第3話 失敗

合コンから、目当ての男を強引に連れ出したオンナ。


普通に考えれば、立場は逆のはず。


だけれど、亜季には自分が異常かどうかなんて考える余裕はない。


店の前に出るなり、自分から引っ掴んで無理やり外まで出てきた丹羽の腕を、用は終わったとぶんと振り払う。


店の中で喧嘩をしたくなかったから外に連れ出した、ただそれだけの事だった。


「あのねェ!!な・・なんか勘違いしてるみたいだから念のために言っとくけど!!」


直立不動で背筋を伸ばして、びしっと人差し指を突きつけて。


空いた左手は腰。


まるで、一昔前の学園ドラマに出てくる口うるさい女教師かクラス委員のようだ。


怒られ役の生徒さながら丹羽は目の前の亜季に向かってしれっと言い放った。


「なにが?」


その、楽しむような口ぶりが余計に亜季を苛立たせる。


「だからっ!!あたしが、さっきの男を好きみたいに見えたなら、それは誤解で・・あたしと相良は、ただの同僚で。ここでばったり会っただけなんだから。それを、勝手に誤解されちゃあ困るって言ってるのよ、いい?わかったわね!?」


必死になってまくしたてる亜季の言い分を一通り訊いて、丹羽は肩を竦めて見せた。


「良いも何も・・・分かりやすいね。ほんの数時間前に会ったばっかの初対面の俺に必死こいて言い訳しなきゃなん無い位山下さんは、さっきのサガラって人が好きなんだ」


「っ・・・・!!」


突っ込まれてようやく気付く。


とんだ大失敗だ。


ここは綺麗にオトナの余裕でスルーすべきところだった。


間違っても全否定するとこじゃなかった。


初対面の男相手に、それも大慌てで。


酔いも冷めちゃう勢いで。


しかもこんな往来で。


「なんであんたにそんなこと言われなきゃなんないのよ!!ぜんっぜん全くあんたにはこれっぽっちも、関係ないでしょ!?」


「・・・そっちの事情に否応なしに巻き込まれたのはこっちなんだけど?わかんない?」


この状況を見て。とばかりに丹羽がぐるっと視線を巡らせる。


金曜の夜。


駅前通りは、OLやサラリーマンで溢れ返っている。


”痴話げんか?”なんて、まるで2人の状況に当てはまらない一言が聞こえてきてますます亜季はパニックに陥った。


一気に酔いが醒める、どころか、身体が熱くなってくる。


頭痛はますます酷くなる一方だ。


「だ・・・だからって・・・なんで図星指されたこっちが加害者にならなきゃなんないのよ!」


「ああ、やっぱり図星だったんだ」


その一言が、亜季の導火線に火をつけた。


「ふざけんな!!!!馬鹿にしてんの!?」


カッとなって言い返す。


掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ったら相変わらず冷静な丹羽の表情が、愉快そうに歪んだ。


「・・・興味深くはあるけどね」


亜季の片想いも、バレバレの状況でのたうち回る見苦しい態度も、何もかも見世物だとでもいうように。


「あんたねえっ!」


尚も食ってかかった亜季を見下ろして、丹羽が短く言い放つ。


「・・・山下さんさ、嘘つけないタイプだよね。分かりやすいってよく言われるでしょ?」


丹羽の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。


そして、亜季は爆発した。


ぶん殴る!!


迷うこと無く、勢いよく振りかざした手は、残念ながら丹羽の頬まで届かなかった。


こうなる事を予想していたのか、即座に丹羽が亜季の手首を捕まえたからだ。


パシン!と小気味よい音と共に、丹羽の横っ面をひっぱたいて、ふん!と鼻息荒く睨みつけるつもりが、出来たのは必死の罵詈雑言。


「うううるさい!!馬鹿!ほっといて!」


しかも子供みたいな語彙力の無さ。


酔いのせいだ、と今更みたいに自分に言い訳をしつつ掴まれた腕を渾身の力で振り払う。


そのままの勢いで丹羽に背中を向けて、亜季は歩き出した。


「・・・出来れば俺もほっときたいんだけど・・あのさ、山下さん、何処行く気?」


「帰んのよ!!」


これは退却ではない、撤退でもない。


断じて違う!!!違うったら!!!


情けない決め台詞を残して、亜季は雑踏の中に足を踏み入れた。


背中で丹羽の呼ぶ声が何度か聞こえた気がしたが今の亜季の頭は”屈辱”でいっぱいだったので

”雑音”としか判別されなかった。




気づいたら、右手の中で携帯が鳴っていた。


駅はもう目の前だ。


さっきの店の前から5分は歩き続けている。


相手が誰かも確かめずに着信ボタンを押す。


「もしもし?」


自分でも驚く位テンションの低い声だった。


「山下?」


名前を呼ぶ馴染みのある声に、思わず


「ふェ?」


と素っ頓狂な返事を返す。


「今どこに居る?」


相良は亜季の返事を待たずに続けた。


「う・・・え・・・あ・・・駅?」


「駅前だな?」


「あ・・うん・・・」


ここで漸く停止していた思考回路が正常に回転し始める。


けれど、どうして相良が電話を掛けて来るのかさっぱりわからない。


「お前、酔ってるだろ?」


「・・・べつに・・」


「財布もカバンも置いてどうやって帰る気だ?」


「・・・・・あ・・」


咄嗟に携帯だけ持って、丹羽を引っ張り出したのだ。


そのまま店に戻らなかったので、荷物はみんな置きっぱなし。


どれだけ、自分が動揺していたか分かる。


情けないくらいに。


「ったく・・・そんなに飲んだのか?」


「え・・・」


携帯を耳に押し当てたまま答えに困ったら後ろから腕を掴まれた。


振り向くと、相良が亜季の荷物を持って立っている。


追いかけてきてくれたらしい。


「滅多に酔わないのにな。ほら」


目の前に上着とカバンを差し出されて、素直に受け取る。


「あ・・・ごめ・・ってなんで?」


きょとんとする亜季に向かって相良が困ったように笑う。


「紘平の部署の女の子が、俺らのテーブルに来て。山下さん荷物置いて帰っちゃったんです。って言うからさ。お前、誰にも携帯教えて無かったし」


もともと人数合わせのメンバーなのだから進んで個人情報をバラまく必要はないと思ったのだ。


「それで、わざわざ?」


「荷物置きっぱなしで帰る位酔ってるならひとりにしとけないだろ」


「・・・・ありがと。だいじょーぶよ。ちょっとボーっとしてただけ」


「・・・しっかり者の山下でも、ぼーっとすることくらいあるだろうけど・・大丈夫なのか?マンションまで送って・・」


亜季が1人暮らしであることは、同期は皆知っている。


慌てて亜季は首を振った。


「そっちも飲み会の最中でしょ?抜けたら不味いだろうにって・・ここまで来させといて言うなって感じか。ごめんね」


「そんなこと無いよ」


「ご心配なく。ひとりで帰れます」


「本気か?」


「うん。だいじょーぶ。ほら、早くお店戻って。ここまで来させちゃってほんとに、悪かったわね」


いつものようにひらひら手を振る。


尚も心配そうな相良の背中を叩いて亜季は言った。


「あんたが心配すんのは、松見さんだけでいーの。同期のよしみで気にかけてくれるのは嬉しいけど、荷物持って来てくれただけで十分です。 ほら。戻って」


「気をつけて帰れよ?」


「うん、じゃーね」


頷いて背中合わせに歩き出す。


振り返るのは怖いから前だけ向いて。


自然と唇を引き結んでいる自分がいた。


”我慢”する時の癖。


もう嫌になるくらい何度もこうやって、行き場のない気持ちを持て余しては飲み込んできた。


「あたしのばーか・・・自分で傷ついてどーする・・」


“真実”を言葉にしただけなのに。


こんなに胸に突き刺さる。


現実はこんなに痛くて厳しい。


それでも、パスケースを取り出して改札を抜ける頃には、少し落ち着いていた。


片思いが始まってから、幾度となく経験した痛み。


”言わない”と戦線離脱した者が背負う“痛み”は最初の予想よりずっと大きく深かった。


それでも、関係が壊れて傷つくよりもずっと良いと自分に言い聞かせる。


ホームに上がると、携帯が再び鳴った。


「はいはーい・・」


「亜季?」


「佳織・・」


「あんた、今どこ?」


「駅のホームよ。どしたの?」


「それはこっちのセリフ。相良から連絡あったけど?」


「・・・・なんて?」


「あんたが珍しく酔ってるみたいだから連絡してみてくれって」


「っ・・まじか。っ・・ははっ」


どこまで優しんだと泣き笑いの声になる。


あんたがそうだから、いつまで経っても気持ちは冷めないのよ。


いつまでも笑い続ける亜季に、電車を待つサラリーマンたちが怪訝そうな視線を向けて来るが、何も気にならない。


「なに?どーしたの、だいじょぶー?迎え行こうか?」


問いかけてくる佳織に返事をすることも忘れて亜季は笑い続けた。


こーゆう人だって、好きになる前から、知ってたよ。

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