第43話 お好きにどうぞ

一応、肩書き主任(体のいい部署の世話係の別名)それなりに後輩もいる。


社歴もそこそこ・・・声を大にしては絶対言えないけど年齢もそこそこ・・なので、恋愛と仕事のバランスは勿論自分でちゃんと取っている。


若い頃みたいに、無我夢中で恋する事も無いし、脇目も振らず突っ走る事も無い。


適度に安定した、大人のちゃんとした恋愛ってやつをやっているのだ。


だから、大丈夫、そう、思っていた。


☆★☆★



金曜日の夜。


前々から約束していた彼とのデート。


久しぶりに丹羽の自宅でまったりしようと思っていた矢先。


時刻は22時過ぎ。


デパ地下で買ってきたデザートも綺麗に食べ終わって、ワインも飲んでほろ酔い気分。


「亜季、そろそろワイン終わりにしたら?」


「まーだ、まだ駄目、取り上げないで」


「ワインなんか久しぶりでしょ?」


「そーだから、ちゃんと飲みたいのよ。あ、駄目だってば」


亜季の手からワイングラスを取り上げて残っていた白ワインを綺麗に飲み干して、丹羽が空になったそれをテーブルに戻した。


「飲み過ぎだよ」


「まだ大丈夫よ、まだ後2杯はいけるね!」


「それ自慢する所じゃないでしょう。記憶失くすのはナシにしてよ、頼むから。二週間ぶりだよ?」


甘やかすように笑った彼がすいと指を伸ばして来る。


亜季の項を覆い隠す短いブラウンの髪をくすぐるように指に絡めた。


揶揄うような、慰めるような、触れ方に次第に気持ちが揺れ始める。


「失くさないっつの」


「ほんとに?」


距離を詰めた丹羽がふいに腕を腰に回して亜季を抱き寄せる。


ぐらんと揺れた視界が一回転したと思ったのは間違いではなかったらしい。


気付いたらソファの上に居た。


押し倒されたのだと気付いた時には遅かった。


意味深に微笑んだ指が鎖骨を撫でる。


もうずいぶんと慣れ親しんだ筈の指。


だけど、この感触をどれだけ肌が記憶しても、抱かれるたびに気持ちは昂ぶる。


回数じゃなくて、時間じゃなくて。


多分、もっと別の次元のなにかだ。


随分昔に覚えた甘酸っぱい感情。


思わず記憶を引きずりだしそうになるけれど、ぐっと堪える。


ここでいきなり乙女モードとか本当に困る。


辿る指の感触に翻弄されないように必死に意識を現実に向ける。


と、途端丹羽の魅惑的な視線とぶつかった。


「やっぱり、酔ってるね」


「・・・どうして?」


耳たぶを撫でた指がキスのせいで腫れた亜季の唇に触れる。


ピリピリと電気が走るみたいに、唇が熱くなる。


多分、こういうのを、世の女性たちはトキメキとか言うんだろうなと、どこか冷静な自分が分析してみたりする。


だけど、もうそろそろ限界だ。


亜季の弱点を確実に押さえて、攻めて来る指先に、もう陥落寸前だ。


掠れた声で呟いたら、丹羽が子供にするみたいに額にちゅ、とキスを落とした。


鼻筋を辿った唇が、亜季の唇に噛みつく手前で止まった。


ペロリと舌先で唇を舐めてから、意地悪くい笑みを浮かべる。


「嫌がるかと思ったのに」


「なんで・・?」


言葉の意味が分からない。


いや、正確には思考回路が回っていない。


ぼんやりした揺らいだ視線の先には、丹羽の甘ったるい顔がある。


「ここ、ソファだよ?」


点けっぱなしのテレビからは、今日の纏めのニュースが流れていて、テーブルには食べかけのおつまみと空っぽのワイングラス。


ボトルの中には少しだけ白ワインが残っているようだった。


ついさっきまで寛いでいたソファで、いいように丹羽の手に翻弄されている自分。


中途半端に乱れたニット素材のワンピース。


こんなトコロで・・まったくよろしくない。


理性はそう訴えるのに、指一本動かせない。


心底嫌じゃない事と、気持ち良い事を頭がちゃんと理解してるから。


理性より本能が勝っているから。


知れば知るほど、自分が意外な位”恋する乙女”だったんだと自覚させられる。


情けないやら、恥ずかしいやら。


自分の感情をどう整理してよいか分から無くて、結局丸ごとゴミ袋に突っ込んで、口を縛ってある状態だ。


”捨てられない女”


ふいに浮かんだどうしようもない馬鹿女のイメージを真っ黒に塗り潰す。


瞬時に。


と、亜季の視線を追っていた丹羽が急に鎖骨に強く吸いついた。


肌を焼くような甘くて熱い痛みが走る。


「っ何、付けないでって言ってんのに」


「俺がいるのに、何考えてた?」


「自分の事・・・」


「正直に言ったのは褒めてあげるけど・・・その答えは頂けないなぁ・・・よし、付いた」


満足げに唇の痕を確かめて丹羽が微笑む。


指先で辿ったそこが熱くてぴりりと痛い。


「ちゃんとこっち見て・・・嫌だって言っても止めないよ?」




★★★★★★




「はい、お電話ありがとうございます。志堂本社製造部でございます」


土曜日出勤で滅多に鳴らない外線電話が鳴った。


業務画面を睨みながら手探りで受話器を持ち上げて、肩と耳の間に挟む。


「角埜システムの丹羽と申しますが・・・」


聞こえて来た慣れ親しんだ人間の声に、思わず亜季は声を上げた。


「なっ!?」


勢い余って立ち上がった亜季を、フロアに居た上司と後輩が一斉に振り返る。


慌てて椅子に座りなおして、机の下にしゃがみ込んだ。


精一杯コードを伸ばして小声で言い返す。


「なによ、何で、電話なんかっ!?」


昨夜、22時半過ぎに亜季の携帯にかかってきた一本の電話。


得意先の納期が急遽月曜に変更になったので、明日出勤して欲しいという要請だった。


がっくり肩を落とした丹羽をなんとか宥めつつ、実は彼以上にショックだったのは亜季だった。


久しぶりの恋人同士らしい休日が丸潰れ。


肩を落として帰ろうとする亜季を引きとめたのは丹羽だった。


翌朝仕事場まで送る事を条件に結局朝まで一緒に過ごした。


おかげで盛大に寝不足だ。


「そろそろ眠くなる頃かと思って」


「イヤミ言いにわざわざ?」


「違うよ、俺が寂しくなっただけ」


「あっそ・・・」


「昨夜は御免」


「何が?」


「キスマークとか色々」


「謝んないでよね・・・」


「怒ってないの?」


「怒る事でも無いでしょ?朝はちゃんと間に合ったし」


睡眠時間4時間切ってるけど、と内心付け加える。


亜季の答えに丹羽が電話越しに笑った。


「今日は何時に帰れそう?」


「分かんないけど・・・17時には上がれる筈」


フロアの動きと業務画面で残りの仕事量を概算で計算しつつ答えると、丹羽が迎えに行くから、と言ってきた。


「有難いけど・・・いいの?」


「俺がそうしたいだけ。亜季はもううんざりかもしれないけど」


「うんざりって、そんな事無いし・・・っていうかあるわけないでしょ」


ウンザリされる可能性があるのは明らかに自分の方だ。


自分の魅力と丹羽の魅力を天秤にかけるとどう多く見積もって勝ち目は無い事を知っている。


「俺は、まだ全然足りて無いよ。もう一晩亜季の時間を貰っても良い?」


思考回路が今度こそ停止しかけた。


なぎ倒された理性を必死に奮い立たせる。


「・・・お好きにどうぞ」


強気に答えたら丹羽が、好きにするよ、と答えた。

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