第59話 そして彼の掌の上
駅前デパートの地下食料品売り場。
休日の賑いをすり抜ける様に亜季は必死に通路を進む。
人込みを縫うように、店の奥へ奥へと。
本来の目的地とは真逆の方向へ歩き出した亜季の背中を追う人はいない。
それもそのはずだ、亜季がわざと丹羽を置いて歩き出したのだから。
ふと、これからどうしようかと思ったけれど、ここで立ち止まるわけにもいかない。
後で追いかけてくるであろう丹羽への上手い言い訳を考えなくてはいけないし、とにかく今は丹羽から少しでも距離を取りたかった。
彼の事だ、亜季が大慌てで自分から離れた理由なんてお見通しに決まっている。
それでも、とりあえず離れたかった。
ずらりと並んだ洋菓子や和菓子のお店の角をいくつも曲がってから、漸くそっと後ろを振り向く。
見慣れぬ人ゴミにホッとして、それから、やってしまった!と今更後悔。
でも、もう遅い。
だって、一緒に居たくなかったんだもん。
「ああああー・・・もうやだ」
不安になる必要なんてない。
だって、幸せはもう目の前に迫っている。
亜季の手から零れ落ちる筈は・・・おそらくない。
この手に指輪が嵌められるまでは、いや、その先だって・・・
未来何て、本当は辿り着いたって分からない。
解いた丹羽の指を思い出して胸が痛む。
「ごめんね・・・」
小さく呟いたら、覚えのある体温が亜季の手を掴んで来た。
「謝るなら、いなくならないでよ」
溜息交じりのセリフ。
いつもなら耳に心地の良い低音。
でも、今は最高に居心地が悪い。
「紹介もさせてくれないわけ?」
穏やかな口調で問われて亜季は視線を彷徨わせる。
言い訳なんて出来る分けない。
「そ、それは・・・」
「やましい間柄だったら、もっとあからさまに避けてるよ」
お説ごもっともなセリフ。
亜季は項垂れてもう一度ごめんなさい、と告げた。
「元カノ?」
「学生の頃のね。そうやって訊いてくれたらいいのに・・・逃げ出さずに」
溜息交じりのセリフが降ってきて、亜季はますます視線を落とした。
だって、あんな可愛い子と付き合ってたなんて・・・
もう、どう頑張っても何も敵わないじゃない。
婚約者ですって胸を張れる強みなんて、あたしには何もなかったのよ。
唇を噛み締めたくなる。
きっと、こんな気持ち丹羽に言ったって分からない。
★★★★★★
引き出物の相談に訪れたデパートで、打ち合わせの後、休憩がてらお茶をすることにした。
けれど、生憎店は何処も満席状態。
グルメフロアを一周した後で、テイクアウトしようと決めた。
亜季がお気に入りのケーキ屋が地下に入っているので、タルトを買う事にしてエスカレーターで地下1階に降りた途端、少し前から歩いてきた小柄な女性を見て、丹羽が”あい”と呟いた。
ベビーピンクの可愛らしいワンピースに、ベージュのブーツを履いた、彼女が視線を上げて微笑む。
色白できめ細やかな肌にくっきり二重。
長い睫に通った鼻筋。
唇は淡いピンク色。
男が見たら放っておかない、典型的可愛い系美人。
丹羽の呼び方で、彼女が何か分かった。
多分、もっと余裕があったらにこやかに挨拶して、婚約者ですって自信を持って微笑めただろう。
少し後ろを歩いていた亜季は、丹羽が振り返る前に指を解いて踵を返した。
丹羽が驚いたように一瞬振り返る気配がしたが、すぐに前から来た”あい”が呼びかけてきた。
「タケくん」
耳を擽る甘ったるい鈴の様な声。
見た目通りのふわふわの女の子。
本当は丹羽にはああいう女性が似合う。
並んでもお似合いな美男美女カップル。
天地がひっくり返っても、亜季は彼女にはなれない。
生き方も、考え方も、見た目も、何もかもが違う、違いすぎる。
”中身で勝負しました”なんて、強がれる歳でもない。
リングに上がる前に戦線離脱した理由は、自信が無いから。
そもそも、戦う必要も、競う必要も無いのに、急に生まれた闘争心と、同時に覚悟した敗北。
岳明はどうして”あたし”なんだろう?
あんなに可愛い彼女に”タケくん”なんて呼ばれてる日もあったのに。
自己嫌悪と自信喪失の永久ループにはまり込んだ亜季の手を引いて、丹羽が困ったように笑う。
「ヤキモチと・・・それから不安?これもマリッジブルーってやつかな?」
「・・・すんごく可愛い彼女ですね」
「分かりやすい嫉妬だ」
目を丸くして丹羽が亜季の前髪を梳いた。
「ちゃんと綺麗に別れたから、こうやって会っても挨拶出来るんだよ。俺の事、もうちょっと信用してくれない?」
「信じてる」
「だったら」
「でも、あんな可愛い子前にしたら。自信なんて一気になくなるのよ」
「俺が好きだよって言っても?」
耳元に零れてきた甘ったるいセリフに、亜季がふるふる首を振った。
「これは、あたしの気持ちの問題よ。岳明は関係ないの」
きっと、あの子ならもっと可愛いセリフが選べるのだろう。
言ってしまってからそんな事を思う。
嫉妬深くて、自信が無くて、惨めなあたし。
「そこでスパッと切るのが亜季らしいけど。じゃあ、どうやって、亜季の自信を取り戻そうか?」
視線を合わせる様に覗き込まれた亜季が困ったように丹羽を見つめ返す。
後ろ頭に回された大きな手が亜季の短い髪を優しく撫でた。
”あい”の肩までの丸いボブと、ピンクのチークを思い出す。
一瞬の出来事だったのに、こんなに鮮明に覚えているなんて。
ますます自分が嫌いになりそうだ。
どこにも、亜季のかけらは見つからなかった。
「指輪が無いのが不安だった?」
左手の薬指。
亜季の会社で依頼しているエンゲージとマリッジの指輪。
セットで作成を依頼したので、少し日数がかかるとのことだった。
「ちがっ・・・」
「亜季が、手を解かなかったら、俺はちゃんと結婚相手って、あの子に話したよ。
幸せになりますって、胸張って言える」
丹羽の言葉は、どこまでも迷いが無くてまっすぐで、本当は満面の笑みで喜びたいのに、後ろめたくてそれが出来ない。
こんなに大事にされていると思うのに、それに見合えない自分が悔しい。
「あたしじゃ全然事足りない」
何もかもが、足りない。
「亜季が、自分じゃ駄目だって言ったって、俺は亜季じゃなきゃ駄目だよ。口約束でも、反故になんかさせない」
きっぱり言い切って、丹羽が亜季の指先を離れない様に絡め取る。
黙り込んだ亜季の意思を肯定と受け止めて、丹羽は上りエスカレーターに向かって歩き出した。
「正式な指輪が出来るまでの、安心材料、送ろうか?俺の気持ちを確かめられるよう、お守り代わりに」
1階のアクセサリーショップに向かう丹羽に連れられて歩きながら、亜季が困惑気味に言い返した。
「だ、大丈夫だから!今から余計な出費しないで!」
またしても可愛さ0%のセリフを返した亜季に向かって丹羽が笑う。
「亜季のそういう現実的なトコロも、全部好きだよ」
「・・・っ・・・」
黙り込んだ亜季の額に優しすぎるキスが落ちてきた。
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