第7話 口論と論争

奢るよ、と言われていたので遠慮なくご馳走になることにした。


助けて貰ったのは事実だけれど、その後誘ったのは向こうの方だ。


前回のあれこれは一端横に置いておいて、社会人として、きちんとお礼は言った。


最低限の礼儀は尽くしたつもりだ。


丹羽が戻って来てからは他愛のない仕事の話になり、それは亜季も十分楽しめるものだった。


営業職というだけあって、ふたりとも話題が豊富だ。


同じ同族グループの会社なので重役一族の話なると異様に盛り上がったりもした。


この前の合コンより、ずっとお酒も美味しく感じられた。


”お食事会”としては大満足だ。


急遽参加した飲み会は21時過ぎにお開きになった。


「ご馳走さまでした。あと、今日は助かりました」


店の前で改めてお礼を口にする。


「丹羽、じゃあここでな」


「はい、お疲れ様でした」


「山下さん、また」


「はい、ありがとうございました」


先に店を後にした緒方を見送ってから、丹羽が亜季に問いかける。


「山下さん、家どこ?」


「JR沿線ですけど・・」


「もう遅いし、送ってくよ」


「結構です」


にこりと笑って拒否をする。


口角を上げて完璧な笑みを見せる亜季に向かって丹羽が呆れ顔で言った。


「もうその口調やめたら?」


「・・・私の勝手でしょう」


「猫かぶっても今更でしょ?」


「!!」


奢って貰ったし、助けて貰ったしせめて愛想良くしようと笑顔を見せたらまさかの手痛いしっぺ返しを食らって、亜季は眉を吊り上げた。


即座に臨戦態勢に入りかけて、いや待て、それやったら前回と同じだと思い止まる。


この間の飲み会よりずっとお酒は美味しかったし、そこそこ飲んだのに一円も出していない。


落ち着け、大人だ、あたしは大人だと言い聞かせる。


「私、基本はちゃんとした常識人なので」


「・・・へー・・」


「こないだみたいなことは、本当に初めてで、だから、忘れてくださいね」


分かりましたと言え、となけなしの目力前回で長身の丹羽をねめつけるが。


「そんな都合よく忘れられないよ」


へらりと笑われてやっぱり怒りが爆発した。


「・・・あんたねェ!」


思わず毒づいた亜季に、丹羽が心底楽しそうに笑った。


「そうそう、取り繕ってないほうがいいよ」


「と・・・取り繕うって・・・失礼ね!!怒らせるようなことばっかり言うのはそっちでしょ!?」


「突っかかって来るのはそっちだろ」


「突っかかってません!間違ってること言うから、間違ってるって言ってるだけじゃない!」


「あのさぁ・・」


「なによっ」


「・・・」


口を開きかけて、げんなりとした顔で閉口した丹羽に向かって亜季が言い募る。


「なーにーよ?」


こうなったら売られた喧嘩は全力で買って叩き潰す。


上から目線で問い返したら呆れたように丹羽が言った。


「その喧嘩越しやめない?」


食って掛かって来るかと思いきやまた低温な返事が返って来て、その上宥めるような視線まで振って来て、一人でイライラしている自分が無性に情けなくなってくる。


いい歳した大人が酔った勢いで口論とか恥ずかしいったらない。


「・・・悪かったわね!こういう性格なのよっ」


これ以上この男と一緒にいると、ろくなことが無い。


そのまま踵を返して駅に向かって歩き出す。


”送る””送らない”の一件はすっかり頭から抜け落ちていた。


いつも通り”自分ひとりで帰る”という選択肢以外亜季の中には存在しない。


「屁理屈」


「五月蠅いわねっ!」


「もひとつ言うなら可愛げが無い」


本当に無駄な一言が多い男だ。


しかも的確にこちらの痛い所を突いて来るのが無性に腹立たしい。


漸く赤の他人からちょっとした知人程度になった距離感の癖に。


「余計なお世話よ!もうほっといて!!心配しなくても、ひとりで帰れます!」


駅からマンションまでの道のりは公園を抜ける最短ルートを辿るとちょっと1人では心細い場所もある。


飲んだ帰り道は特に早く帰りたい気持ちの方を優先させて、小走りで通り抜けるのだが、それにももう慣れてしまった。


樋口たちと飲んだ帰り道は、大抵タクシーの相乗りで先に下ろして貰うし、女同士の飲み会の時は、酔っぱらった後輩たちを送り届けてから帰宅するのが常だったので。


誰かに甘えるなんて考えたこともなかった。


”ひとり”が長いと、どんどん強くなる。


勇んで歩く亜季の隣に数秒で余裕で並んで来た丹羽が可笑しそうに言った。


「・・・そーゆうのなんていうか知ってる?」


「・・・知ってるけど、聞きたくない」


ぴしゃりと回線を閉じる。


今まで散々言われてきたことだ。


馬鹿みたいに繰り返し、繰り返し。


けれど、指摘されたところでどうしようもない。


どうにもならない。


そんなに簡単に自分は変えられない。


こういう自分だから29年やって来られたのだ。


「知ってるんだ」


目を丸くして、それから丹羽が声に出して笑った。


揶揄うでもなく、呆れるでもなく、ただただ面白そうに。


「腹立つ・・・」


吐き捨てるように苛立ちをそのまま口にしたのは随分久しぶりだった。


自分の声の冷たさに驚く。


「強がりも程々にしなね」


「!・・・あたしの勝手でしょ!!」


「・・うん、まあ勝手だけど」


さらに言い募るかと思った丹羽が予想外に素直に引き下がってしまった。


戦闘態勢の亜季は怒りのやり場を失くして言い訳がましく付け加える。


「大人になると、色々”大丈夫”って思わなきゃやってらんないことがあんのよ!」


”怖くない”とか“辛くない”とか。


亜季の言葉を受けて、丹羽が少し黙った後で問いかけた。


「・・・たとえば?」


その問いかけが、あまりにも自然で。


好きな食べ物を尋ねるような気安さだったので、亜季は胸に一番最初に浮かんできた言葉を素直に口にすることが出来た。


無意識のうちに。


「夜中、目が覚めた時とか・・」


口にしてから、馬鹿にされるかもと思ったけれど、丹羽は以外にも頷いて見せた。


「ああ、なんかわかるかも。シーンとした部屋にひとりの時とか?」


「そう・・・急に心細くなる時がね。あ、たまにね!極たまーによ!」


慌てて付け加える。


さっきまでの苛立ちや腹立たしさはいつの間にか和らいでいた。


ほぼ敵認定の丹羽とこんな風に普通に話したのは前回と今日含めて初めてのような気がする。


初対面の時も、さっきの食事の時も、亜季は常に上っ面の笑顔でお客様として振舞っていたので、会話はそれなりに楽しかったけれど、言葉のやり取りはどこかちぐはぐな感じがしていた。


今、初めて”ちゃんと”丹羽と喋った。


ちょっとした知人に打ち明けるような話ではない、心の奥の柔らかい部分を少しだけ曝け出した亜季に向かって、丹羽が至極穏やかに分かるよ、と相槌を打つ。


急に和らいだ二人の空気にバツが悪くなって、亜季は慌てて話題を変えた。


「あ、そーよ!あんた、緒方さんにあたしたちの初対面の時の話したでしょ!」


緒方の含みのある言い方。


あれは、この男からあの日の事情を聞いたからに違いない。


「ああ・・・女の子怒らせて帰っちゃったって話ね」


「それだけ?」


「そうだけど?」


予想外の返答が返って来て、次の言葉に困ってしまった。


怪訝な顔で問い返す丹羽の視線を避けるように、亜季は足元を見た。


「・・・あ、そう・・あたしの事話したのかと思った」


いい歳して合コンに参加して、運悪く片思いの相手と遭遇した不幸な女。


そんな風に面白おかしく話題にされていたのかと思っていた。


「まさか・・」


呆れた口調で言って、丹羽が続ける。


「俺をどんな男だと思ってんだよ」


「・・・見た目そのまんま」


「・・は?」


「信用ならない人」


「・・・あのなぁ・・」


丹羽の穏やかな表情が初めて不愉快そうに歪んだ。


女子に人気の営業マンの顔が崩れて、素の丹羽が顔を覗かせる。


自分ばかり情けない所を見せていたので、少しだけ溜飲が下がった。


「過去形だけどね」


亜季のプライベートを暴露していなかった事と、今夜助けてくれた事を加点して、悪い人ではない、と結論付ける。


「・・・あ、そう」


どこかホッとしたように肩の力を抜いた丹羽が、溜息交じりにそれは良かったと呟く。


「色々誤解してたかもしれない。こないだのことは、やっぱり許せないけど・・」


「あれはー・・ごめん。俺も悪かった」


「うん・・・でも、あたしも大人げなかった」


「いや、でも、俺も面白がった節があるから」


「面白がったの!?」


やっぱりさっきの加点は取り消してやろうかと、隣に並んだ男を睨みつける。


「ごめん、まさかあんなに素直な反応が返って来ると思わなくてさ」


「・・・あーそう・・」


そんなに酔っていたつもりは無かったけれど、通常モードでは無かったは確かで。


普段なら綺麗に隠せた色んな感情が、表に出てしまった事は否めない。


それまで平然とビールを飲んでいた、合コンに興味なしと開き直っている女が、途端色めき立ったらまあ、興味深くはあるだろう。


「できれば、帳消しにして貰えると有難いんだけど」


「・・・まー都合のいい言い分だこと」


それでもやっぱりモヤモヤするし、釈然としないのでわざとらしく言い返してやれば。


「だから、送らせてよ」


「・・は?」


なんでそうなる?という返答が降って来た。


「山下さんは、帰り道心細い思いしないですむし、俺の気も済むから」


どう?と視線を向けられる。


亜季は一瞬逡巡してから、顔を上げた。


その折衷案は、悪くないと思ってしまったのだ。


「その話、乗った!ついでに、コンビニアイスもつけてよね。お詫び料で」


これくらいの、ペナルティはありでしょう、と要望を付け加えれば。


「うん、いいよ」


鷹揚な返事が返って来た。

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