかげさまでね」
ひらひら手を振って佳織が幸せそのものの笑みを浮かべる。
「あっそ・・ならいいけど・・っていうか、なんでまた?」
「いーでしょー。明日土曜だし。たまには家でゆっくり飲もうよ。紘平も今日は飲み会って言うから、私、うちでひとりだし。どうせ暇だし、家事なんかやる気起きないしーというわけで、女二人で女子会しよう、女子会」
「・・女子会って年でもないでしょーに」
「だって友世たちが使ってて楽しそうだったのよ。いーじゃない。いくつになっても女子は女子!関係ないわよー」
そう言って笑う佳織は、やっぱり最高に幸せそうで、とても、眩しい。
「・・・はいはい・・わかったわかったわよー!付き合うわ」
「じゃあ、仕事終わったら内線ね」
「りょーかい」
羨ましい、と、いうよりは、ただただ、眩しい。
手が届かなくて、憧れで。
”もしかしたら”なんて夢を見れる年も過ぎてしまった自分にとっては“勝ち””負け”なんかじゃなくとにかく”遠い”存在だ。
”結婚”して誰かと一生を共にすることは、いまの亜季にとっては途方もなく”勇気”と”度胸”がいることだった。
☆★☆★
「あのさぁ・・・」
「はーい?」
せっかくだから、と、デパ地下で奮発して買ったシャンパンを揺らして、佳織が問いかけてきた。
シュワシュワと綺麗に浮かぶ泡を眺めながら返事を返す亜季。
鶏むね肉とたっぷり野菜のサラダのトマトを齧って佳織に視線を移す。
綺麗なペアグラスは結婚祝いに貰ったものらしい。
「私に言ってないことあるでしょう?」
「・・なにを?」
まっすぐに佳織を見つめ返す。
心当たりはあった。
昨日の電話だ。
佳織はすこぶる勘が鋭い。
周りの人間に関しては人一倍気を配るタイプだから。
「・・訊かない方が良い?」
「・・・」
「言わなかったあんたの気持ちも分かるけど・・・気づいて、黙ってるのは好きじゃないの。どーせ、誰にも言えずに我慢してたんでしょうが」
あの電話で、佳織に見持ちを見抜かれてしまったらしい。
「・・・・」
自嘲気味に笑った亜季の頭を軽く撫でて佳織が問いかける。
「いつから?」
「・・・あんたが、樋口と別れてすぐ」
「・・・・ごめん」
「なんで謝んのよ」
「だって・・・私の事があったから相談出来なかったんでしょ?」
「違うわよ」
亜季の心の声まで見透かされて反論する声は小さくなる一方だ。
「違わないでしょ。聞くわよ。吐き出しちゃいなさいよ。いっつもあんたがそうさせてくれたみたいにさ」
とんと胸を叩いて、さあ来い、と両手を広げる佳織は、まるでいつかの自分のようで、これまで誰にも言わずに抱えて来た思いが一気に溢れ出て来た。
★★★★★★
週末の金曜日。
早々に殆どのメンバーが引き揚げたフロアはがらんとしている。
「今日も残業かー、丹羽」
廊下から顔をのぞかせた橘を振り返って丹羽が挨拶を返す。
「お疲れ様です。見積もり修正入ったんですよ。俺、週明けから出張なんで」
苦笑いしながら橘がフロアに入って来る。
すでに通勤かばんを持っているのでこれから帰るところなのだろう。
「ご苦労なこった。あ、そーいやこないだの飲み会どうだった?」
「ああ・・・」
返事をしかけて言葉を濁らせた丹羽の表情に何か感づいたらしい橘がにやりと口角を持ち上げた。
「気になる子でもいた?」
「・・・気になると言うか・・」
「なんだよ、舞に言って必死に集めたメンバーなんだぞ。1人くらい、ピンと来る相手・・」
「久しぶりに、本気で怒られました」
「・・・はぁ?」
素っ頓狂な声を上げた橘に丹羽が苦笑いを返す。
「初対面の女の子に、あんな怒られたの初めてで、ちょっと面食らいましたね」
「何したんだよお前・・・頼むぞ、俺の嫁の知り合いなんだから」
「・・・あんまりにも分かりやすくて・・・可愛かったから」
三十路過ぎで未だに独身で見た目の良い男は社内に数人しかおらず、その中でも寄ってくる女は後を絶たない丹羽の口からこうも素直に”可愛い”と評価される相手はどんなヒトなのか。
興味を持った橘が問い返す。
「へー・・・可愛かったんだ」
「・・・」
「なんだよ、そこで黙り込むなって」
「いや・・・今、気づいた」
「は?」
「俺、あの時は、そんな風に思わなかったんですよ。変な女、くらい・・・」
「え、じゃあ、連絡先も聞いてないとか?」
「怒って帰っちゃったんですよ」
「丹羽―・・・」
げっそり肩を落とした橘に向かって丹羽はあっさり笑って見せた。
「まあ、そんなもんでしょ。気を使わせたのに、すみませんでした」
★★★★★
「ただーいまー・・おまえらお土産あるぞー」
飲み会を終えて帰宅して、ほろ酔いで玄関を開けるなりリビングに向かって呼び掛ける。
時刻は深夜0時過ぎ。
終電間際まで飲んだ罪滅ぼしに、妻とその友人の為深夜営業のカフェで特製ミルクプリンを買ってきたのだ。
久しぶりの女子会で、亜季は家に泊めると聞いていたので、てっきり盛り上がっているかと思いきや、靴を脱いで廊下に上がると、佳織がひとりでリビングから出てきた。
人差し指を立てて静かに、と合図が来る。
「亜季、寝ちゃったの。おかえり」
「えー・・なんだよ、お土産買ってきたのに・・そんな飲んだのかよ」
「あーはいはい。明日の朝ご飯ね、飲んだってか・・まあ・・」
あっさり言って、紘平の手から紙袋を受け取る。
その横顔がどこか落ち込んで見えて樋口は佳織の頬に手を伸ばす。
「なんかあった?」
「・・・私、友達失格だ」
「喧嘩でもしたのかよ?」
同期入社して以来、ずっと仲が良いふたりは樋口が知る限り、喧嘩なんて一度もしたことがないはずだ。
もともと、女子特有の粘着タイプの友情ではなかったので、程よく自立して干渉しないふたりは、入社当初から他の女子たちとは一線を画していた。
首を振った佳織が俯く。
「・・・言いたいこと言えなくって・・・誰にも言えなくって・・・ひとりで、我慢してたんだわ。辛かったろうに、私にまで黙ってて・・自分の事しか見えてなかった自分が情けないしむかつく・・」
「・・・かーおり・・」
名前を呼んで、抱きしめる。
考え出すと、答えが出るまでループにハマるのが彼女の特徴だ。
「そこまで分かってるんなら大丈夫だ。亜季のこと、ちゃんと理解してるのはお前くらいのもんだぞ?なんか言ってきたら、受け止めてやればいいよ。もともと、口割らないタイプだしなぁ。一緒にいるだけで、楽になると思うけど?お前も、そうだっただろ?」
問い返されて佳織が頷く。
「な?大丈夫だ。俺も話聞くしさ」
ぽん、と背中を叩いてやればようやくほっとしたように佳織が笑った。
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