第101話 彩愛フォトグラフ

「ええー写真なんて撮ってたっけ?」


ソファのど真ん中に腰を下ろして、無人のリビングを見回しながら、亜季は過去の記憶を引きずり出そうと唸り声を上げた。


写真、写真・・・


写真と言われて一番に思い出すのは結婚式で一生分フラッシュの光を浴びた記憶だ。


自分がパリコレモデルにでもなったような錯覚を覚えた。


至る所から名前を呼ばれて手招きされて、それでも少しも苦にならずに自然と笑顔を作る事が出来たのはまさにウェディングマジックとしか言いようがない。


人生で一番締め付けられたウエストと、一番寄せて上げて詰め込まれた胸は、動く度息苦しさを覚える程だったのに、どうしてか脱ぎたいとはこれっぽっちも思わなかった。


隣を見ればスマートにタキシードを着こなした丹羽が、幸せそうに微笑んでいて、ああこれは夢じゃなくて現実なのだと確かめる度浮かんでくる涙を堪えるのに必死だった。


”おめでとう”の言葉が何より嬉しかったあの日、生まれて自分が”主人公”だと思えた。


学生時代を振り返ってみても、舞台のスポットライトを浴びた記憶は無くて、いつも脇役に甘んじて来た。


クラスから浮いていたり、存在感が無いと言われる控えめ女子では無かったけれど、異性の視線を気にするよりは部活に打ち込む事に必死のまさにスポ根女子だった。


その部活でさえエースでは無くて、注目される美人女子部員の友達、というポジションを常に任されてきた。


入社してすぐの新人研修で意気投合した佳織は、ぱっと目を引く華やか美人で、身長の割に骨格は華奢でその癖胸はある。


ヒールを華麗に履きこなす細い足首がいつも眩しくて、羨ましかった。


気が強いのが玉に瑕と言われてきたが、この性格じゃなかったら、彼女と親友になっていないと亜季は密かに思っている。


だって他にどこにも共通点が無いのだ。


美人な佳織の相方という立ち位置は、気楽で楽しくて、誇らしかった。


それは今も変わらない。


佳織に自分のコンプレックスをぶつけた事などないし、一生言うつもりもない。


それでも、あの頃より自分に自信が持てるのは、左手の薬指に指輪を贈ってくれた相手に巡り合えたからだと思う。


愛されている自信は、確実に亜季を強くした。


だから、佳織からの惚気半分の愚痴電話にも鷹揚に付き合える。


『撮ったわよ!覚えてない?バーベキューした河原で!誰かが買ったばっかりのデジカメ持って来てて、写真撮ろうって言いだして・・・』


「あー・・なんか思い出してきた!」


定期的に集まっている同期たちで、県境の川辺までバーベキューをしに出かけた事があったのだ。


数年前の事だった。


朝の7時に駅前集合という学生の部活並みに早起きして出かけた。


「そーよ!車2台で行こうってなって、樋口と間島が車出すって話だけ決まってて、当日の朝当たり前みたいに佳織の部屋に樋口が迎えに来て、あんたは、頼んでない!って怒ったのよ。どのみち通り道だからって言った樋口に、じゃあ亜季も迎えに行けって言って、結局うちまで遠回りして貰う事になって、それで集合時間に遅れて、相良から電話掛かって来てさ!紘平が今から迎えに行くとか言うんだけど・・って眠たそうな声で電話来たの覚えてるわー。あの頃から、樋口はあんたの事好きだったのね」


佳織もそれとなくは気付いていたようだが、彼女はその頃年上の妻子持ちに熱烈片思い中だったので、全く相手にしていなかった。


それでも一途に佳織だけを思い続けてた彼に、亜季は男の執念を垣間見た気がした。


『二人になるのが困るから、亜季の事たたき起こしたのよ。


だって、道中の車で告白されたりしたらその後が地獄でしょ?


私全くその気なんて無かったし・・あの頃は日高さんしか見えてなかったから、同期なんて目に入らなかったのよ。


冷たくあしらってたらそのうち離れて行くかと思ったけど、あの時の紘平のしぶとさには呆れたわ』


佳織の何気ない発言に、目を閉じて思いを馳せる。


自分の歴史を紐解いても、告白されそうな雰囲気を読んで対応する自分の姿は見当たらない。


「はー・・あんたってやっぱりモテる女なんだわ、佳織」


『え?何がよ』


「だって、告白されそうな雰囲気とか、あたし全然わかんないもん」


『嘘でしょ、分かるでしょその場の空気とか、相手の行動で』


「ううん。無理、全然分かんない、あたし察せない女だ」


そもそも告白は自分からが基本だったし、その昔付き合った相手も、告白らしい告白は無く、なんとなく友達の延長で付き合おうか?流された感じだった。


『あんたほんっとに、丹羽さんが貰ってくれて良かったわね。


じゃなきゃ今頃、変な男に引っかかるんじゃないかって冷や冷やする所だったわよ』


「悪かったわねーもう人妻ですからご心配なくー」


『うん、本気で安堵してる。じゃあ、あんた間島が相当前からアプローチ掛けてたのも気付いてなかったんだ?』


「は!?間島!?確かに、岳明と知り合ってすぐ位に、なんか余りもので付き合おうかみたいな事言ってたけど、酔ってたし、冗談でしょ」


『ほらやっぱり気付いてない!思い出してみなさいよ!あのバーベキューの時だって、わざわざ駅前で集まった後、亜季に自分の車に乗るように勧めてたじゃない!』


「そうだったっけ・・?」


『そうよ!すかさず私が、亜季はこっちでいいって言い返したから、移動しなかったけど。


あの後同じ車に乗った相良が、間島がちょっと可哀想だったなって話してたじゃない』


「そんな事言ってた?」


『あー・・あんたはたしか紘平が買って来たガイドブック必死に見てたから、話自体、耳に入ってなかったのね』


「ああ、そうかもしれない。だってバーベキューなんて久しぶりだったからさ」


『・・私は敢えて聞こえない振りしてるのかと思ってたけど・・バーベキューの間も、しょっちゅう亜季の事私から離そうとするから、大変だったのよ!


あのね、間島はあの時点ですでにあんたに告白するつもりだったのよ!』


「・・えええ、間島本気であたしの事好きだったの!?」


寝耳に水の出来事だ。


あの飲み会での出来事は、酔った勢いと、同期が一人ずつゴールインしていく淋しさから、はずみで言った台詞だと思っていた。


そもそも自分に向けられる好意に対して、昔から全くピンと来ないのだ。


だから、超直球の丹羽の態度には物凄く振り回された。


ある意味吊り橋効果から恋に落ちたのかもしれない。


きっかけはどうであれ、今が幸せなのでなんの問題もないわけだが。


話に夢中になっていた亜季の耳に、荷物を下す音が聞こえたのはその次の瞬間だった。


何気なく振り返った先に、カバンを床に下ろす丹羽の姿が見えた。


逸らそうと思った矢先に視線がぶつかる。


さっきの発言を聞かれていないわけがない。


妙に気まずい気持ちになって、愛想笑いを浮かべて姿勢を戻そうとしたら、丹羽の指が項をするりと撫でた。


じっとこちらを見て来る丹羽の眼差しは、いつも通り穏やかで、だから逆にそれが怖い。


『そうよ好きだったのよ。だから、集合写真の亜季の隣には間島が写ってるはずなの!それを紘平に言ったら、亜季の隣は相良だったって言い張るから、証拠突き付けてやろうと思ったのに、写真が無いのよ!絶対焼き増しして貰ってる筈だから、調べて写メして』


「あんた、そんな事で喧嘩したの・・」


『そんな事じゃないわよ!


あの頃から私の事好きだったとか言うくせに、全然当時の事覚えてないのよ!』


「それはあたしの事だからでしょ、あんたの事なら一から十まで残さず覚えてるわよ、あいつの事だから」


『いいから、とにかく写真探して!約束よ!』


「はいはい、分かったから、確認して連絡するね」


鼻息荒く訴える佳織を宥めて、電話を終える。


「お、おかえり・・」


「ただいま」


「お腹減ったでしょ、ご飯しよう!」


雰囲気を変えようと明るく言って、ソファから立ち上がろうとすると、丹羽が隣に腰を下ろした。


「亜季、間島って誰?」


「えーっと・・同期で・・・あの」


「もしかして、俺が割り込んで邪魔した男?」


「・・・」


黙り込んだ亜季の顔を覗き込んで、丹羽が軽く頷いた。


見事に顔に出ていたらしい。


「うん、わかりやすい回答だな」


「何も無いわよ!?まるっきり!ほんっとにただの同期だし!」


「それは分かってるよ」


「なら良かった。じゃあ、ご飯の支度するね、先にビール開けてていいから」


立ち上がった亜季の手を掴んで、丹羽が軽く引っ張った。


振り返って見下ろすと、丹羽の眼差しに嫉妬が見えた。


「あのさ、亜季。最初から、自分を範疇外に追い出すのは危ないからやめて欲しい。誰も亜季に気付かないと思ってるのは、亜季だけだよ。少なくとも、俺はいつでも心配してるし。勿論、心配より信頼の方が大きいから安心もしてるけど」


「あ・・うん・・・はい。大丈夫」


いつになく真剣に諭されて、反論が出てこない。


確かに自分は他人の視線に無頓着な方だという自覚がある。


丹羽のいう心配の意味を考えると、ないない、と首を振りたい気もしたが、この雰囲気だとそれも出来ない。


こくんと子供のように頷いた亜季の左手を握って、丹羽がじみじみと薬指を確かめる。


「こんなシンプルなのじゃなくて、もっと目立つデザインにして貰えば良かったかな」


目を伏せた丹羽の手を握り返して、亜季は大げさ、と笑って見せた。

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