第6話 二度目まして
丹羽に連れられて店の奥に進むと4人掛けのテーブルに座っていた男が顔を上げた。
「大丈夫だったのか・・?あれ・・知り合い?」
困り顔のままで丹羽が亜季に向かって自分の隣の椅子を指し示す。
「えーっと・・俺の上司の緒方さん」
「・・はじめまして。突然お邪魔してすみません。山下と申します」
腰かけながら頭を下げて挨拶をする。
なんとも摩訶不思議な状況だが、乗りかかった舟だ、仕方ない。
緒方は亜季の顔をちらっと見て記憶を手繰り寄せるように難しい顔になったが、すぐに真顔に戻った。
「緒方です。丹羽の・・・ご友人ですか?」
営業モードの笑みを浮かべながらそれとなく問いかけられて、亜季は思い切り否定した。
「いえ、ただの知り合いですっ・・あの・・この間・・・お食事会で・・」
思わず声を荒げた亜季が、慌てて付け加える。
ここで合コンとかいうのは憚られた。
緒方と丹羽の社内での詳細な関係性が見えない以上余計なことは言わないに限る。
亜季の言葉を受けて緒方がにっこりと微笑んだ。
ビール瓶を持ち上げて見せる。
どうやら的を得た答えであったらしい。
「そうなんですか。この店、雰囲気もいいし良く使うんですけど。滅多にああいう客は来ないから。運が悪かったと思って気にしないほうがいいですよ」
「・・・あ、すいません・・・」
丹羽が店員から受け取ったグラスを亜季に手渡してくれた。
並々と告がれる琥珀色の液体を見ながら亜季はそうなんですねーと愛想笑いを浮かべる。
何となく、丹羽に”振られ女”と思われるのは癪で素直に今日の経緯を口にしてしまう。
「女友達と約束してたんですけど。急な残業が入ったらしくって・・」
「そりゃー残念だったなぁ」
うんうんと頷いて緒方がビールを煽る。
その気易い口ぶりに、亜季も少しずつ緊張がほぐれてきた。
こういう人が上司だったら職場の雰囲気も良くなりそうだと勝手に想像してみたりする。
亜季の直属の上司は、技術畑の古い人間なので差し飲みは勘弁して欲しい所だが、丹羽と緒方のやり取りから見るに、仲は良いようだ。
「それなのに、あのおじさんが勘違いして声掛けてくるから・・・そのまま帰り辛くなっちゃって・・あの、丹羽さんのおかげで助かりました」
この前とは打って変わって素直な言葉を口にした亜季に、隣でビールを飲む丹羽が一瞬目を丸くする。
「いいえ。どーいたしまして。この間は、俺も悪かったし」
往来で盛大に怒鳴られた記憶しか残っていない丹羽にとっては、通常モードの亜季は違和感の塊のように思えるだろう。
が、知った事かと開き直る。
「・・・あ、いえ・・気になさらずに」
当たり障りない返事を返して、その話題はこれで終了とばかりにビールを煽った。
「山下さんは志堂本店に?」
”志堂”のグループ会社の社員はみな親元である”志堂”のことを”本店”と呼ぶ。
「そうです。ジュエリーの作成を管理する部門に勤めてます」
「へー・・宝飾品かぁ」
「そうだったんだ」
頷いた緒方に続いて丹羽が同じようなリアクションを返してきてイラっとした。
「・・・前に会った時、言いませんでしたっけ?」
自己紹介位はしたはずだと思う。
一応名目上”合コン”なのだから。
「・・・聞いたかもしれないけどね」
「・・・」
ムっとした亜季が胡乱な視線を丹羽に向ける。
と、丹羽が呆れ顔で言った。
「一緒に来てた子たちとは別の部署ですってことしか聞いてないよ」
「・・・・あ・・」
そう思ってみれば、わざわざ詳しく自己紹介することもないと適当に受け流したような気がする。
彼らの目当ては最初から営業部の綺麗どころなのだから不要なアピールする必要もなし、と決めて掛かっていた。
不穏な気配を感じ取ったのか緒方が再び亜季のグラスにビールを注ぐ。
これ以上前回の話は引きずらない方がお互いの為になる、そう判断したらしい丹羽がグラスを戻して言った。
「山下さんって焼酎は?」
「最近飲み始めました。昔からビールばっかりだったんで、種類とか詳しくないです。ここは和リキュールが美味しいって聞いたからそれを試しに来たんですけど」
「ああ、なんか女の子に人気らしいね」
俺は飲んだことないけど。と前置きして丹羽がメニューを取り出す。
広げられたアルコールのページには、杏、桃、ゆず、沢山の話題の和リキュールがずらりと並んでいる。
「こんなにあったんだ・・」
尚更この間の合コンを途中で抜けたことが悔やまれる。
費用は男性陣が持つという話だったのだから、些細なアクシデントは無視して居座れば良かった。
「どれにする?」
「・・・えっと・・・」
これだけ種類があると即座には決められない。
ここに佳織が居たら、気になるものをいくつか選んでちょっとずつお試しなんかもアリだが、目の前に居るのは知り合いですらないほぼ赤の他人だ。
「悩む?」
「悩みますね・・・」
頷いた亜季に替わって、丹羽がホールに出ていたアルバイト店員を呼んだ。
「和リキュールって、お勧めなにかな?」
「そーですねー。最近は杏が人気です。あれ、見た事ないお連れ様ですね」
緒方と丹羽を交互に見た店員に向かって先に緒方が首を振る。
その視線を受けて、丹羽が当たり障りない笑みを返した。
亜季について言及することは無く、メニューを指さす。
「杏が人気らしいけど」
「じゃあ、それで・・」
「かしこまりました」
行儀よく返事をして、興味津々の視線を残しながら店員が奥へ下がって行く。
馴染みの客が、見知らぬ女性を連れてきたらそりゃあ気になるだろう当然だ。
が、丹羽と亜季の関係性に名前なんて存在しない。
「いつもビールばっかり?」
「ワインも飲みます。カクテルも・・日本酒もちょっとなら」
「へぇー・・」
曖昧な返事をした丹羽の携帯が震えた。
「あ・・やべ・・」
「どうした?」
「次長から・・ちょっとごめん」
顔を顰めて丹羽が席を立つ。
「俺も一緒に接待って言っとけよ」
店の外に向かう丹羽の背中に緒方が声をかける。
それに右手を上げて返事して、丹羽は店から出て行った。
「申し訳ない。暇さえあれば、飲みに誘う上司がいてね」
「ああ・・営業さんは大変ですね」
亜季も職場で、樋口や相良を見ているので、付き合いの大切さと大変さは分かっているつもりだ。
営業部も国際部も酒豪が揃っていたので、新入社員の頃は潰されて二日酔いの頭を抱えてげっそりしながら出勤していた。
思い出して小さく笑った亜季を見て、緒方が不思議そうな顔をする。
「丹羽(あいつ)いないほうが柔らかい顔するなぁ」
「え・・・」
「初対面が最悪だった?」
亜季と丹羽の初めましてを知っているかのような口ぶりに、背中を冷や汗が伝った。
そんなわけないとは思うものの、丹羽に対する信用なんてかけらも抱けない。
「・・・そんなことは・・」
慌てて作り笑いを浮かべて誤魔化す。
人の気持ちにずかずか入り込んで来る無遠慮な人だと思いました、なんて口が裂けても言えない。
亜季の表情を見て緒方がおもむろに口を開いた。
「丹羽がお節介焼くのなんて見たことないんだけど」
「・・・」
「基本、誰にでも優しいし愛想もいいけど。こういう場所で、いっぺんだけ会った相手をわざわざ助けるほどマメでもないよ。まして、一緒に飲むなんてありえない」
「・・・」
言いたいことが分からない。
それは、こないだのことがあるから負い目に思ってるんじゃないんですか?
思わず言い返しそうになってぐっと留める。
「それはどういう・・・」
「丹羽はモテるけど、適当な奴じゃないから」
「私には一切関係ないです」
突っぱねる亜季に向かって緒方が有無を言わせぬ笑みで告げる。
「あいつの人となりは、新入社員の時から良く知ってる」
「そうですか・・」
そう言って届いたばかりの和リキュールを勢いよく飲んだ。
程よい酸味と甘みが口いっぱいに広がった。
こういう状況でなければもっと味わって美味しさに浸れたことだろう。
「丹羽さんがどんな人でも、関係ないです」
まったく、これっぽっちも、自分の人生にはかかわりが無い。
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