第10話 まさかの、また。
亜季は世間一般的なモテる部類に入る女性ではない。
男性陣がよく言う声を掛けやすい”隙”なんてものはかけらもない。
佳織は亜季が怖がりだから防壁張りまくってるのよと笑うが。
相手が本気か遊びかを測る度量も技量も持ち合わせていない。
だから、最初から突っぱねる。
親切も下心も、ひっくるめて全部。
29年間生きてきて知った事。
自分のことは自分で守るのが一番手っ取り早いし、そして、楽だ。
色んな柵に悩まされることもない。
結婚した佳織は、よく『一方的じゃなく、甘えたり、守って貰ったりするのって本当に楽だし、色んな事に優しくなれるよ』と言うけれど。
残念ならが、一生縁がありそうにない。
と、ここまで自分の事を分析してみて亜季は1人満足していた。
そうしていつものように締め括る。
「あたしはだいじょーぶ。ひとりでだいじょーぶ。住む家も食べるご飯もみんなある。ちっとも不安じゃない。怖くない・・・惨めじゃない。寂しくない。だいじょーぶ!!」
けれど・・・
☆★☆★
「えー・・システム変更?」
昼休みの間に届いていたメールを開いて亜季は顔を顰めた。
ここ最近システムバグが多く、仕事が滞ることもしばしばあったのだ。
上司を通してシステム改善を依頼していたが亜季が入社したころからある老朽化したシステムをこの際一新することになったらしい。
工程管理の要ともいえる進捗状況を確認するシステムが新しくなるとなればかなりの大事だ。
「あー亜季さん、メールみましたぁ?」
「見た見た―いま見たぁ」
後輩社員がカフェオレのパックにストローを指しながら同じように顔を顰めている。
亜季もペットボトルのお茶を一口飲んでやたらと長い文章にざっと目を通す。
そこには、新システム導入に関する説明事項と、導入に先立って事前説明会が行われる事、しかも説明場所は、志堂ではなく、システム会社への来訪が必要と明記されている。
メインのやり取りは、会社のシステム部門が行うが、実際にシステムを利用する工程管理の人間が、サンプルシステムを利用してみて、追加の要望なんかを上げるようにとのことだった。
納品されてからあれが無い、ここがやりづらいと言われては困るというのは理解できるが、わざわざ向こうの会社まで行くのは正直面倒くさい。
志堂グループ企業なので、企業間の行き来はよくあるのだが、毎日の業務と並行してとなると結構なハードスケジュールになりそうだ。
「山下ぁ」
「はーい。メール見ましたよ。課長」
話が早いとばかりに課長がにっこり微笑んで、よろしく頼むぞと言った。
★★★★★★
「なんで出向かなきゃなんないのよー。普通、あっちが来るもんじゃないのぉ?」
「そーですよねー」
「そもそも、展示会のバタバタした時期で会議室使えないこと分かってるのになんで、今システム変更かな」
ぶつくさ言って、検索した地図を頼りにそれらしい企業名をビル街から必死に探し出す。
オフィス街のいくつも並んだ高層ビルはどれも似たり寄ったりで、たびたび立ち止まってはここは違う、を繰り返す。
「でも、結構固まってシステム動かない時ありましたもんね」
「そーよねー・・・これで無駄な時間が無くなると思うと嬉しいんだけど・・説明会2時間って考えてー・・帰りしなお茶してから会社戻ろうね」
「え!いーんですか?」
「いーわよ。そんくらい。課長もこの時期に行かせるの悪いと思ったから、ランチ前から外出にしてくれたのよ」
説明会は13時から。
昼食を食べてから出ても良かったのだが、気を利かせた課長が11時から外出にしてくれた。
技術畑の人間でパソコンはからきしな上司は、今回の移行も全て亜季に一任している。
良くも悪くも亜季頼みという事だ。
工程管理のプロとして、入社当時から育てて貰った亜季としては、本当に信頼のおける頼もしい上司だとは思っているが、未だに、メールすら自分で返信出来ないところはどうにかして欲しい。
まあ、そのあたりも踏まえて、これでご飯食べておいでとランチ代を出してくれたのだろうから、不問に処す。
おかげで、込み合う前の人気ランチを食べてから、のんびり現地に迎えたというわけだ。
お茶のリクエストある?と問いかけた亜季に後輩が駅前のガーネットの名前を上げた。
「オッケーじゃあ、ちゃっちゃと終わらせてティーセット食べに行こう。あたし、あの店のミルクレープ好きなのよ」
「あ、あたしも好きですー」
「夕方行くと売り切れてたりするのよね」
「そうなんですよね」
頷いた後輩の横で、亜季は足を止めた。
右手にあるビルの名前を確かめる。
「明和三井ビル・・・ここねー」
15階建ての大きな総合ビルだった。
エントランスの総合カウンターには上品な受付嬢が佇んでいる。
同じようなビルがいくつも並んでいたが、一面ガラス張りのビルは此処だけだった。
よし、これを目印にしておこうと記憶する。
「時間は・・ちょーどいいわね。じゃあ、行こっか」
「はい」
エントランスを入るとまっすぐエレベーターホールに向かう。
昼休みの会社もあるらしく、コンビニ袋を提げたサラリーマンやOLが何人も行き交う。
待機中のエレベーターに乗り込んで、意識をティータイムから仕事に切り替える。
廊下を抜けて、営業所の入っているフロアに向かう。
と、視線の先に見知った顔を見つけた。
思わず亜季が声を上げる。
「あ・・・」
「あれっ山下さん」
「えーっと・・・」
困り顔の亜季を見て、視線の先に居た緒方が先に口を開いた。
「あーそっか・・・どっかで見た部署だと思ったら・・志堂の工程管理にいるって話してたなぁ」
「え・・じゃあ・・」
漸くメールに記載のあった会社名が、志堂のグループ会社で且つこの間会った丹羽達の勤める会社であったことを思い出す。
亜季の驚いた表情を面白そうに眺めて緒方が続けた。
「そう、直接の担当は俺じゃないけどね。これからよろしく」
そうして、フロアから出てきた部下を見てにやっと笑う。
向こうからやって来た男を見据えて、亜季は途端逃げ出したくなった。
「今回は、ご依頼ありがとうございます」
名刺要るかな?なんて軽口を叩いたのは紛れもない丹羽その人だった。
「あ・・な・・・や・・・ちょ・・」
「大丈夫?」
困惑気味の亜季に視線を合わせて丹羽が人当たりのよい笑みを浮かべる。
「亜季さん!?」
隣りでオロオロしている後輩に気づいた緒方がそれとなく水を向けた。
「丹羽、先に応接にお通ししろ」
「あ、はい」
頷いた亜季の後ろで、緒方がフロアを覗いて誰かを呼んでいる。
「高階ー」
けれど、亜季は固まったまま動けない。
否応なしこの間の一幕が蘇る。
勝手に赤くなる頬は、彼を意識したからじゃない、と慌てて自分に言い聞かせる。
干からびていた日常に降って湧いた甘酸っぱい一幕に動揺しただけだ。
「じゃあ、ご案内します。1階上に上がることになるんだけど。自己紹介はその時でいいかな?」
これは後輩に向けて言った言葉だ。
すでに顔見知りらしいふたりの様子に興味津津の彼女が亜季の腕を突いて来るが今は無視。
ただでさえ整った顔の丹羽が、にこりと微笑めば頷かない訳がない。
「はいっ!」
とびきりの笑顔と共に前のめりで返事をした後輩が、固まったままの亜季の腕を組んで歩き出す。
「ここまでの道は迷いませんでした?」
「あ、大丈夫でした。っていうか、あたし、亜季さんについてきただけなんですけど・・」
「結構似たビルが多いから、心配してたんですけど、良かった」
「はいっ」
「あ・・あの・・・丹羽さん」
こうなったら仕方がない。
カラカラの喉から必死に声を絞り出す。
「はい、なんでしょう?」
「・・・わざと?」
言えたのは一言だけだった。
受注を受けた時はともかく、あの飲み会の時には知っていたんじゃないのか?
こうなることを。
けれど、丹羽は軽く笑っただけで、何も答えてくれなかった。
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