第114話 理不尽吹き飛ばす程の愛を下さい

「理不尽に理不尽っつって何が悪いのよ!!」


「そーよそーよ!」


「調整はそちらの仕事ですよね?って何様!?阿吽の呼吸で毎回やり繰りしてると思ってんのか!?根回しと情報操作で必死に回してんのよ!昨日今日やって来たボンボンに何が分かるっての!?あなたが、あの、噂の山下さんですか、って何!?どうせお局とか女帝とか魔女とか言われてんでしょ!?知ってるわよ分かってるわよ!自分の立ち位置も評価も見た目!!全部分かっててこれが一番仕事しやすいんだからしょーがないでしょ!?」


ダアン!と叩きつけたビールグラスから飛び散った泡を無言でおしぼりで拭きとりながら、佳織がうんうんと頷く。


今日の荒れっぷりはいつにも増して凄まじいが、理由が理由なだけに止める事は出来ない。


むしろもっと暴れてストレスを発散してしまえと佳織は思っていた。


慰めるようにポンポン肩を叩かれた亜季は、酔いのせいで潤んで来たのだと自分に言い聞かせて、目尻を指先で拭う。


「まじで殴らなかった自分を褒めたい」


志堂の一族子会社から、役員を1名、2週間本店視察として受け入れると連絡を受けた時には、お偉いさんが来るのか、位の軽い気持ちだった。


まさか、とんだポンコツの海外帰りのボンボンがやって来るとは思いもしなかったのだ。


事あるごとに英語混じりの質問を投げられて、ああだこうだとどうでもいい提案を並べまくるので、只でさえ辟易していたというのに、亜季が担当してる納期管理にまで口を挟んで来たのだ。


挙句アメリカでのやり方はこうじゃないとかウンチクまで垂れ始めた時には、手にしていた書類をぐしゃぐしゃに捩じり込んで怒りを抑えた。


トイレに行って見た自分の顔の酷さに、こんな般若面で帰れない!と、佳織に泣きついたのだが、愚痴っても愚痴っても怒りが次々湧いてくるのだ。


それはもう底なし沼のように。


お願い、飲みに行こう、二人で。


短いメッセージに即答でOK!と返してくれた佳織が、忙しい仕事を必死に捌いてくれた事を知っているので、申し訳なさと有難さは倍増だ。


4分の1程残ったビールグラスをそっと亜季から遠ざけながら、佳織が馴染みの居酒屋の古びた木造りの天井を見上げる。


「どうせ本店視察も来週いっぱいでしょ?あとちょっとの我慢よ。みんなどっちが正しいかなんて分かってるわよ。亜季だから、工程管理を回せてるの。亜季だから、みんな多少の無理も頼めるの。亜季だから、頼りにされるの。あの二世は本気で使い物にならないって紘平も漏らしてたわ。父親の方からは、親族のコネでなんとか本店の役員席を開けて貰えないかって打診が来てるらしいけど、専務始め上役もそっぽ向いてるって話。英語だけは堪能らしいから、最初は海外事業部で面倒見ろって言われたみたいだけど、事前情報が入ってたから相良は裏から手を回して、新規プロジェクトで忙しいから受け入れ不可って蹴ったって言ってた。いわくつきのバカ息子なのよ。生産部門はハナから話聞かない堅物オジサマ組ばっかりだから、ろくに説明も聞かずに受け入れちゃったんでしょう。現場さえ荒らされなきゃいいって職人気質の人たちの集まりだから、お鉢が回って来たとはいえ、きつかったわね。こびへつらうならまだしも、視察で現場に口出すとかマジでないわよ」


「そんな問題児だったのかアレ・・ちらっと現場見て後は親族会連中のご機嫌取りで不在と思ってたから、そっちの情報まで引っ張ってなかった・・・手落ちだわ、完全に」


国際映画祭で有名女優から着用するダイヤのネックレスの納品が迫っており、納期調整で連日ばたついていたので、日課になっている社内ネットワークへの干渉がさぼりがちになっていた。


一番注意するべきはこっちだったのに。


「あームカつく。なんなのよ。寝て起きたら受け入れ期間終わってないかな・・・」


「魔法が使えたらそうしてあげたいけど、現実的に無理だから。でもね、一個、これはポンコツに結構なダメージを与えられる情報があるんだけど」


「え、何!?聞く、すぐ聞く!」


親友の言葉に身を乗り出した亜季の鼻先を突いて、佳織が不敵に笑う。


優雅に左手を持ち上げて亜季の前で開いて見せた。


「明日、あんた丹羽さんから貰った婚約指輪付けて出社しなさいよ」


「・・はあ?なんでわざわざ。高いし石でかいし、落ち着かないのよあれ」


「んふふー駄目、絶対付けて行って。ボンクラ息子様、婚約破棄ての傷心帰国らしいから。私、すっごく主人に愛されてるんです、私生活も超順調なんですってアピールすんのよ!


今週あんた磨きに出した結婚指輪取りに行ってないでしょう?」


指摘された左手は確かに空っぽのままだった。




★★★★★★★



「泣いて怒って、落ちついた・・?」


店の前で停まった車に乗り込んだら、丹羽が眦を柔らかくして迎えてくれた。


何杯目かのお代わりを頼んで、トイレに行っている間に佳織が呼んでいたらしい。


私は電車で帰るから、丹羽さんによろしくね!と取りつく島もなく駅に向かってしまった親友の顔を思い浮かべる。


「佳織かー・・」


迎えを呼んでくれるのは有り難いけれど、余計な事まで言わなくていいのに。


伸びて来た温かい指先が短い襟足を撫でる。


「今日はとにかく労わって甘やかしてやってくださいってメッセージが来たけど・・・後、追加で希望ある?」


「なに、その至れり尽くせりプラン」


「疲れたろ?」


「やだ。いますっごいブスだから、こっち見ないで。帰るまでには落ち着くから」


「俺も愚痴位聞けるし、結構色んな亜季を見て来たつもりだけど?」


出会い頭から、喧嘩を吹っかけたのは自分だから、何も言えない。


でも、言いようのない憤りで悶々とする様は、一番好きな人にはやっぱり見られたくはない。


黙り込んだ亜季の頭をよしよしと撫でて、丹羽が優しく言った。


「どんな亜季でも嫌いになったりしないよ」


グサリなんて言葉じゃ形容できない。


心臓を一突き。


呼吸が止まりそうになった。


丹羽は時折、亜季の心を鷲掴みにするだけじゃなく、思い切り揺さぶりかけて来る。


「もう・・・不意打ちでそういうのやめて、ほんとに今は・・」


佳織の前で愚痴と一緒に零した涙で最後だと思っていたのに。


「明日はしまい込んでる婚約指輪絶対付けて出勤させてください、とも書いてあったけど?社内で口説かれでもした?」


飛んで来た的外れな問いかけに、思わず笑みが零れた。


「・・・あのね、岳明。あたしを口説こうなんて度胸のある男、あの会社にいるわけないでしょ?工程管理に山下ありって言われるようなお局様よ?」


「ああ、そういえばそんな事言ってたな・・・じゃあ、猶更こっちの亜季は貴重だ。自己評価が低いのは今もどうかと思ってるけど、でも、鈍感なのは、安心材料でもあるよな」


良く分からない独り言を言った丹羽が、ヒールを脱いで座面に味を上げて膝を抱えた亜季の肩を抱き寄せる。


傾いた身体が、丹羽の身体に受け止められて止まる。


包み込むように頭を抱え込んだ丹羽が、髪の上からキスをした。


「ここには俺しかいないんだから、戦う必要ないよ。


張りつめて無くていい。


大丈夫だから、ちゃんと吐き出して」


「視察で来てる子会社の役員にコケにされたの、それだけ」


「・・ああ、だから、婚約指輪。なら、もっと石大きいくて目立つのにすれば良かったな。そうしたら一目で亜季が売約済みだってわかるのに。そういえば、結婚指輪まだ戻って来てないな」


「忙しくて引き取りに行く暇がなくって・・明日行く」


「明日、送って行こうか?」


「は、なんで?」


「だってその方が効果ありそうだろ?」


膝を抱いたままの亜季の左手を持ち上げて、空っぽの薬指にキスをする。


「お局じゃない山下亜季がいる所、見せつけてやればいい」


「冗談でしょ。絶対嫌よ。指輪はちゃんと嵌めていきます」


ぎゅっと握りしめた拳を上から包み込んで、丹羽が横顔に唇を寄せる。


擦ったせいで赤くなった目尻に触れた唇が、頬を辿った。


「でも、その調子じゃ明日の朝顔浮腫んでるんじゃないかなー?」


「・・うっ・・それは・・」


お酒と涙の相乗効果はきっと絶大な威力を発揮するだろう。


マスクして通勤電車に乗り込む自分を想像してげんなりしてしまう。


「車で行く?」


丹羽の問いかけに、今度はちゃんと頷いた。


「お願いします」






翌朝、ビルの前で待ち構えていた佳織と、紘平の立ち話で引き止められていたボンクラ息子が、亜季の出社を迎えた。


「亜季ーおはよう、待ってたわよ!丹羽さんも、朝から送って来るなんてほんっと愛妻家ですね!」


「ここ最近疲れてるみたいだったから。ほら、カバン貸して。足元気を付けて」


「え、あ・・はい」


わざわざ車を降りて助手席のドアを開けた丹羽の差し出された手に捕まりながらも戸惑いを隠せない亜季とは裏腹に、丹羽は終始営業スマイルを浮かべている。


「遅くなるなら連絡、ちゃんとして」


「わ、わかった」


「じゃあね、また夜に」


カバンを手渡すついでに婚約指輪にキスをするサービス付きで、亜季は唖然としてしまった。


微笑ましい夫婦を横目に、これ見よがしに二人の惚気話を披露する紘平と佳織の完璧なコンビネーションが功を奏して、それから残りの視察期間、亜季が理不尽な嫌味にさらされる事はなかった。


事の次第を佳織から聞いた丹羽が、新しい指輪を亜季にプレゼントするのはまた別のお話。

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