第80話 ほんのり

「亜季・・・」


艶を含んだ声で呼ばれて、亜季はスマホ画面から視線を上げた。


「髪も乾かさないでまたスマホ?」


「だってーゲームが・・・」


「仕事でもパソコン触るのに、目ぇ悪くなるよ」


これは没収だね、とスマホを取り上げられて、代わりに亜季の頭の上にバスタオルが被せられる。


丁度良い力加減で、丹羽の手が髪を拭いて行く。


優しい手つきに亜季が笑みを零した。


「そんなに面白い?」


「レベル上げるのに必死なのよ、佳織とか、紘平とか、相良もやって・・・あ・・・」


名前を出すのは良く無かったかな?と亜季が上目遣いに丹羽を見上げる。


と、ちょっと眉を上げて丹羽が微笑んだ。


「そこで亜季が意識することのほうがムカつく」


珍しく嫉妬を露わにした丹羽が、バスタオルを外して、亜季の半乾きの後ろ頭を引き寄せた。


ぶつかった視線。


丹羽の瞳が獰猛なオオカミのように鋭く光る。


湛える熱は亜季を欲しがってやまない。


「っ・・・ん・・・」


さっきバスルームで何度もキスした。


おかげで熱は冷めるどころか上がる一方だ。


重ねた口づけの数だけ、丹羽から愛されていると実感できる。


拭いきれなかった水分が、髪から零れて頬を伝う。


丹羽の熱い指がそれを拭って、また唇が重なった。


「・・・っ・・・呆れてる?」


キスを解いて、丹羽が亜季に尋ねる。


心配そうな表情は、いつもよりもずっと子供っぽい。


亜季がクスクス笑いながら濡れた丹羽の髪をかき混ぜた。


「そういうところも好きよ」


一緒にお風呂に入ったせいか、いつもより素直になれる。


丹羽が亜季の手を摑まえた。


「ベッド行っていい?」


「髪濡れてる・・・」


シーツが濡れるから、と眉根を寄せれば丹羽がとびきりの笑顔で囁いた。


「明日お天気らしいよ?」


「・・・」


「どうせ洗濯しなきゃいけなくなるよ?」


「・・・っ・・・」


晴れたらリネンを洗いたい、洗いたいけど・・・その言い方ヤダ!!


亜季を困らせる為にわざとこういう言い回しをしているのだ。


「ほら・・・いいって言って・・・」


啄むキスを繰り返しながら、丹羽の腕が器用に亜季を抱き上げた。


リップ音がリビングに響いて、亜季が染まった頬を隠すように丹羽の首に腕を回した。


「承諾・・・いる?」


悔し紛れに亜季が問うと、丹羽が柔らかい笑みを向ける。


いつも最後は丹羽に流されてしまう亜季だ。


今更確認しなくても。


「二人の事だし独りよがりなことは、したくないから」


「・・・ん」


ごもっともな意見なんだけど、なんだけど!


ここでいいですよ、って言うのってどうなの!?


なんだかものすごく恥ずかしすぎる展開だ。


「どうせなら、二人とも気持ちいいほうがいいしね」


「・・・っ」


しれっと言われて、亜季が絶句する。


そりゃあ、夫婦二人なんだから、二人が納得する答えが導き出せると良い。


それが、何であれ。


亜季に触れる丹羽の指はいつも心地よい。


気持ち悪い時なんて無いのに、と思わずいいかけて、慌てて口を紡ぐ。


言葉にすれば丹羽は喜ぶかもしれないが、亜季の勇気が出ない。


それは、いつか、そのうち・・・と記憶の隅に追いやる。


綺麗にピンクに染まった亜季の頬に唇で触れて、丹羽が声を出さずに笑った。


「さっきまでは、あんなに素直だったのに・・・お風呂入りなおした方がいいかな?」


「も・・・もう十分だからっ」


あれ以上湯船に浸かると、のぼせてしまうに違いない。


首を振って亜季が告げれば、丹羽がそれもそうかと頷いた。


「綺麗に洗ったしね」


綺麗に洗われた亜季は、さらに何も言えなくなる。


無言を貫く亜季の様子を、了承と受け取った丹羽が廊下に向かって歩き出す。


リビングの入り口で立ち止まると、丹羽が腕の中に抱いた亜季を見下ろした。


「亜季、電気消してくれる?」


「あ、ハイ・・・」


亜季がスイッチを押すと、一気に照明が消える。


カーテンの隙間から見える朧月では、リビングを照らすことは出来ない。


火照る頬が見えなくなって、亜季がほっと息を吐いた。


これでちょっとは鼓動が落ち着いてくれる・・・はず。


と、丹羽が暗がりで小さく笑った。


「見えなくなって安心した?」


「べ、別に・・・安心なんて・・・」


「明るいと、いつも亜季は恥ずかしがって目を開けてくれないから」


茶化すような丹羽のセリフに、亜季がムキになって言い返す。


今日に限って丹羽はいつも以上に意地悪だ。


この後もこの調子でからかわれるのかと思うと、逃げ出したくなる。


それは叶わないと分かっているから、亜季は決死の覚悟で言い返すしかない。


「普通よ!!」

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