第12話 ブラックアウト

丹羽の会社を訪れての打ち合わせにもやっと慣れて来た。


慣れたとは言っても、どっしり腰を据えて構えていられるほどの余裕はない。


せいぜい後輩の庄野の前で不格好に狼狽えず、先輩面を保つのが精一杯だが、それでも亜季にしてみればかなりの快挙だ。


どうやら自分に興味を持っているであろう相手と、仕事とはいえこうもしょっちゅう顔を付き合わせて、平然と受け流せるほど亜季は異性からモテたためしがなかった。


だから、尚更丹羽の行動や言動が気になって、挙動不審になってしまう。


どう思われてもいいはずなのに、忘れかけたときめきが胸の奥で燻っては亜季の心をグラグラ揺らす。


相良の事は何が何でも吹っ切って、綺麗さっぱり忘れなくてはならないこの局面で、まるで待ち構えていたように現れた丹羽の存在は、今のところ一番の悩みの種だ。


気分で相手を出来る程、自分に自信があるわけもなく。


かといって、向けられた興味や好意を適当にあしらう術もない。


どっちつかずの宙ぶらりん。


相良を思い続けても、自分がどんどん惨めになっていくだけだ。


報われない恋に勝手に浸って、日陰で泣き続ける永遠の引き立て役な自分のままでいるのか?


どんな興味か、好意か、それはもう近づいて確かめてみないと分からない。


でも、相手が悪すぎた。


自分を飾って武装しようにも、最初が最初なだけに、猫を被っても今更過ぎる。


しかも、丹羽と来たら、すまし顔で出来る女を気取るより、感情を露にして怒鳴り散らした亜季のほうが亜季らしいとかいうから始末に悪い。


まさかこんな風に二人の関係が続くと思っていなかったので、その場限りの嫌な男になら、どう思われてもいいと開き直って好き勝手言ったのに。


取り繕わないほうがいい、とはいえ、取り繕わなさすぎでしょ、あれは。


反省、はそれなりにした。


後悔も、勿論のこと。


でも、どれも全部あとの祭り。


だから、余計な事は考えずに、今はただただこの打ち合わせがスムーズに終わって、後輩に慕われるカッコイイ先輩のままで帰らせて欲しい。


油断はしない、隙も作らない。


というか、仕事中のあたしに隙なんてないし。


大丈夫、ヒール履いてる限りは、意地でも踏ん張って見せる。


いつもように通された会議室で、ぐっと拳を握ったら、同伴している庄野が不安そうな顔を向けて来た。


「亜季さん、顔怖いですよ、なんかありました?」


いけない、つい殺気立ってしまった。


亜季は表情を緩めて、いつものさばさばした気安い先輩の顔で後輩を見つめ返す。


後輩に心配されるようじゃあまだまだ半人前だ。


「ううん、何にもないよ。残してきた仕事の事思い出したら、ちょっと気が滅入っただけよ」


打ち合わせに上司を行かせる手もあるのだが、自分が楽をした結果がどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。


下手をすれば、これまでの決定事項すら白紙に戻されかねない。


悲しい事に、現場最前線の職人上司たちは、こぞって機械音痴なのだ。


対応する丹羽も説明に苦慮するだろうし、打ち合わせも時間内には絶対に終わらない。


そして、最終的には、山下を来させますから、あとは部下に、とか言って終わるに決まっているのだ。


わー一瞬で想像できた、部長と次長の台詞も顔を・・・


タラレバ言えばきりがない、やめだ、やめだ。


首を振って姿勢を正す。


取り出した資料を長机に載せた庄野が、会議室の窓に視線を向けた。


途端、表情を曇らせる。


「やっぱり降ってきましたねー」


「帰りまで持つかと思ったけど、駄目だったね。傘持ってきてるよね?」


折りたたみを持って行こうと出かけ際に話していたのだが、心配になって尋ねる。


「はい、大丈夫です」


「良かった。帰りは一番近い地下道から駅まで行こっか。今日のヒール、防水スプレー降ってないのよ」


丹羽と会う時は、格好にまで気合が入る。


トーナメント戦に向かうスポーツ選手のようだ。


佳織に言ったら、それって恋じゃない?なんてからかわれたけれど。


そうじゃなくて、負けたくないから。


なにがあっても、あたしはあたし。


俯かない、背中曲げない、逃げたりしない!


興味でも好意でも、いまの自分には必要ない。


ここは仕事場で、山下亜季は全力で戦う女だ。


だから、ここには見た目重視の可愛いパンプスなんかでは絶対に来ない。


きゅっと唇を噛みしめたら、ノックと共にドアが開いた。


「コピーに手間取っちゃって申し訳ない。ふたりとも、雨は大丈夫でしたか?」


相変わらず愛想のよい笑顔で丹羽が会議室に入って来た。


亜季は迎え撃つつもりで、にっこりと笑顔を作る。


「ええ。降る前にこちらについて良かったです」


全力の作り笑いに、丹羽は眉を上げたけれど、何も言わず席についた。


打ち合わせを始めてすぐに雷の音が大きくなった。


窓を叩く雨粒が見る間に激しくなって、隣に座る庄野が落ち着かない様子で窓の外を見た。


確認事項をチェックしていた丹羽が、同じように顔を上げる。


「雨脚酷くなってるな・・」


亜季も雷は得意ではない。


が、後輩の手前そんな事はおくびにも見せずに庄野の肩を叩いた。


「大丈夫よ、落ちないから」


「あの音聞くだけで、嫌な気持ちになりません?」


「こんな大きな建物だし、平気平気」


亜季が余裕のある振りをしてみせた瞬間、窓越しに鋭い稲光が走った。


一瞬にして会議室の照明が消える。


「っ!?」


「っきゃああ!!亜季さんっ!!」


甲高い悲鳴を上げて、庄野が椅子から飛び上がって亜季に抱きついた。


「停電かな、庄野さん、大丈夫?」


暗がりの中に丹羽の気づかわし気な声が響く。


ああ良かった、同じようにきゃあ!なんて叫んでいたら、どうなっていたことか・・・


みっともない悲鳴を上げずに堪えた自分をこっそり褒め称えつつ、肩に回された腕をよしよしと撫でてやる。


そうする自分の腕が小刻みに震えている事には気付かないふりをした。


今は自分の事に構っている暇はない。


「はいはい、ここにいるからね。ちょっと落ち着いて・・・ほら、点いた」


再び会議室が明るくなる。


ホッと息を吐いた亜季が、肩に縋りついたままの庄野背中をポンと叩いた。


「大丈夫?」


「・・はい・・・びっくりしました・・」


ゆっくりと身体を離した庄野が、すんと鼻を啜って、すみませんと小声で呟く。


潤んだ目元を押さえる仕草は先輩の欲目を抜いても可愛い。


仕事、会議、全部後回しにして、怖いって気持ちだけを優先させられるのは若くて失うものが無いからだ。


それが、少しだけ羨ましい。


「あらら、ちょっとお手洗い行ってきなさい、ね?」


「ほんとにすみません・・」


「お茶替えて貰おうか、庄野さん気にしなくて大丈夫ですよ」


柔らかく微笑んだ丹羽が、すぐさま内線でお茶のお代わりを依頼する。


庄野はカバンを抱えて会議室から出て行った。


その背中を見送ったら、無意識のうちに溜め息が零れた。


「はー・・・」


先輩は楽しいけど、疲れる。


分かっていたけれど、今日は打ち合わせの相手が丹羽という事もあって、緊張と気合も半端なかった。


いつの間にか膝で握りしめていた掌。


そっと開くと汗ばんでいた。


「大丈夫?」


「え?な、なにが?」


振り向いた丹羽が亜季の顔を見て、可笑しそうに顔を歪めた。


あ、また面白くない事考えてる顔だわ。


「先輩も大変だな」


「慕ってくれるのは嬉しいし、ここまで育てた後輩だもん、可愛いわよ」


「顔色悪いのは気のせい?」


さっきの停電で顔が強張っているなんて絶対に思われたくない。


「・・外が暗いからじゃない?悪いけど、ばっちり化粧直しもして伺ってます」


丹羽に対して語彙がきつくなるのはもう仕方ない。


「あのさ、山下さん」


電話機が置いてある角から、長机の席に戻りながら、丹羽が呆れた表情を向けて来た。


言われる言葉が想像できて、物凄く腹立たしくなる。


「嫌味ならけっこ」


結構よ、と言い切ろうとした瞬間に、再び照明が消えた。


「っきゃあ!」


今度は我慢できなかった。


椅子の上で咄嗟に背中を丸めてしまう。


庄野がここに居なくて良かった。


けれど、丹羽は、いる。


しまった!と思ったがもう遅い。


足音が近づいて、すぐ真横に丹羽がしゃがむ気配がした。


「だから、なんでそう強がるの?」


「びっくりしただけよ!ほっといて!」


なんで隣に来るのよ!?


危ないから動いちゃ駄目でしょこういう時は!


次々に言葉は浮かぶのにどれも唇まで届かない。


仮にも好意を寄せているらしい女性からあからさまに突っぱねられたのに、丹羽は離れる気配を見せなかった。


「ほんっと、山下さんてそればっかりだな・・すぐ明るくなるよ」


慰めるような声音に、どうしてよいか分からなくなる。


ぎゅっと目を瞑ったら、可愛い後輩の顔が浮かんだ。


「あ!」


ガタンと勢いよく立ち上がったはずみで椅子がぶつかった。


「なに?危ないから」


「あの子ひとりよ!」


言うが早いか入り口に向かって駆けだした亜季に向かって丹羽が手を伸ばす。


が、暗闇なので、亜季の元まで届かなかった。


「ちょ、山下さん、危ないって」


「でも、一人にしとけないから!」


「そうやって最後まで自分後回しにするつもり?」


「・・・そうよ、悪い!?好きでやってんの!に、丹羽さんには関係ないでしょ!」


取り出した携帯の明かりを頼りに会議室を出て行く亜季の背中に、丹羽の二度目の溜め息は届かなかった。

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