第65話 酩酊と天然

時計は1時を回っている。


少しではあるが亜季の酔いも冷めた様で、ベッドに入ってからも寝付いてしまう事はなかった。


寝てもいいよ、と丹羽が促しても、眠たくないと返事が返ってくる。


この辺りはいつも通りだ。


枕に広がる亜季の短いを優しく指で梳いて、隣でうつ伏せになった丹羽が妻の顔を覗き込む。


ベッドサイドの小さな淡い光だけが部屋を灯す。


影になった丹羽の顔が近づいてきて、亜季は目を閉じた。


瞼にキスを落として丹羽が今度こそ、そのまま寝てもいいよ、と告げた。


「そんなにあたしを寝かせたいの?」


重たげな瞼を押し開けて亜季がいつもの半分以下の弱い視線で夫を睨み付ける。


「無理してまで夜更かししなくていいってだけの事だよ」


「せっかくの休みなのに?」


「まだもう一日あるし」


「だって、岳明眠たくないんでしょ」


「俺はそんなに飲んでないから」


身体を起こして、丹羽の方に横向きになった亜季が再び寝ころびながら唇を尖らせる。


普段の彼女なら絶対にしない仕草だ。


酔いは冷めたと言っていたけれど、これは結構酔っているな、と丹羽は内心思う。


指摘したら膨れるんだろうな、とそこまで想像して笑ってしまった。


「なによ」


「いや、何でもないよ」


「えーなによー」


「今日の亜季は、やけに甘えてくるなと思って」


頬を覆うアッシュブラウンの髪を耳にかけてやりながら丹羽が悪戯っぽく囁いた。


「・・・なに、それ」


「自覚ないの?」


あやすように髪を撫でながら、丹羽が指先を首筋に沿わせた。


「さっきみたいに、じゃれてくれたらいいのに」


意味深な響きに、亜季の頬が朱に染まる。


さっき収まったはずの熱が再び体を巡りだす。


噛みつく様なキスと、背骨を辿った掌がキャミソールの中に忍び込んできた感覚が蘇って、亜季が小さく身じろぎした。


ベッドに下されると同時に、自ら丹羽の首に腕を回してキスを強請った事を思い出して死にそうになる。


亜季に引っ張られる形でベッドに倒れ込んだ丹羽が、シーツに手をついて小さく笑った表情までも、鮮明に記憶していた。


「疲れてるみたいだし、このまま寝かせてあげようと思ったんだけどな」


そんなセリフと共に落ちてきたキスは、とても眠りを誘うものではなかった。


けれど、それを望んでいたのは亜季も同じだったので、キスを返した。


あんな風にベッドで自分から丹羽に仕掛けた事なんて無い。


酔っていたとしても、だ。


反芻する記憶に頭が真っ白になる。


ぎゅっと目を閉じた亜季の耳たぶにキスをして丹羽が楽しそうに笑った。


「ああいう・・・亜季も・・・好きだよ」


「・・・思い出させないでよ」


「なんで?」


「なんでもよ」


それ以上の会話を拒む様に布団に潜り込む亜季。


彼女を追って、丹羽が同じように布団に潜りこむ。


「寝ないって言ってたのにもう寝る気?」


「・・・寝なさいって言ったの岳明でしょ。明日は出かけようって言ってたじゃない」


「ああ、そうだね」


「映画見てもいいし、買い物してもいいしって・・・」


「うん、物凄くそのつもりだった、よ」


「ちょっと・・・なんで過去形なの」


「気が変わった」


布団を跳ね上げて亜季の体を抱きしめる。


長い腕に簡単に捕まってしまった亜季は、酔いのせいか、抵抗する元気がない。


「疲れた?」


亜季を組み敷いた後で、丹羽が前髪の上からキスをする。


目を閉じた亜季の瞼と頬にも唇を滑らせて、最後に唇を重ねた。


「・・・ん・・・っ・・・」


丹羽のキスは巧みで、亜季を早々に寝かせるつもりがなくなった事はそれだけで分かる。


口内を探る舌の動きに翻弄されながら亜季は無意識に丹羽の背中を抱き締めた。


何度も重ねるキスの合間に亜季の肌を辿るように丹羽の掌が動き出す。


「これって、誘われた俺が流されたせいにしてもいい?」


「あ、あたし、誘ってない!」


大慌てで否定したら、丹羽が困ったように目を細めた。


その視線が、もう亜季を逃がさないと告げている。


「いつだったか、天然はタチが悪いって言ってたけど・・・亜季も人の事言えないと思うけどな」


「あ、あたし天然じゃないし」


「俺の前で・・・こうなら、同じことだよ」


丹羽が亜季の首筋に唇を這わせる。


宥める様に肩を撫でる指先が優しくて、亜季は小さく息を飲んだ。


その仕草を見て愛おしげに微笑んだ丹羽が亜季の肩に顔を埋める。


「たぶん、佳織さんとかに言っても、理解して貰えないと思うけど」


それはそうだ。


こういう亜季はきっと丹羽しか知らない。


そもそもこんな夫婦のやり取りを・・・


「言える訳ないでしょっ・・・ん」


至極真っ当な返事を返した亜季を見つめて、丹羽が笑ってもう一度キスをした。

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