第18話 零れ落ちる

目が覚めた。


その一言で。


覗きこまれた目に、繁華街のネオンが光る。


間合いを取るように、亜季が一歩後ろに下がった。


繋がれていた手が解けて離れる。


まるで魔法が解けるように。


「か・・・」


「うん?」


「帰る」


何とか一言。


それが精一杯だった。


視線を逸らして息を吸う。


落ち着け、目を覚ませ。


だめ、だめ、だめ。このまま流されたらだめだ。絶対駄目なんだから。


「帰る?」


「あ・・あたし・・じゃなくって・・私・・ひとりで大丈夫。もう、ほんとに、帰るから」


そうしなきゃ、ここから一刻も早く離れなきゃ。


色んなことから逃れられなくなる。


叶わないけれど幸せな片思い。


一方通行な優しい思い出。


けれど、くれる言葉はいつだってあたしの心を強くした。


それだけで十分だ。


眩しい幸せなんて欲しくない。


違う。


欲しい。


だってそんなの不公平だ。


あたしだって、憧れないわけじゃない。


欲しかった幸せならある。


ずっと願ってたことだってある。


口にしなかっただけで。


弱いのも認める。


傷つきたくなかったのも認める。


結局自分が一番可愛かったのも認める。


全部認めるから。


いっぺん位、奇跡願ったっていいでしょ?


あたしだって幸せになりたい。


好きな人に好きって言われたい。


なのに。




「ちょっと待った」


離れた手が戻ってきて再び手首を掴まれた。


自分とは違う熱を間近に感じて、心臓が大きく鳴る。


これはきっと警告だ。


踏み込んではいけないと、心のどこかが告げている。


「待たない」


「あのなぁ・・・」


「だって・・これ以上一緒にいたら・・あたし迷う・・」


堪え切れずに漏らした一言に、丹羽が素っ気ない返事を投げた。


「迷えば?」


「そんな権利ないから」


「何の権利?」


「誰かを好きになる権利」


その言葉に丹羽がにやっと笑った。


「好きになりそう?」


「え・・?」


「俺の事」


「な・・・なに言ってんの」


明らかな動揺が、逆に丹羽の背中を押してしまったようだった。


一歩距離を詰められて、驚きで息が止まる。


「好きって言ってもいいかな?」


「じょ・・冗談でしょ・・」


「本気だよ」


「ほんっとに勘弁して・・あたしのこと好きって言うならほっといて。こんな状態で誰かとなんかいられない」


喉元までせり上がってきたのはどうしようもない弱音。


ぶつける相手は他の誰でもない自分自身の筈なのに。


半泣きで告げた亜季に丹羽が問いかける。


「・・・ひとりで平気?」


「大丈夫」


頷いて視線を逸らす。


もう視界は揺れている。


けれど、それ以外の答えなんて選べない。


「分かった」


亜季の手を解いて、それから手を上げてタクシーを止める。


亜季が時間の問題で泣きだすことを察したらしい。


「ごめんなさい」


何に対しての謝罪かは分からない。


一番に浮かんだことは、独りにしてくれたことへの感謝だったのに、ありがとうより先に、ごめんなさいが出てしまった。


「仕切り直し、させてくれる?」


「え・・・」


「とりえあえず、落ち着いたら連絡して。俺の話今度は、ちゃんと聞いて」


タクシーに乗り込もうとする亜季の手に名刺を押しつける。


自然と握りしめたら、満足したようにそっと手が離れた。


「さっきも言ったけど、今度は本気だから。聞きたくないとか、逃げるとかナシで」


亜季の考えを先読みして先手を打ってくる丹羽に、どうにか言葉を返す。


「・・・連絡しないかもしれないわよ」


「じゃあ、俺から追っかける。それでもいい?」


「困る!」


追いかけられたら絶対に捕まる自信があった。


反射で答えたら、丹羽が快活に笑った。


「じゃあ、連絡してよ」


「・・・」


「待ってるから」


駄目押しの一言に、亜季は俯いてその言葉をやり過ごす。


思わず現実逃避しそうになるけれど、そうもいかない。


これは間違いなく自分に向けられた言葉だ。


思えば、これまでの恋愛はいつもいつも自分から先制攻撃しかけていた。


言えなかったのは相良だけだ。


気づいた時には、すでに暮羽が居たから。


これまで自分が告白してきた相手も同じように困っていたんだろうか?


ふとそんな事を思う。


「丹羽さ・・」


タクシーの座席に滑りこんで、ドアが閉まる直前に呼び掛ける。


けれど、彼の言葉が先だった。


「おやすみ」


ドアが完全に閉まる。


ロータリーを抜けながら運転手が尋ねてきた。


「どちらまで?」


泣きださないように必死にマンションの名前を告げる。


自宅に戻ると、独りになったことへの安堵と寂しさが一気に襲ってきた。


玄関のカギをかけて、足早にリビングに入ると、とうとう堪え切れずに涙が込み上げてきた。


「っく・・・」


こんな醜態晒せないなんて意地張っといて結局ひとりも寂しいなんて。


「だって・・言えないもん・・」


寂しさを紛らわす方法は、本当はこの世界には無数にあって。


目の前に何度も転がって来たことを知っている。


けれど、それを選ばなかったのは自分自身だ。


誰かの腕が優しいことも、慰めてくれる場所があることも。


本当はちゃんと知ってたけれど。


どうしても動けなかった。


結局毎回一人で泣いた。


恋が終わった時も。




甘え方なんて知らないし、強くなることばかり思ってきた。


何があってもひとりで生きていけるように。


けど、本当は。


佳織のウェディングドレスに誰より強い憧れを抱いていたのは自分だ。


将来を誓うなんて奇跡みたいなこと、自分には絶対に訪れないと思ってるのに。


それでも、ワタアメみたいな甘い恋に憧れる。


だからって、寂しいから誰かにすがれるほど捨て身になんかなれない。


自分も相手も傷つけるようなことはできない。


リビングのドアに背中を預けてズルズルとしゃがみ込む。


もう立ち上がる気力もなかった。


「もーやだ、やだ、やだ。なんでよぉ・・」


膝に顔をうずめる。


化粧が落ちるのも、ファンデーションがお気に入りのスカートに付くのも知ったことか。


零れてくる涙がスカートに沁みを作っていく。


カバンの中で携帯が震えた。


けれど電話に出る気も起きない。


誰とも今日は話したくない。


着信が止んで留守電に切り替わる。


「もしもし?亜季無事に帰ったの?」


佳織の声だ。


「間島から別の人と帰ったって聞いたから。ちょっと気になって・・家着いたら電話して」


放っておこうと上げた視線を膝に戻す。


けれど、面倒見のよい佳織の事だ、きっと電話が無ければ心配するに違いない。


亜季は携帯を取り出して通話ボタンを押した。


「もしもし?」


その声を聞いて佳織が一気に気色ばむ。


「ちょっと・・大丈夫?」


「えー全然大丈夫よ」


「泣いてんでしょ?1人なの?」


「他に誰といろっての?」


笑ってみようと頑張ったけれど駄目だった。


声が震える。


「佳織ー・・あたしも幸せが欲しい」


おっきくなくていい。


小さくて、確かな幸せ。

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