第42話 酔いと本音と

焼酎貰ったから、飲みに来る?それか、たまには俺が行こうか?


木曜の夜に届いた岳明からの誘いメールに、たまにはうちに招待するわよ、と答えた。


泊まりに行くとなれば、いつも岳明の部屋になっていたので。


理由は単純明快、ベッドが広いから。


セミダブルのベッドがある岳明のマンションと、シングルのベッドがある亜季のマンション。


当然寝るなら広い方に限る、というわけだ。


週末彼の部屋に泊まる時は、大抵デパ地下グルメを買い込んで帰るか、外で飲んでから帰るのが主流だ。


朝食ぐらいなら何とかなるが、あれこれ手の込んだものを作ろうとしたら、どうしても足りない調理器具が出て来る。


だから、たまに手料理を披露する時にはほぼ完成形の料理をタッパーに詰めて持って行く事にしていた。


どうせなら、綺麗なお皿でちゃんと料理を食べて欲しいなと思ったのだ。


勿論、ご飯頑張るから、なんて言わない。


”土曜日に会う?金曜日から来る?”


”金曜から行くよ。休みは有効に使わないと。最近、まともに会ってないの知ってる?”


”忙しかったのそっちでしょー”


スケジュールが立て込んでいて、デートの予定が立たなかったのだ。


一度は当日のドタキャンもあった。


”寂しかったって言ってくれないの?”


迷うことなくこういう事をメールするのがいかにも丹羽らしい。


途中まで素直に寂しかった・・と返信を打ち掛けて、慌てて削除する。


その手に乗ってなるものかと踏ん張る。


”思ってました!”


我ながら絶妙な切り返し!と思ったら、案の定。


”俺の彼女は素直じゃないなぁ”


なんて言葉が返ってきた。


途端、彼の周りを囲む女性陣の影が見えた気がした。


”誰と比べてるの?”


”ヤキモチ?”


”違うし!”


”ヤキモチって認めるなら教えてもいいよ”


”やっぱり誰かと比べたんだ!?”


”さーどうだろうね”


”はぐらかさないでよね”


”亜季が素直に認めたら教えるよ”


”何でよ!”


”ついでに、愛してるって言ってくれたら亜季の可愛いとこも教えてあげる”


”それって要求する言葉!?”


”だって、絶対言わないから”


”言ってるし!最近だって言ったし!”


”いつ?”


問い返されて咄嗟に記憶を巡らせる。と、2人でベッドでじゃれあった絵が思い出された。


つまりはそういう時って事。


結局あれこれ言って誤魔化してメールのやり取りを打ち切った。


何て事言い出すんだあの男は!!


真っ赤になって携帯を握りしめる。


あんなやりとりの後、1人で部屋で過ごすのは辛い。


すっかり体が覚えてしまった、岳明の体温を思い出すから。


唇の感触や、耳元で囁く声、指先が辿った軌跡が、一気に蘇る。


乾いていた心が、一気に潤うのを知ってしまった。


恋をするまでは、忘れていたのに。


1人でも平気だった日常には戻れないから。


何かあるたび、思い出してしまう。


例えば1人で道を歩いていても、2人でよく行く馴染みのお店の前を通ったり、一緒に見た映画の広告を見つけたり、彼が好きな音楽が流れたり。


自分を取り巻く世界は、自分だけが選びとったものに溢れていたのに。


いつからか、自分と、彼の世界になっていた。


何をしていても、そうなのだ。


ふとした瞬間に頭を過る幸せな週末。


日々の雑多な仕事に追われて、記憶に埋もれてしまったと思っても、些細なきっかけひとつで、それは一気に溢れだす。


そして、亜季を満たしてしまう。


週に1度はそういう日があって、つまりはどうしようもなく人恋しい日なのだけれど。


勿論、そんな理由で夜から彼を呼び出せるほど子供でもない。


上手い理由を思いつけるほど恋愛上手でもない。


だから、1人で堪えるのだ。


この生活が”普通”なんだと、何度も自分に言い聞かせて。


だから、今も甘いやり取りをした携帯を開くのが怖い。


ベッドにうつ伏せに寝ころんで目を閉じる。


テレビは雑音程度にしか聞こえない。


メールを見れば、会いたくなる。


思い出して、恋しくなる。


なんだってこんなに、恋心は厄介なんだろう。


会いたい気持ちだけで、走れるほどもう若くないのに。


「・・・愛してるって・・・言えば良かった」


彼の唇が亜季の体に触れた瞬間だけでなく。


食事をして、別れる時に。


朝起きて、彼におはようと告げる時に。


手を繋いで歩く駅までの道のりの途中で。


眠る間に、笑いあった電話の最後に。


いつだって、チャンスはあったのに。


こんなに急に、どうしようもなく寂しくなるなんて。


自分でも驚く位、心細かった。


何にもやる気が起きない位。


気持ちは自分の心からかけ離れた場所で、愛しい人を待っている。


インターホンが鳴った時も、一瞬夢かと思った。


いつの間にか眠ってしまっていたらしく、手には携帯が握られたままになっている。


それを開くことなく玄関に向かう。


チェーンを外す段になって、漸く外で待つのは誰だろうと疑問が浮かんだ。


「どちらさまですか?」


ドア越しに問いかけると、柔らかく


「亜季、俺だよ」


と呼びかけられた。


やっぱりこれは夢だったんだと思う。


会いたいと思ったから、夢にまで見てしまったのだ。


小さく笑いながら玄関を開ける。


「待ってたのよ」


そう言って、目の前にいる岳明に抱きついた。


ドアが開くと同時に飛び出してきた恋人を受け止めて、岳明は目を丸くする。


「どうしたの?」


普段の彼女なら絶対しないであろう行動だ。


ここは廊下だし、インターホンに出る事すら忘れて玄関を開けようとするし。


いつ人が来るかもしれない状態なので、ひとまず亜季の体を押し留めて、部屋に入るとドアを閉めた。


後ろ手に鍵をかける間も、亜季は離れようとしない。


いよいよ何かあったのかと、抱き寄せた耳元に問いかける。


「待ってたって、何かあった?」


「愛してるの」


「・・・」


「ちゃんと言えなかったから、待ってたのよ。恥ずかしかったから逃げたけど・・


ほんとは、岳明に言いたかったの。だから、夢でも会えて嬉しい」


ぎゅうっと背中に回された腕。


「亜季・・ちょっと待って、酔ってるの?」


「えー?何で飲んでない」


「夢じゃないよ、現実。メール途中で逃げられたから、帰り途だったし追いかけてきた」


「・・・」


あやすように頭を撫でられて、漸く腕を離した。


「げん・・・じつ・・?」


「ほら、さっきのメールから1時間ちょっとしか経ってないだろ?」


腕時計を見せて来た彼の顔をまじまじと見つめる。


「・・・っ!」


さっきまでの言動が一気に蘇った。


慌てて距離を取ろうとした亜季の腕を捕まえて岳明が引き寄せた。


頬にキスが降って来て、彼の右手は亜季の華奢な背中を抱え込んでいる。


「酔ってたの!めちゃくちゃ飲んだの!」


「はいはい、苦しい言い訳はいいから。とりあえず、俺の愛しさをどうにかして下さい」


どうにかって!?と問い返す前に、まさに有言実行な彼の唇が強引に亜季の唇に嚙みついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る