第19話 好きになりたい人

「あーどーしょー」


アイスノンを乗せた瞼を押さえて呟いた亜季。


「何を悩んでるの?」


結局あれからすぐに飛んできた佳織は亜季の部屋に宿泊が決定した。


「どーすればいいか分かんないから悩んでる」


「相良のこと?それとも丹羽さんって人の事?」


「両方」


「あっそ、じゃあ質問替えるわ。あんたにとって私ってどんな人?」


「・・・意地っ張りで、責任感強くて面倒見くてカッコイイ・・んで、樋口の前だと可愛い私の親友」


「あら、アリガト。んじゃあ、紘平は?」


「馬鹿みたいに佳織に一途で、強気で営業上手くていっつも辛口だけど、優しい親友の旦那」


「ふふ、それも言っとく。じゃあ、相良は?」


その言葉に亜季は瞼の裏に相良の顔を思い浮かべた。


入社してから、多分佳織たちと同じくらいの時間を一緒に過ごした。


暮羽が現れるまでは、ずっと。


「・・優しくて・・いっつも話聞いてくれて。別に何も言わないんだけど・・・ちゃんと・・あたしの事見ててくれるの」


「うん・・・」


佳織が頷いて、亜季の髪をそっと撫でた。


いつぞやとは逆の立場だ。


あの時、同じように泣いた佳織の側にずっと付き添って夜を明かした。


泣きじゃくる佳織を抱えて帰って眠りにつくまで抱きしめた。


佳織は、あの時ほど親友のありがたみを感じた事は無かったと言った。


だから、今度は全力で亜季の力になる、と言われてまた涙腺が緩んだ。


年々涙もろくなっている気がする。


諭すような、慰めるような声で、佳織が問いかけてくる。


「じゃあ、丹羽さんは?」


「・・分かんない・・」


「なんで?」


「だって、知り合ったばっかりだし。最初は最悪の人だと思ったし。けど、ちょっと優しかったり、強引だったり。少しも本音見せてくれないのよ。あたしの事気に入ったみたいな事言ってたけどあれだって、冗談かもしれない。全然分かんないの・・」


「じゃあ知って行けばいいんじゃない?」


「え?」


「知らないから怖い、怖いから分かんない。だから、どーしよーなんでしょ?」


「・・知ってくって・・だって」


「あんたは迷ってる。本当は、丹羽さんにちょっと揺れてる。けど、知らないから怖い。だから、相良のとこで踏みとどまろうとしてる。そうでしょう?背中なら、押してあげるから。いい加減不幸な片思い女から脱皮しなさい。幸せになりたいなら、待ってちゃダメ。自分で歩いてどーにかしなさい。泣いて蹲ってたって、ずっと痛いまんまなの。悲しいけど、子供の頃みたいに気づいて抱き上げてくれる人はいないの。だから、気づいて欲しいなら動かなきゃ。怖い怖いって言ってたら、あんたずっとこのままよ?」


「だって・・・怖いよ・・ずっと恋愛してないし・・相手の気持ちなんて分かんないし。もし・・丹羽さんじゃなかったら?また違う人探すの?この歳でイチから恋愛とかしんどすぎるよ。そんなの無理よ」


「あのねえ!そんな泣き言は思いっきり転んで膝摺りむいてから言いなさいよ。始める前からピーピー言わないの。もし、丹羽さんじゃなかったら、また別の人探せばいい。何もしないうちから値踏みして燻ってるよりずっとずっとあんたらしいわ。それに・・傷ついたら、絆創膏貼ってあげるし。傷薬もちゃーんと塗ってあげるわよ・・おまけに抱きしめて慰めてあげるわ。ねえ、亜季」


佳織がアイスノンを持ち上げて腫れぼったい亜季の目を覗き込む。


「大親友の私がいるじゃない?」


「・・・そうでした。あたしにはあんたがいるー」


笑って亜季が応える。


佳織が頷いて口を開いた。


「じゃあ、もっかい訊くけど?どーすんの?」


「相良のことはふっ切る。丹羽さんの事、ちゃんと考えてみる。勿論、そんなすぐに好きになれるか全然全く分かんないしさ。そもそも、向こうがこっちに幻滅する可能性だって多々あるし」


「あはは。そーよ、間違いない。だって、あんたってばほんとに私以上に意地っ張りで頑なで可愛げなくって強がりで。いい歳してへんなとこ子供みたいだし」


「ちょっとー」


亜季は漸く笑えた。


涙交じりの鼻声で言い返した亜季に、佳織が強気な笑みを向ける。


「でも・・可愛いとこもあるし。優しくて、友達思いなとこもある。私の大事な親友よ。いまはちょーっと・・ブッサイクだけど」


「不細工は余計よ!」


「ふふ・・っ・・元気出た?」


「出た」


携帯を持ち出してとっくに10年以上なのに。


知り合ってから今日まで、丹羽の携帯番号もアドレスもなにも知らなかった。


いかに真新しい出会いに枯渇した社会人生活を送っていたのか伺える。


普通は出会ったらまず連絡先交換するでしょ、と呆れ顔で突っ込まれた。


丹羽と最後に会ってから1週間。


亜季の気持ちに整理がついて泣きはらした瞼の腫れもすっかり納まって落ち着いて話をできる位の余裕をなんとか取り戻した頃。


「仮にも合コンで知り合っといてなんで連絡先未登録かな・・」


「うるっさいわね!だってしょうがないでしょ。こっちから訊くのなんて変だし。そもそも連絡取ろうなんて思ってなかったし・・大体合コン自体久しぶりなのに・・あーあ・・もーちょっと若かったら身軽になれてたのかな・・」


「まあ、学生の頃の方が気軽に恋愛出来てたわよね・・好きってもっとハードル低かったし」


不思議なくらい簡単に言えた言葉。


今じゃ一番遠い言葉だ。


好きっていくら言っても言い足りないと思った日は随分と遠い。


亜季が貰った名刺を改めて見つめ直す。


「さーって・・・どーしよ・・」


呟いて亜季が再び寝転がる。


メールを打つのが数十年ぶりくらいに思える。


別に告白するわけでもない。


ないんだけど。


”次会ったら・・”つまり、このメールは”会いましょう”ってメールになるわけで。


「な・・なんて言えばいいの?」


「代わりに打とうか?」


「やだやだやだ!あんたに頼んだらとんでもないこと言いそうで怖い」


「えーそこそこ上手に打つけどなー。ぜひお会いしてお話したいです。位入れとけばぁ?」


「そんな会いたい全面に出す!?」


「だって、会いましょうってメールでしょ?」


「こっちのスタンスとしては・・会ってもいいけど位のさぁ」


「あーきー」


顔を顰めた佳織が亜季の額を小突く。


「天の邪鬼は封印!」


「だ・・だって・・そういう思わせぶりなのは」


「思わせぶり、上等じゃないの。そんくらい勢いづかないとあんたは前に進めませーん」


とっとと文章を打てと佳織が顎をしゃくって見せた。


”先日はごめんなさい。まだ、不安なことは沢山あるけど。会ってお話したいです”


物凄く殊勝な一文を死ぬほど勇気を出して送信した。

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