第124話 hold on me!!
洋服と同じ位必要不可欠な化粧品ならまだしも、装いを華やかにする為の装飾品への興味なんて、きっとこの業界に就職していなかったら持ち合わせていなかったに違いない。
パールのピアス、ダイヤのピアス、ぶら下がりのサファイアのデザインピアス。
シンプルなものから華やかなものまで、耳元を飾るアイテムだけは意外と多い。
昔から髪が短かったせいもあって、ネックレスやブレスレットより、邪魔にならないし、ボリュームも選べるピアスを好んで付ける事が多かった。
けれど、年齢を重ねて大人になるにつれ、選ぶ洋服も変わり、同じように身に付けるアクセサリーも変わった。
この一年で、ずっと。
その理由はただ一つ。
宝飾品を贈ってくれる人が出来たから。
婚約指輪と結婚指輪がその最たるものだが、指先を飾る事を覚えると、自然とネックレスやブレスレットも付けてみようかな、という気分になるのだ。
ダイヤで揃えたり、色石を加えたり、シンプルな洋服を選ぶことが増えて来た年齢だからこそ、アクセサリーで華やかさをプラスしたいと思うようになった。
ああ、大人になるってこういう事だったんだな、としみじみ思う。
それなりの格好をすれば、それなりの仕草をしようと身体は無意識に動くものだ。
花売り娘と淑女の違いではないけれど、身に付けたものに相応しい態度を取ろうとしてしまうものなのだ。
丹羽に選ばれた女性として恥じない自分で居たいと思う。
大切にされれば、大切にしたいと思って貰えるような自分になろうと思える。
美しさってこうやって相乗効果を増していくんじゃないかしら?なんて気取った意見をいうつもりは毛頭ないが、年齢は重ねているのに、昔ほど肌荒れしなくなったのはやっぱい愛のなせる技じゃないかな、と自己満足に浸りつつ、仕上げのリップをきゅっと引いて、鏡の中の自分と向き合う。
流行りに乗っかって、真っ赤なルージュに挑戦したい気持ちはあるが、さすがに実行する勇気は無い。
ので、赤みのあるオイルリップで満足する事にした。
唇の乾燥も防ぎつつ、じゅわっと滲んだ赤がいやらしくない色気を醸し出す、カウンターで一目惚れした色。
CMのキャッチフレーズにある”奪いたくなる唇”かどうかは別として、今日も鏡を直視できるだけの最低限の綺麗さだけは確保したい。
よし、とひとつ頷いて、亜季は鏡の前から離れた。
紺のカットソーにライトグレーのワイドパンツで無難に纏めて、空いたVネックの胸元には本日のラッキーカラーであるロイヤルブルーのサファイアのネックレスを選ぶ。
ピアスは定番のダイヤと決めていたので迷わなかった。
手際よくキャッチを嵌めて、ネックレスを首に巻き付ける。
細いチェーンが繊細な印象を与える華奢なデザインは仕事場でも邪魔しない。
首の後ろでクラスップの留め金を広げて輪っかを引っ掛ける。
が、通らない。
もう一度、と挑戦を試みるも虚しく失敗。
ちらりと時計を見ると、そろそろ朝食を食べないと間に合わない時間になっていた。
「ああー駄目!!無理だ!」
こういう時、真珠の16インチなら後ろでパチンとはめ込むタイプのクラスップだから楽ちんなのに!!
バタバタと寝室を出てリビングに向かう。
「岳明ー!」
ドアを開けた先では、丹羽がテレビで流れるニュースを見ながらネクタイを締めていた。
「どうしたの?慌てて」
すでに朝食は終わって、後は上着を羽織るだけらしい。
後10分遅かったら、ネックレスは諦める所だった。
「お願い、これ留めて!」
ずいっと黄門様の印籠よろしくサファイアのネックレスを翳す。
「ああ、後ろでやりにくいよね。いいよこっち来て」
もう少しチェーンが長ければ前に回してどうにか留める事も出来るが、40センチという微妙な長さなので、寄り目になっても上手く出来ないことの方が多いのだ。
独り暮らしの頃は、イライラして、諦めてポケットに突っ込んで会社に行って、取り出したチェーンが盛大に絡まっていてさらにイライラした事が何度もあった。
昼休憩の食堂で、キーッとなりながら、安全ピンの針を片手にプルプルしながら悪戦苦闘した日々が懐かしい。
ああ、こういう時彼氏や旦那がいる女の子は、出来なーい。と上手に甘えて可愛らしいネックレスをつけて貰うんだろうな、なんて羨ましくなったりもしたっけ。
どうせあたしなんてね!お局様ですよ!!ええもうずっと一人ですよ!
これから先ロングネックレスしか買いませんよーだ!
佳織相手に愚痴って、呆れられながら解いて貰ったネックレスを付けて貰って、素敵な彼氏探しなさいよ、と何度励まされた事か。
それが今じゃ・・こうだ。
ほんとに人生って何が起こるか分からない。
あの頃夢見たそのままの日常が、こうして目の前に落っこちて来るんだから。
今なら言える、神様って、ちゃんといる。
だって、幸せな恋愛と一番縁遠い人生を歩いていた筈のあたしが、ウェディングドレスを着て好きな人の奥さんをやってるんだから。
ダイニングの椅子に腰かけている丹羽の前で、背中を向けて中腰になる。
と、丹羽が笑った。
「何もそんなしんどい姿勢取らなくてもいいと思うけど?」
「え?じゃあ立っていい?」
「腰かける場所なら、ここにありますよ?奥さん」
含み笑いと共に示されたのは、まさかの丹羽の膝の上だった。
振り向いた亜季が、目を丸くする。
「す、座れるわけないでしょ!子供じゃあるまいし!それに、高さが・・・」
「留め金嵌めるのにはちょうどいいよ。ほら早く、朝ご飯食べる時間無くなるよ?」
「えええ、嘘でしょ!」
「嘘言ってどうするの。っていうか、なんで今更照れるのかな?
そんなに恥ずかしい?別にこっち向けって言ってるわけじゃないのに」
とんでもなく高いハードルを示されてぶんぶん首を振る。
「恥ずかしいわよ!とりあえずあたしの範疇外だから!」
「亜季の範疇かどうかは訊いてないよ。だって大抵範疇外って言うだろ?」
よくご存じで!と手を叩いて称賛を送りたくなる。
世の女の子が恋人に仕掛ける可愛らしいアレコレが全般的に範疇外だ。
クスクスと笑い続ける丹羽が、しょうがないな、と呟いた。
するりと腹に回された腕に力が籠る。
と次の瞬間ぐんと後ろに引かれた。
爪先が床を離れて踵に体重が掛かった、と思ったら、まんまと丹羽の膝の上に乗せられていた。
横から抱え込んだ丹羽が、満足げに頷いてみせる。
「初めからこうした方が早かったな」
「な、なんで!?」
「何でってこの方が付けやすいから」
「嘘!」
「半分嘘だけど、半分本当だよ。ほら、じっとして」
「・・・っ」
「わー・・首まで真っ赤だ。亜季の恥ずかしい基準がイマイチわかんないな、俺は・・」
「もういいから・・ほっといて・・」
横向きに膝に乗せられたので、顔を見なくて済む所だけは良かった。
これが正面を向いて、とかだったら、本気でギブアップしたに違いない。
だって自分のこれまでの数少ない恋愛遍歴のどこを紐解いても、こういう甘酸っぱいシチュエーションは存在しなかった。
正直今だって十分すぎる位キャパシティオーバーだ。
入って来る感情が多すぎて一つも情報を整理できない。
不貞腐れて口を噤むと、丹羽がそっとネックレスを首に回した。
自分の指で扱う時も華奢なチェーンだな、と思うけれど、こうして男の人の指で触れられると尚更繊細な印象になる。
いつもより慎重な丹羽の手つきに、逆に緊張が増してくる。
「よくこんなの付けられるな・・壊しそうで不安になる」
「あ、それは大丈夫。18金だし、作りは丈夫だから」
「見た目より強いって?」
眦を細めた丹羽が、楽しそうに問いかける。
「そうよー。意外と切れないし。日常使いには何ら問題なし」
「ふーん・・・亜季みたいだな」
「・・・えーっとそれは・・?」
「勿論、褒め言葉だよ」
「あ・・っそう」
「・・・亜季は、首が綺麗だよな」
思い出したように丹羽が言って、するりと襟足を撫でた。
「っは・・・きゃ!」
慌てて首元を押さえると、鎖骨を擽るチェーンの感触に気付く。
丹羽が上手くクラスップを留めてくれたらしい。
控えめなロイヤルブルーの煌きを確かめて、小さくありがとう、と告げる。
用事は終わったと、早速膝の上から降りようとしたら、剥き出しの項を唇でなぞられた。
さっきまで首元を彷徨っていた両手は、いつの間にかしっかり腰に回されている。
がっちり抱え込まれて逃げられない亜季は、遊ぶように丹羽が唇を躍らせるのを享受するより他にない。
スタンプを押すように項から肩まで唇を押し当てた丹羽が、しみじみ呟く。
「後ろから見える襟足も綺麗だと思ってたけど・・・こうやって横から眺めると、こっちの方が首筋のラインが綺麗に見える気がする」
「い、いいから、そういう評論はまた今度で!」
「だってこんな風に間近で見せてくれないだろ?明るい所では」
「・・・っ」
家で二人でいる時は、ダイニングテーブルで向き合っているか、ソファで隣り合っているかのどちらかだ。
こうして膝の上に収まって、至近距離で首筋を晒した事なんて当然ながら今まで無かった。
「だから、新しい発見・・」
「わ、分かったから・・・ほら、時間!今日朝から会議でしょ!」
必死に身を捩りながら、腕を伸ばしてニュース画面の左上に映し出される時刻を指差す。
本気で家を出なくては、電車に間に合わない時間になっていた。
「ああほんとだ・・・しょうがないな。じゃあ、先に出るよ、奥さん」
頬にキスされて油断した隙に、回り込んだ丹羽に唇を奪われる。
オイルリップが!と言い訳する暇も無かった。
「はい!いってらっしゃい、気を付けて!く、口拭いて!」
「ああ、ほんとだ・・どうりでいつもより女っぽいと思った。それじゃあ、行ってきます」
さらりと爆弾発言を放って、極上の笑顔を亜季に向けると颯爽と家を出て行く夫を見送って、亜季は朝から大暴れする心臓を押さえながらその場にへたり込んだ。
本当に、こんな日常が訪れるなんて夢にも思っていなかった。
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