第15話 誘惑
話を聞いてさんざん笑い転げた佳織には鉄拳制裁を加えた(お茶を奢らせた)のでひとまずは良しとする。
それよりも、問題は別のところにある。
これからのコトだ。
亜季は至極真面目な顔で佳織に言った。
「ねえ・・からかわれてるよね?」
どう考えてもこの事態は可笑しい。
山下亜季はそもそもそういうキャラじゃないのに。
「さぁ、本人に聞きなさいよそんな事」
「・・・嫌だ」
「なんでよ」
「からかわれてるって分かり切ってるのにそれをなんでイチイチ確かめなきゃなんないのよ。馬鹿げてる。ほっときゃいいのよ。そーよ。そのうち向こうも飽きて別の遊び相手捕まえるわよ。うん、そうだ、そうしよう」
1人でブツブツ話す親友に向かって佳織が笑いながら問いかける。
「あーもしもーし、あーきーちょっとねえ、聞いてる?」
「なに?ご意見無用だけど?」
「いや、意見は言ってない。てか、言ってもあんた聞きゃしないでしょーが」
「・・・」
「ひとりで喋ってひとりで答え出してたら世話ないわよ」
「・・ごめーん・・」
「悩むと無限ループでなかなか浮上出来ないんだから。タチ悪いハマリ方すんじゃないの。この空元気め」
ぴっと額を弾かれて亜季はバツが悪そうに顔を俯かせた。
「・・・ごめん」
「相良との飲み会がそんなに気づまりか?」
「そんなこと」
「はーい。意地張んない!」
「・・・」
相良の結婚と、樋口と佳織の結婚をお祝いする、という理由で久しぶりに同期で飲み会をすることになった。
仲間内でずっと繰り返されてきた恒例行事だ。
結婚、出産、昇進、転勤、とにかくなにか集まる理由を見つけては飲み会を催してきた。
これまでは、会えるのが嬉しくてたわいない会話が楽しくて、仕方なかった。
けれど、今回は違う。
相良の結婚祝い、という大名目が亜季の心を重たくする。
今回は、新妻の暮羽も同席させようと誰かが言い出して、相良は妻同伴で飲み会にやって来るのだ。
毎回結婚祝いの度に、夫婦の慣れ染めから結婚に至る経緯をサカナに酒を飲んで笑う。
大切な仕事仲間が幸せになるのだから、本来ならこんなに嬉しい事は無い。
「行かないでいようと思ってたんだけどさ」
「そういうわけにはいかないでしょ」
同期の中でも相良、樋口、佳織、亜季の4人は入社当時から特に仲が良かった。
出席しないとなれば角が立つ。
きっと相良は余計な心配をする。
万が一にも自分の気持ちがバレるようなヘマは避けたい。
何としてでも絶対に。
「うん、相良、気づいてた」
「へ!?」
ぎょっとなった佳織が身を乗り出して来る。
「あー違う違う」
別の意味に取った佳織の心配そうな顔を見返して亜季が笑う。
「誘っても忙しいって最近付き合い悪いからさ、忙しくしてるのはあたしのほうだって」
「あー・・そゆこと」
「確かに、色んな理由付けて飲み会避けてたし・・もちろん、忙しくもあったわよ?システム変更でバタバタだしさ」
「うん・・」
「でも、相良が・・・」
亜季が視線を佳織から外した。
窓の外、もっと遠くを眺めてからゆっくり息を吐く。
「あたしがいないと盛り上がらないから寂しいってさ」
「・・・・さーがーらー・・」
低い声で佳織が呻いた。
なんて殺し文句。
純粋な”仲間意識”それゆえに亜季の心をこれでもかと強く揺さぶってくる。
本人は完全無自覚なままで。
「他意ないの分かってるのにさ。・・・悔しい位、嬉しくなっちゃって」
「あんたもー」
「友達って自分で決めたのにねー。言わないって決めたのも自分だし。このままっての望んだのも自分だし。だから、何も言う権利ない。オメデトウって心底言えなきゃ意味無い。相良が友達って認めてくれてる以上あたしは胸張ってアイツの同期でいたいのよ。一部の隙も狂いも無く、ちゃんと仲間でいたいのよ」
「あんた、どこまで男前なのよ」
呆れた口調で佳織が言って亜季の髪を優しく撫でた。
佳織のようなロングヘアに憧れた時期もあったが、我慢しきれずに毎回切ってしまって、結局ずっと短いままの髪。
亜季らしいね、似合うね、と言われる度照れくさくて嬉しくて、けれど、潔すぎる自分が、少しだけ悲しい。
短いショートボブの滑らかな髪を指で梳いて佳織が笑う。
「しんどくなったら言いなさいよ?」
「うん」
「現実逃避する前にね」
★★★★★★
飲み会はもう明日に迫っていた。
時間と元に胸に押し寄せる暗い感情、それは嫉妬というよりは不安に近かった。
相良の前で本当に友達の顔で笑えるだろうか?
佳織に強がりを言った手前、泣きごとは言えない。
敏感な佳織のことだ、何も言わなくても態度の違いに気づく。
だから、決して気を抜けない。
完璧に”仲間を祝福する山下亜季”でいなくちゃいけない。
当日の事を考えると怖いから、必死に別の事を考える。
極力相良とは無関係の事。
となると、プライベートはここ数年なにも変化のない亜季が思いつくことは、不本意ながら丹羽のことだった。
挑発とも、冗談とも、本気とも取れる、逆にいえば、全く真意の見えないあの台詞。
もともと考えの読めない男だった。
本音を零さないところは亜季に似ているかもしれない。
あれはきっと冗談だ。
こっちの反応を見て楽しんでいるのだ。
きっと丹羽の周りにはいない珍しいタイプの女だったから。
社内にずるずると片思いする相手が居てけれど告白する勇気もなくて、割りきったふりして大人ぶって必死に強がる亜季が、きっと滑稽でおかしかったのだ。
だから、彼は近づいた。
けれど、それもすぐに終わる。
いや、もう終わらせる。
そうして、静かなこれまでの日常を取り戻せる。
相良を祝福して、笑顔でおめでとうと言って、何もかも全部終わらせたら、当分、恋はしない。
★★★★★★
「・・・か? どうしたんですか?」
耳元で声がして、亜季は我に返った。
右横で後輩の庄野が怪訝な顔をしている。
庄野の声でここが打ち合わせの会議室であることを思い出す。
配られた資料にはさっきから同じところに意味のないボールペンの印がついている。
「あ・・ごめん・・」
心ここにあらずな亜季の異変に気付いた丹羽が向かいの席で告げた。
「じゃあ、今日はここまでにしましょうか。質問はメールで頂ければ対応します」
「・・すみません」
情けない気持ちいっぱいで俯いた亜季の横で、先に荷物を纏めた愛がちょっと電話してきますと言って席を立つ。
頃合いを見計らったように丹羽が首を傾げた。
「上の空だけど、何かあった?」
「丹羽さんには関係ない」
視線を上げずに冷たく応える。
不用意な事を言えば、この男にさらに色々見透かされそうで怖いのだ。
これ以上踏み込んでくれるなと明確な境界線を引いたのに。
「じゃあ、どうやったら関係ある場所に行かせてくれる?」
「は・・・?なにを・・」
心臓が大きな音を立てる。
足先から力が抜けてしまいそうになる。
落ち着いて、これは違う。
揺れるな躱せ。
「何て言ったら口割るの?」
こちらを覗き込んで告げられた一言は、言葉自体は疑問形だけど、言い回しは少しも伺っていなかった。
むしろこれは殆ど命令だ。
ここまで丹羽が強気に出る理由が分からない。
「割るわけないでしょ」
振り切るように言って立ち上がる。
また逃げるんだ、と思ったがそれ以外の答えが見つからない。
けれど、その腕を掴んで止められた。
振り向くのが怖い。
けれど、そんな自分を悟られたくなくて必死に口角を持ち上げる。
穏やかに離して、と言おうとした矢先。
「意地張るのは勝手だけど」
呆れ口調が降って来て、頭に血が上った。
「ならほっといて!」
何にも要らないって言ってるのに。
何にも欲しくないのに。
こんな風にされたら自分の居場所が分からなくなる。
「じょ・・冗談でもやめてよ。余裕無いの。考えたくないの。あんた見てると、あたしがこれまでやって来た事みんな無駄だったんじゃないかって思えて来るの!そうやって、思ったこと口にして気持ちぶつけてたらって思っちゃうのよ!だからもうほっといてよ!」
一番見られたくないところばかりどうしてこの男の前で曝け出してしまうのか。
必死に腕を振り払おうとしたけれど、丹羽はそれ以上の力で亜季の腕を掴んでいた。
「本気でほっといて欲しいなら、心底平気って顔してよ。俺に付け入る隙見せんなよ」
柔らかい一言はけれど鋭く亜季の胸に突き刺さった。
本当は誰かにすがって泣きたかった事を、丹羽は綺麗に見抜いていた。
向けられた好意に甘えてしまいたくなった浅ましい自分の都合の良い我儘だ。
気づいて亜季は羞恥心で赤くなる。
別の意味で泣きたい。
「・・・遊び半分や冗談で恋愛ごっこなんか出来ない」
適当に誰かで代用出来るならこんなに引きずってない。
悩んでない。
思ってない。
「冗談じゃない」
降って来た答えに、反射的に腰が逃げた。
どう考えても恋愛経験値に雲泥の差がある。
「だ・・・だったら余計困る」
こんな人が本気だなんて間違いなく手に負えない。
逃げらんない。
逃げ切れる自信がない。
「違うでしょ?」
「なにが?」
「本気でも冗談でもどっちも困るって言いながら本音は別のとこにある」
丹羽がゆっくり亜季の腕を離した。
「そんなのどっちでもいいからとにかく慰めて欲しかったんじゃないの?」
亜季の辛い気持ちは分かるよ。切ない片思いだったね。ずっと堪えてえらかったよ。
戦わなかったくせに不戦敗棚に上げて、秘める恋に泣きました。
なんて・・本当は自分で自分を守っただけ。
痛いのはイヤだから。
久々の片思いに酔ってたのはあたしだ。
同期って事で周りのファンより一歩も二歩もリードしてますなんて優越感に浸って。
佳織と樋口も込みで相良の一番の同期です。なんて自負してみたり。
このままそばにいたら、いつか相良があたしに気づいてくれるんじゃないかなんて淡い期待して。
何もかも他力本願で最後の奇跡を待ってただけの馬鹿女。
誰より一番走らなきゃなんなかったのは自分自身だ。
崖っぷちだ何だと笑いながら結局最期まで傍観者決め込んだ自分が、本当は転んでも泥だらけんなっても行かなきゃならなかった。
土壇場に来て、横からゴール奪われたからって、関係ない場所で、好意だけを理由に慰められようなんて。
そんなのはズルい。
卑怯だ。
そんな馬鹿女は情けなくて嫌だから、佳織にも樋口にも言えなかった。
意気地なしで意地っ張りな亜季自身の気持ち。
「あ・・・あんたあたしを馬鹿にしてんの?いくらあたしがどうしようもない馬鹿女でもプライドあんのよ!失恋の痛手を他の男で紛らわそうなんて思わないわよ!あんたなんて要らないの!あたしは平気なんだから!笑って祝福してみせる」
負けるな。
意地でもここで挫けるな。
唇引き結んで、丹羽を睨み返す。
見逃して、今日だけは気付かない振りして。
弱い山下亜季は要らないの。
泣いたらきっと笑えないから。
「お願い」
知らずに呟いた一言。
丹羽は呆れたような顔で亜季の目を見つめた。
祈るような気持ちで待つこと数秒。
やがて、溜め息混じりに丹羽が告げた。
「負けたよ」
その一言と同時に亜季は弾かれたように部屋を飛び出した。
決して後ろを振り返らなかった。
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