第66話 ただ、甘いだけ
「あれ、ジェリービーンズだ。珍しいね、こういうの好きだった?」
キッチンのカウンターに置かれた小袋を持ち上げて丹羽が妻に問いかける。
亜季の好みは結婚前よりは理解しているつもりだったけれど、丹羽の管理している亜季の好物リストには、ジェリービーンズは入っていない。
デザート系も、甘ったるいものよりはさっぱり系のゼリーやビターチョコを好む亜季だ。
砂糖の塊であるジェリービーンズを自ら買うとは思えない。
豚汁をお椀に入れながら、亜季が貰い物よ、と答えた。
「庄野さんが、テーマパーク行ったからお土産にって皆にひとつずつ配ってくれたの」
「ああ、後輩の」
「うん。あの子らしいでしょ。フルーツ味のジェリービーンズなんだって。見た目通りのチョイスしてくる子なの」
亜季の言葉に、丹羽は仕事で何度か顔を合わせた控えめで大人しい後輩を思い出す。
如何にもテーマパークが似合いそうな可愛らしい雰囲気の女の子だった。
「確かに」
「一人じゃ食べきれないけど、ちょっとずつならいけるかなと思って」
「成程。なら協力するよ。俺もずいぶん食べてないけど」
「子供の頃は食べた記憶あるんだけどね」
「確かに・・・ガムだかグミだか、色々食べたなぁ。何だろう、あの食感が好きだったのかな」
丹羽の言葉に笑って頷いた亜季が、お椀をのせたお盆を手渡す。
焼き魚は食卓に並んでおり、後はごはんと汁物をそろえるだけになっていた。
週に半分はこうして一緒に夕飯を食べる。
お互い仕事が急に立て込む事もあるので、無理はしない事を決めていた。
”新婚だから”って頑張るのはやめよう。
長続きしない努力したって仕方ないし。
結婚する時にそう提案したのは丹羽だ。
結婚!と浮かれ調子の亜季が、突っ走って躓く事を予測した彼の防御策。
毎日夕飯を作る必要は無いし、食事の時間も無理に合わせなくていい。と丹羽は言った。
亜季も丹羽も役職付きなので、急な残業や会議で時間が読めない事が多い為、予め予定を立てにくい為だ。
お互いが、ちょっとずつ譲り合って、無理せず暮らせるようにしよう。
食事は週末一緒にすればいいし、家事は出来る時に出来る方がやればいい。
”~しなくてはいけない”って考え方はやめよう。
始める前から、くたびれるから。
亜季の結婚生活への憧れをきちんと汲みつつ、上手にお互い暮らしやすい夫婦生活へと導いた丹羽の手腕は確かだった。
おかげで、亜季は結婚してからも変わらないペースで仕事をこなせている。
夫婦揃っての食事は週の半分程だし、全く顔を合わせない日も珍しくないけれど、家庭は円満だ。
元から得意ではない亜季が、手が空いた日に、ちょっと気張って夕飯を作れば、丹羽は手放しで料理を誉めた。
順風満帆の夫婦生活は、丹羽の細やかな気配りの賜だ。
夕飯の片づけを買って出た夫に代わってソファでのんびり寛いでいると、食器洗いを終えた丹羽がコーヒーとジェリービーンズを持って戻ってきた。
「淹れてくれたの?」
「甘いものにはいるかな、と思って」
「・・・ほんっとに、岳明って結婚しなくても生きていける人だと思うわ」
「え?それどういう意味?俺との結婚生活に不満とか?」
「違うわよ!そんなわけないでしょ!満足どころか大満足よ!申し訳無い位幸せよ!寛容で優しくて気が利く旦那様で文句なし」
「そんなに誉められると照れるな」
はにかんだ丹羽がジェリービーンズの袋を開ける。
啄む様なキスを受けて目を瞑れば、瞼と頬にも丹羽の唇が下りてきた。
そういえばただいまのキスしてなかったよね、と言われて、頷くと同時に唇を塞がれる。
誘うような情熱的なキスも、触れるだけの優しいキスも、亜季にはどちらも甘い。
「だって、ほんとのことでしょ・・・あたしには勿体さなすぎる・・・あ、だからって捨てないでね、離婚は無しよ」
「はいはい、可愛いコトいう奥さんには苺味をあげようね」
笑った丹羽がピンクのジェリービーンズを亜季の唇に押し当てる。
薄く開いた唇の間から滑り込んだそれを噛むと、じゅわっと蕩けるような甘さが口いっぱいに広がった。
「どう?お味は」
「・・・岳明みたい」
「え、俺?」
怪訝な顔をした丹羽に抱き着いて亜季が笑う。
「苦味も辛みも一切なくて、ただ、甘いだけ。癖になる位、あたしには最高の味って事」
「それは、もっと甘やかしてって意味?」
「え!いえ、もう十分!」
反射的に首を振った亜季の短い髪を撫でて、丹羽が悪戯っぽく笑う。
「そこで、もっと甘やかしてって言ってくれればいいのに」
「・・・だって」
「言えないの、知ってるよ」
俯いた亜季の額に丹羽が笑ってキスをした。
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