第84話 煽るなんてとんでもございません。
「亜季、あーき」
何度となく肩を揺さぶられて、亜季はゆっくり目を開けた。
「だいじょうぶ?うなされてたけど」
真上から声がして、左向きに眠っていた体を仰向けに戻す。
すぐに背中が壁に、いや、丹羽にぶつかった。
「んん~」
くぐもった声を上げて、目を擦ろうとして睫毛の違和感に気づいた。
マスカラ塗りっぱなしだ。
「怖い夢でも見た?」
「なんか・・・おっかけられ・・た?」
「疑問形なんだ・・・起こして良かったよ」
小さく笑った丹羽が慣れた手つきで頬をなぞった。
そのぬくもりにホッとして、それから違和感に気づく。
そうだ、飲み会を終えて帰って来て、ちょっと横になったんだった。
でも、ちょっと待って・・・
「・・・え、なんで?」
ホットカーペットの上に丸くなって転寝していた筈なのに、枕にした愛用のクッションはいつの間にか丹羽の膝に変わっていた。
丹羽の足に手をついて少しだけ体を起こす。
さっきよりずいぶん体が軽くなっていた。
「なんでだと思う?」
肩包み込む様に撫でた丹羽が、穏やかに視線を合わせる。
楽しそうな表情に、何となく嫌な予感がした。
「・・・聞かないほうがいい?」
「聞いてほしいけど」
返した丹羽の掌が亜季の短い髪を撫でた。
何度も行き来する心地よい感触。
擽る様にさらさらと癖のない髪を滑る指先を捕まえて、亜季が意を決したように言った。
「聞くわよ」
挑む様な視線を受けて、丹羽が幸せそうに目を細める。
後ろ頭に回した手で亜季の頭を膝の上へと導いた。
「もう少し横になってなよ」
「ええ?」
そうしたいのはやまやまだけれど、動けなくなる前にシャワーを浴びてさっさと化粧を落としたい。
もちろん、心地よいこの場所を離れたくない気持ちのほうが強いけれど。
迷うように視線を揺らした亜季に、丹羽が時計を指差す。
「1時まで、ね?」
「あと30分ってこと?」
頷いた丹羽が、せっかくだから、と告げる。
「今の亜季、ちょっと猫っぽいから、可愛くて離したくないな」
「・・・噛みつくわよ?」
駆る爪を立ててやると、丹羽が声を上げて笑った。
「あれ、可笑しいな」
亜季の指先を握り込んで、悪戯禁止だ、と告げる。
長い指先が亜季の指に絡められた。
指の形を確かめる様に辿る仕草に、何だかドキドキする。
そわそわと落ち着かない亜季の表情を真上から覗き込んで、丹羽が静かに言った。
「十分可愛がって・・・手懐けたはずなのに」
「っかわっ・・・っっ」
何だかその言い方ってどうなの!?
手懐けられたってのは認めるわよ、その通りです。
見事に陥落いたしました。
反論の余地もございません。
でもね、でも!!可愛がるってどうよ!?
恥ずかしさから逃げる様に頬を押さえる。
言い返したいけれど、言っても無駄な事は分り切っている。
これまでだって、散々言い負かそうと挑んで、そのたびに巧みな話術で言いくるめられてきた。
丹羽の営業トークは半端ない。
穏やかな笑顔で切り込んで、あっという間に論破してしまう。
戦いを挑む方が馬鹿なのだ。
結局やりこめられてしまうのだから。
きゃんきゃん吠えて、爪を立てて噛みついて、最終的には丹羽に慰められた数々の苦い思い出がよみがえる。
これでも社内では、佳織と並ぶ武闘派と恐れられているのに(まったく誉められたことではないが)、そんな亜季も丹羽の前だと形無しなのだ。
社内の連中にあたしは猫だ、なんて言ったら笑い飛ばされるに決まってるわ・・
どう考えても猫じゃない。
亜季を可愛いと評するのなんて、丹羽くらいのものだ。
「今日は噛みつかないんだ?」
「・・・噛みついてほしいの?」
「亜季になら、噛みつかれてもいいよ」
「っ!」
「噛みつかれた分だけ、俺も噛みつくけどね」
「・・・」
「ああ、でも、痛い事はしないよ」
「っも、もう・・・っ」
確信犯としか思えないセリフに、亜季が真っ赤になる。
耳を押さえて顔を背けると、丹羽が覆いかぶさるように亜季を抱きしめた
「爪立てて、噛みついて、もっと俺を煽ってよ」
「なに言ってんのよ、ばか!」
必死に顔を背ける亜季の耳たぶにキスをして、丹羽が吐息で笑う。
完全に上半身を抱え込まれた亜季は、身動き一つ取れない。
息苦しさと、恥ずかしさで、どうにかなりそうだ。
前髪をかき上げた丹羽の掌が瞼を撫でた。
頬を支えるように持ち上げて、唇を重ねる。
触れるだけのキス。
二度目のキスは上唇を軽く啄んだ。
一気に体が熱くなる。
まるで息吹を吹き込まれたようだ。
鼓動がどんどん早くなっていく。
煽るなんてとんでもない。
そんな恐れ多い事を致した記憶なんてございません!
ぶんぶん首を振って、亜季がとんでもないことを言わないでとアピールする。
さんざん振り回してくれるのはそっちでしょ!?
必死の眼差しを受けて、丹羽が意外そうな顔をした。
「え、あれ?自覚ない?」
何を言い出すのかと亜季が勢いよく体を起こした。
空になった膝を見て、丹羽が残念、と肩を竦める。
「あるわけないでしょ!」
「・・・亜季に弄ばれてるよ、俺」
意味深な視線を向けられて、亜季が困惑を露わにする。
「弄ぶとか、人聞き悪いわよっ」
なんだかあたしが物凄く悪女みたいだ。
猫で悪女で・・・なんなのよこれ。
不貞腐れる亜季を横目に、丹羽は物足りなそうな顔になった。
眠っているときはあんなに大人しく身体を預けてくれるのに。
ベッドから出た途端”武装モード”になるなんて。
まあ、寝室で二人きりの時が一番可愛いっていうのは、何より嬉しいんだけど。
他のどの場所で触れる時より、素直な反応を見せてくれるし。
ぬくもりにすがりついてくる亜季は、物凄く無防備で独占欲を満たされる。
「あんなに俺の事呼んでくれたのに」
ベッドで聞く声が、一番甘くて優しい。
いつもの強がりが綺麗に消え去って、何も纏っていないありのままの亜季を間近に出来る。
少し不安そうな声も、穏やかな声も、どれも愛しい。
しみじみ呟いた丹羽の声に、亜季が目を見開いた。
「え、いつ!?」
「さっき、亜季が横になってすぐ」
「うそ!」
「嘘じゃないって・・・隣でテレビ見てたら、急に名前呼ばれたんだよ。
起きたのかと思って声かけても返事しないし。
夢で俺のこと探してるのかなと思ったよ。
不安そうだったから、膝枕してみたんだ」
ちょっとは眠れたみたいだね、と丹羽が微笑む。
「最初は相変わらず眉間に皺寄せてたけど、途中から落ち着いたみたいに丸くなってたから。本気で猫みたいで可愛かったよ。亜季、昼寝する時は特に丸まって寝るもんな」
「岳明・・・ちょっ・・・ちょっとストップ!」
亜季が掌を丹羽に向けて宣言した。
「ストップって・・・なに?」
「あたしを一人にしてぇ!!」
真っ赤になった亜季が叫ぶ。
眠っている間の自分の行動にまで責任持てない。
でも、突きつけられた事実は、穴があったら恥ずかしい位のものだった。
全部忘れてなかった事にしてほしい!!
必死に訴える亜季に、丹羽がげんなりした表情になった。
なにをいまさら・・・
「漸く甘えたと思ったら、次は噛みつくの・・・?ほんっと猫だな・・・」
呆れたように言って、丹羽が亜季の手首を捕まえた。
ホットカーペットの上を引きずる様にして、強引に抱き寄せる。
「っひゃあ!」
亜季が驚いたように声を上げたが無視した。
抱き締めた身体は湯たんぽのように温まっていて、抱き心地は勿論申し分ない。
確かめる様に肩に額を押し当てて、丹羽が深々と息を吐く。
「いいから、今は抱き締めさせて」
「・・・っ・・・岳明」
「そんな困った声で呼んでも無駄だよ。っはー・・・ほんと気持ちイイ身体」
背中を行き来する丹羽の掌に、亜季が小さく身じろぎした。
「そういう言い方しないで」
「なんで、亜季はいつも気持ちいいよ」
意地悪く笑った丹羽が続ける。
「柔らかくて、温かくて・・ちゃんと俺に応えてくれるし。触り心地も抜群にいいし・・・ちょっと物足りないところもあるけど・・・ッテ!」
亜季に髪を引っ張られた丹羽が、ごめんごめん、と謝った。
物足りないところがどこかなんて、言われなくても分かっている。
昔から胸が邪魔になった事なんて無かったわよ!
心の中で言い返して、亜季が丹羽を睨み付けた。
宥める様に丹羽が額にキスを落とす。
「で、そろそろ甘えたくなってきた?」
「え・・?」
「噛みついた後は、甘えたくならない?」
「・・・なにそれ」
「今、俺は物凄く亜季を甘やかしたい気分なんだけど・・・お風呂入れて、俺が綺麗にしてあげようか?」
「綺麗に・・ってっは!?」
目を抜いた亜季が、慌てて丹羽の腕の中から逃げ出した。
とんでもない提案だ。
丹羽は慌てた様子もなく、余裕の笑みで亜季を見つめ返した。
「手懐けた猫の面倒は、最後まで見なくちゃいけないだろ」
「そこまで手間かけないわよ!」
「手間じゃないよ。俺が離したくないから言ってるんだ」
もう一度、今度はさっきよりしっかり亜季を抱きしめて、丹羽が有無を言わせぬ笑顔で言った。
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