第17話 付け込んでいい?
「いやーとうとう独身も後三人かーぁ」
もう何度目か分からない乾杯の後で同期の間島が亜季の肩を叩いて豪快に笑う。
毎回宴会部長を務める男はいつだって明るくてノリが良い。
肩に置かれたままの手を遠慮なく払って、亜季は笑った。
「こっち見て言うのやめてよねー」
「いっそ余り者どうし付き合うとかどうだ?」
「何言ってんのよ!加藤もいるでしょーが。あたしが二股かけてもいいってんなら話は別だけどさー」
いつも飲み会の中盤ではこういう話題になる。
その時点で彼女彼氏の居ない者同士をくっつけようと悪ノリが始まるのだ。
「ばーか。加藤彼女いるの」
「え、うそ」
唯一の独身組三人のうち何と一人にはお相手が居たらしい。
寝耳に水の出来事だ。
工程管理は商品製作の全ての部署と連携が必要な要の部門為、どこの部署よりも他部署との連携が多い。
営業、生産、販売、経営、毎日様々な部署の者が入れ替わり立ち替わり打ち合わせと称して長居しては日ごろの愚痴やら噂話を零していくのだ。
これでも、少なくとも本社の人間関係については完全に網羅したつもりでいたのに。
「ちょっとまじで?相手はどこの子?」
「え、何、お前加藤気に入ってたの?」
ぎょっとなった間島が面白そうに身を乗り出して来る。
樋口と佳織は相良達を囲んで隣のテーブルで盛り上がっている。
新妻の暮羽は、亜季たちより随分年下なので少しでも慣れた人間が傍にいる方が心強いだろう。
樋口夫妻が極力亜季を近づけないように気を使ってくれているらしい。
「ばっかねー違うわよ。こっちの情報網に引っかかって来なかったからさぁ。不思議だなーって思って」
「ああ、そーゆうことか」
「で、相手どこの子?」
「港ビル店の販売員ってさ」
「あー販売系かー。そっちはちょっとチェック甘かったな」
販売部門は部長や課長クラスの人間ならちょくちょく工程管理にも出入りしているのだが販売員までは把握しきれていなかった。
新人研修で必ず工程管理での1週間のOJTを行うが、それ以降は滅多に販売部門の末端の人間がやって来ることは無い。
「6つも下らしいぞー」
「へー年下彼女可愛いじゃん」
加藤は新人研修の時から、真面目で面倒見のよい男だった。
懐かしい思い出に浸る亜季の耳に間島の声が響く。
「お前も、そろそろ考えた方がいいんじゃねーの?」
「何をよ」
「自分のことだよ」
他意はないと分かっていても、亜季は思わず俯いてしまう。
此処に居る人間は樋口と佳織以外、誰も亜季の気持ちを知らない。
けれど、間島の言葉に亜季は揺れてしまった。
咄嗟に視線を膝の上に向ける。
今、少しでも相良たちのことを見たら、その目に映ってしまう気がした。
隠しようのない嫉妬の色が。
「は、あたしー?」
「そろそろ俺らもいい歳だろ?」
「何よ、相良たち見たら羨ましくなったって?」
隣のテーブルでは、佳織にからかわれて真っ赤になった暮羽が相良に慰められている。
ドレスの色で初めて喧嘩らしい喧嘩をした時の話だろう。
相良から愚痴を聞かされたので覚えていた。
相良が笑いながら
「暮羽が拗ねて口きいてくれなくてさ」
とぼやくのが聞こえてくる。
「口は聞いたでしょう!もう!佳織さん達の前であたしの変な話しないでー」
「今さらだよ。これからは樋口家と山下とは家族ぐるみの付き合いをするんだから」
聞こうとしていないのに相良の声が耳に届く。
当たり前みたいに、自分の名前が出てきて嬉しくて、切ない。
ビールを煽って間島がからりと笑う。
「そりゃー同期が結婚して行くたび羨ましいって思うけどな。お前は?」
「うん・・・幸せそうで羨ましいわ」
「だよなー・・・なあ山下」
ビールをテーブルに戻して間島が姿勢を変えた。
向き直って亜季の方へ真顔を向けて来る。
と同時に相良が亜季を呼んだ。
「なあ、山下ー、紘平達の二次会の景品さぁ」
「えー二次会?」
「あのアロマのやつ何処に見に行ったっけ?」
「あー・・ライトタイプのやつねー」
頷いて亜季が立ちあがる。
「ちょっと向こう行ってくるわ」
「お、おう」
頷いた間島の後ろを抜けて亜季が相良たちのテーブルに移動する。
すぐに間島も他の同期に捕まった。
「なあ間島こないだの飲み会でさー」
亜季を手招きした相良に向かって、さも嫌そうに口を開く。
通常の相良とのやり取りを手探りで思い出す。
「訊きたい事あるなら来いっての」
「いや、ほら、今日は俺たち主賓だろ」
「ハイハーイおめでとー見送るわよー盛大にね!暮羽ちゃんほんとにおめでとう」
カツンと暮羽の持っていたグラスにビールグラスをぶつけて亜季が笑った。
★★★★★★
「じゃー今日は、みんなありがとうな」
「ご馳走様でした、また新居にも遊びにいらしてください」
「うん、ぜひお邪魔させてねー。相良が嫉妬しない程度に」
亜季の言葉に暮羽が照れたように頬を染める。
初々しさ満点の新妻を見下ろす相良の柔らかい視線が憎らしい。
「はい!山下さんにはすっかりお世話になっちゃってすみません。佳織さんも家庭あるのに」
「いいのいいの。同期見送るのは私の仕事だからさあ」
「山下は面倒見いいからなぁ。人の世話ばっかりして、自分のこと忘れがちだから、そっちのが心配だよ」
「あんたたちが無事に結婚したから、自分の事もちゃんとするわよ」
これは嘘ではなく本心だ。
亜季の肩を抱いて、慌てて佳織が付け加える。
「ふたりは余計なこと考えずに新婚生活満喫しなさいよ」
「言われなくてもそうさせて貰うよ」
同期が呼びとめたタクシーに乗り込んで、最強の捨て台詞と共に相良と暮羽が一番に帰宅していった。
その後は、みんなバラバラに解散となった。
タクシーに乗って行くように勧めてくれた樋口夫妻には丁重に断りを入れて、残りのメンバーと歩いて駅を目指す。
今日は、最後までただの同期で盛り上がって騒いで終わりにしたかった。
「じゃーおれら地下鉄だからー」
「じゃねーお疲れー」
「お疲れー」
皆が階段を降りて行く、が、地下鉄の間島はなぜか残ったままだった。
「あんた地下鉄でしょ?自分ち忘れた?」
そんなに酔っていただろうかと若干心配になる。
酒豪ぞろいの同期の中でも、間島はかなり飲める方の筈なのに。
「いや、お前に用事」
「は?あたしー?」
意味が分からず問い返す亜季の耳にJRに向かう同期の声が届いた。
いつまでも並んで来ない亜季に気を遣ったらしい。
「山下お前もJRだろー?」
「あー先帰ってコンビニ寄るーお疲れー。で、何?」
また恋愛相談だろうかと腕組みして言葉を待つ。
こういうシチュエーションには慣れていた。
社内一の情報通と呼ばれるようになってから、各段に恋愛相談が増えたのだ。
「さっきの話本気で考えてみないか?」
「え?」
「余りもんってのは置いといて、付き合わない?」
「は、ちょっとあんた・・酔って」
「ねェよ」
きっぱり言い返されて返答に困る。
咄嗟に浮かんだ丹羽の顔を必死にかき消した。
なんでこのタイミングで言われるのか。
冗談で終わらせたい気持ちで、じりじりと距離を取る。
伸びてきた手が困惑する亜季の手を掴むタイミングで、背中から声がかかった。
「山下さん?」
聞き覚えのある声だ。
呼ばれた名前が自分のものであることを確認するまでにコンマ2秒。
亜季は瞬きして次の瞬間には
「はい!お・・・お疲れ様!丹羽さん!!」
いつになく早口で捲し立てていた。
丹羽が怪訝な顔で間島と亜季を交互に見つめる。
が、丹羽が口を開く前に亜季が先手を打った。
「この間の飲み会はありがとうございました!」
「え・・あーいや。こっちこそ」
「またみんなで飲みましょうねー」
思い切り笑顔を振り巻きながら、分かりやすく目くばせする。
とっとと立ち去れ、の合図だ。
が、丹羽は平然とその合図を無視した。
「そうだね。あ、山下さん同じ方向だったよね。もう帰るとこ?」
同じ方向じゃないだろ、あんたあたしを送ってくれたくせに何を適当な事を、と思ってみてももう遅い。
丹羽の姿勢は”亜季を連れて帰る方向”で決定していた。
間島が亜季に向かって困惑気味な視線を送る。
思わぬところで邪魔が入ってどうしてよいのか分からないのだろう。
当然の反応だ。
「あ・・はい」
頷いてしまってから、亜季が一瞬視線を彷徨わせたけれど、丹羽がその手を掴む方が僅かに早かった。
「もう遅いし送るよ」
「っ・・」
どうしようか最後まで迷った亜季を制するように丹羽が続ける。
「いいかな?」
これは亜季に対してはでなく、間島に対してだ。
表向きは”一緒に帰っていいかな?”裏を返せば”割って入っていいかな?”だ。
問われた間島は、亜季と丹羽を交互に見やって、それから暫く黙り込んだ後、ふっと肩の力を抜いた。
撤退を決めたようだった。
「じゃーな、山下。お疲れ」
その瞬間、亜季の緊張が一気にほどけた。
間島の選択肢に心底感謝しつつ、いつもの軽い口調で返す。
「ああ、うん。お疲れー。またみんなで飲もうねー」
動揺は微塵も見せずに必死に笑顔を浮かべた。
間島が苦笑いして、またな、と告げて逆方向に歩いていく。
その背中を見送ってから、丹羽が亜季に視線を戻した。
「さーって、じゃあ送りましょうか?」
「は?・・な・・なに言ってんの!?」
思いっきり不貞腐れて言い返すも、丹羽は全く懲りてない様子で肩を竦めてみせる。
数分前のあのよそ行きの笑顔全開の亜季はかけらも見当たらない。
「いきなりソレ?」
「だってめちゃくちゃ予定外なんですけど!」
「それは向こうの台詞だと思うけど?」
「・・・」
二人の雰囲気を見れば、どういう状況だったかは察しがついたのだろう。
また間が悪すぎる時に鉢合わせたものだ。
ある意味助かったのだけれど。
とはいえ、これ以上この場に長居する理由はない。
大急ぎで駅に向かって歩き始めた亜季を、丹羽が追いかけて来る。
リーチの違いでものの数歩で横に並んだ。
亜季は意地でも歩く速さを緩めない。
「あれ、図星?」
「!!」
ぎょっとなった亜季が丹羽の顔を見上げた。
もちろん歩きながらだ。
目の前に迫ったサラリーマンの背中から亜季を遠ざけるように、丹羽がさりげなく腕を引く。
前方不注意を指摘される前に先に亜季が口を開いた。
「っ・・ありがと」
「いーえ。なんでそんな分かりやすいかな?」
「間が悪いの!」
「そっちの?」
「あんたのよ!」
「そうかな?」
「・・・性格悪い!」
「もう何べんも聞いたそのセリフ」
「あっそ!」
「俺はー・・・絶妙だと思ったんだけどな」
「どこがよ?さっさと立ち去れば良かったのに!」
憎まれ口を叩いた亜季が、丹羽の手を振り払う。
こうやって無造作に触れられると困る。
そういう扱いに慣れていないから。
つくづく自分が”女の子扱い”と無縁の人生を送って来たのだと思い知らされる。
それを悟られるのも嫌で、ますます視線が下を向く。
「挨拶だけするつもりだったんだけどな」
言い訳のように丹羽が言って、振りほどかれた亜季の手を懲りもせず掴んだ。
人ごみを避けて駅の改札前を素通りする。
「なによ・・・」
「面白くなさそうな事態だったから」
「・・・」
「茶々入れてやろうと思って」
「丹羽さん!」
亜季が明らかに非難の声を上げた。
掴まれたままの手は解けない。
丹羽の足は明らかに駅の外を向いている。
「うん?」
前を歩く形になった丹羽が振り返る。
「ど・・どーする気?」
この質問はそもそも間違っている。
ここは本当なら”離して”というべきところであって今後の予定を確かめる場面ではなかった。
亜季の問いかけに丹羽が笑う。
「どーして欲しい?」
「どーして・・って・・」
「俺、邪魔しない方が良かった?」
「あの・・」
「あのまま声もかけずに知らん顔してた方がよかった?」
「・・・」
「何言われたの?」
「言われてない」
「じゃあ質問替える。なに言われかけたの?」
「別に・・・」
「別に?」
そんなわけないでしょう?と視線で促される。
そういう優しい声で問いかけないで、全力で受け入れ体勢を見せてこないで。
ただでさえ混乱してて、余裕が無いのに。
亜季が迷うように口を開いて、けれど何も言えずに小さく息を吸う。
丹羽がさらに畳みかけた。
「別に、って状況ならたぶん俺の手振り払って帰ってるよね?」
「・・・」
完敗。
両手を上げて完全降伏だ。
亜季は足元から崩れていくような感覚を覚えた。
もう取り繕うとかどうでもいい。
「同期の余り者同士で付き合おっかって。よ・・酔ってないって言ってたけど。しょっちゅうそういう話題になるし、どうせ勢いに決まってるのに、だから気にしてないし・・別に・・平気」
「気にしてなくて平気でコレ?」
「・・・」
手首から指先に移動した丹羽の手が緩く亜季の指先を握る。
解ける位の優しさで。
「やっぱり絶妙のタイミングだったな」
「え?」
「このままひとりでどーするつもりだったの?」
「そんなの・・分かんないわよ」
何も考えられない。
付き合うとか、誰かが自分を好きとか。
そういうの全部、要らないのに。
微塵でも見せないで、嘘でも、冗談でも。
心のままに呟いた一言を掬い上げて丹羽が呟く。
「そんな隙だらけでどーすんの?」
「丹羽さ・・?」
隙?何のことかも分からない。
そもそもこの状況が”隙”なんだろうか?
誰にも見せたこと無いグラグラの思考。
丹羽が亜季の顔を覗き込んでまるで挑むように微笑む。
「付け込んでいい?」
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