第27話 番い結び
お祝儀袋、大活躍してきました。
これまで何人の友人や後輩を見送ったことか。
別に意味なんて気にしたこともなかった。
だけど。
「呆けちゃってーえ」
肩を叩かれて振り向くと、ワイングラスを二つ持っている佳織の姿があった。
亜季は微笑んで白ワインを受け取る。
「呆けてないってば。幸せそうな新婚カップルを見ていいなーって微笑ましく思ってたの」
「なーに言ってんのよ」
顔を顰めて佳織がグラスを傾ける。
軽く鳴らしてから口に含んだ。
上品な甘さが広がる。
行きつけのダイニングバーに場所を移しての二次会は大盛況だ。
国際部の仕事が落ち着いて、部署を上げての相良の結婚祝いの飲み会に、ぜひとも工程管理を代表して参加を!と依頼された時には、あー憂鬱だと思っていたけれど。
視線の先では相良と暮羽がひっきりなしにやってくる同僚に囲まれて談笑中。
営業部代表でやってきた樋口は、同期と話しこんでいる。
「気分は?」
佳織に問われて、亜季は即座に応えた。
「感無量」
「うっそ」
「ホント。気持ちいい位晴れ晴れした」
「はー・・そう・・」
笑って佳織がグラスを空にした。
「あんたって意外と恋にまっしぐらで周り見えないタイプだったのねー」
「そう?結構冷静なほうだと思うけど?」
「冷静な女が交際したその日に朝帰りしたりしませーん」
「ちょ・・・」
「勢いで盛り上がっちゃった?」
「・・分かんないわよ・・」
19やハタチの小娘じゃあるまいに。
軽い気持ちで外泊出来るような年じゃない。
けれど、あの時はそんな事何にも考えられなかった。
半分以上言葉巧みな丹羽のせい、という事にしておくけれど。
最後に頷いたのは、他ならぬ自分自身だから。
「手を・・ね」
「手?」
「そう・・久しぶりに誰かと手・・繋いだから・・離れたくなくなったのかも」
「丹羽さんとは、上手くやってけそう?」
「うん・・たぶんね」
「勢いで走って失敗しました!とか言わないでよ?」
「もう走り出しちゃったわよ」
スタートダッシュ切ったのは自分。
ゆっくりじゃなく、埋めたくなったのだ、ふたりの距離を。
多分、勢いで行かなきゃ燻って、あのままズルズルしていたから、これで良かったのだと思う。
繋いだ手。
耳元で聞こえた言葉。
甘い吐息。
おやすみの声。
この人の寝顔が見たいって思っちゃったんだもん。
「わー・・もうやだ」
「え、なに?どしたのよ?」
「今更めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ったの思い出した」
一瞬丹羽の手が自分から離れた瞬間急に不安になった。
「・・離さないで・・」
必死に言ったと思う。
そうしたら、丹羽が困ったように笑って
「大丈夫だよ」
と亜季の髪を何でも撫でた。
生まれて初めて髪を伸ばしたくなった。
この人にもっと触れて欲しくて。
「わー・・女の子ぉ亜季ちゃーん」
「うっさい、黙れ」
逃げるように吐き捨ててワイングラスを煽る。
喉を抜けていくアルコール。
すでにちょっと酔っているかもしれない。
「あたしが一番信じらんないのよ」
すとんと隣にいる佳織の肩に凭れる。
火照る頬を擦りつければ、よしよしとあやすように頭を撫でられた。
今も、昔も結婚しても、彼氏が出来ても一番近しい相手は佳織だけだ。
けれど、もうすでにあの男の手との違いを感じている時点で、とっくにこの恋にハマっている。
「いい変化よ、それ」
「そーかなー・・自分の気持ちが面倒くさくて困る」
「どういう風に?」
「カレンダーの日にちをね・・数えちゃうわけよ」
「え・・あんた・・もしかして・・」
慌てたように佳織が亜季の顔を覗き込む。
別の意味に取られた事に気づいて亜季が笑って首を振る。
「違うってば。そこまで愚かではない」
「あ・・そーなの・・そりゃそうか。いくら恋愛中は盲目でもそこはちゃんとやんなさいよ?大人なんだから、いきなり妊娠とか駄目よ」
「知ってるってば。それ位の良識はあります。親慌てさせるつもりもないし。だからね・・・次に会えるまで後何日だなーって・・・そういう事を無意識に気にしちゃうのよ」
まあ、あの親なら良くやったさっさと籍入れろとお尻を叩いてきそうだが、そうなると色々困るのは他でもない亜季自身だ。
まだまだ仕事は続けたいし、始まったばかりの恋のその先は、当分考えずに今はただこの甘ったるさに酔っていたい。
「あー・・そっちかー」
「そりゃーあんたたちは社内恋愛で社内結婚でいつでも会えるかもしれないけどさ」
「不安なの?」
付き合い始めたばかりなのに少しでも亜季が不安に思っているならそれはゆゆしき事態だ。
亜季の幸せに影を落とす何かがあるならそれは丹羽を問い正してでもやめさせたい。
真剣な表情で身を乗り出した親友想いの佳織に、ぽつりと弱音を吐きだす。
「恋しいんだもん・・信じられないことに」
「ちょっと・・・泣きそう・・」
佳織の答えに亜季の方が思い切り狼狽える事になった。
「なんでよ!?」
「だって・・あんたの口から恋しいなんてさー・・もうやだ、親の心境よ」
「かーおり・・やだ、本気で泣かないでよ」
目頭を押さえる佳織を抱き寄せて、今度は必死に背中を撫でる。
こんなに涙もろい佳織は珍しい。
「お前ら飲んで・・・どうした!?」
カクテルを運んで来た樋口が涙目の妻を見て大慌てで駆け寄って来る。
最愛の妻が決して外で取り乱して泣くようなタイプでないことは夫である樋口が一番良く知っている。
「こうへいぃー」
「大丈夫か?ん、佳織どした?」
「ごめん、あたしのせいらしい」
困り顔で言って亜季が佳織の身体をそっと樋口に預ける。
半ば酔っている佳織がすんなり腕の中に収まって、樋口が珍しく驚いた顔になった。
「喧嘩したのか?」
「まさか、あたしが無事に彼氏が出来て嬉しいんだってさ」
「は?・・嬉し泣きかよおい」
グラスを2つ樋口の手から受け取って片方をサイドテーブルに載せる。
そして残りを手に取った。
「モスコミュールな」
「うん。樋口はあたしと佳織の好きな物良く知ってるわよね」
「そりゃー長い付き合いですから?」
「・・そっか・・うん・・そうだね。ちょっと電話してくる。佳織、頼んでもいいよね?」
「いいよ、相良もさっきから捕まってるから」
「よろしく」
モスコミュールを一口飲んで、フロアを抜ける。
一次会は部長クラスも参加していたた為、座敷のある小料理屋だったが、半地下のダイニングバーを貸し切っての二次会はゆっくり電話をかけるには外に出るしかない。
時計を見れば21時過ぎだった。
もう家に帰っているだろうか?
それとも飲みに行っているだろうか?
急に電話をしたらびっくりするかな?
火照る頬を押さえつつ、ドキドキしながらコール音を聴く。
3コールの後で丹羽の声がした。
「もしもし?」
「あたし・・・あの・・」
「亜季」
「あのね・・」
「うん、まだ二次会でしょ?飲み過ぎてない?」
聞こえて来た柔らかい声に、身勝手に心臓が跳ねる。
こちらを気遣う問いかけに、見えない事を忘れて子供の様にこくこく頷いてしまう。
「だ・・大丈夫よ。ちょっとだけ抜けて来たの・・どうしてるかなーって思って」
「さっき夕飯食べに外出たよ。作るの面倒になってさ」
「そう・・あたしはねーワインとカクテル飲んだとこ。お酒の種類が多いのがバーのいいとこよね」
「油断しないでよ?」
「歩けなくなったらタクシー拾うから平気」
「またそういう事言う」
くすりと笑った丹羽が、それなら、と付け加える。
「ウチ来るなら迎えに行くけど?」
考えるまでもない。
いつも抱きしめて欲しいのはあたしだ。
「んー・・っと・・じゃあ・・会いたいから迎えに来て」
亜季の必死の一言に丹羽が苦笑を返す。
「酔うと素直なんだからなー」
分かったよと鷹揚に答えた声に、愛しさが増したことは、亜季だけの秘密だ。
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