第47話 その、後の一日

週末ごとのお泊まりで、慣れた筈の2人の夜。


こんな甘ったるい恋は数年ぶりで、眠っていた乙女回路フル回転で何とか乗り切る毎日。


でも、その上を行くドキドキであたしを振り回すのが、目の前の男。



☆★☆★



老舗酒造が企画した、日本酒の試飲会。


駅の改札を抜けた途端、広場に出来た特設会場のうたい文句の飛び付いたのは亜季だ。


「ちょっとだけ、覗いて行こう!」


有名酒造の名前に引かれたのと、週末で飲みたかったのと。


さまざまな理由が起因と考えられるが、抱えていた大きな仕事がひとつ片付いて、ほっとしていたのが一番大きい。


とにかく上機嫌で、清酒を配るスタッフの元にかけよった亜季は、受け取った紙コップの日本酒を一気に煽った。


丹羽が止める暇も無かった。


「日本酒、きついから程ほどにしないと、明日辛いよ」


隣りで紙コップの日本酒を同じように口に運んだ丹羽が、窘めるように言うが、亜季の耳には届かない。


「これ、凄い飲みやすいわ。癖も無くて後味も爽やかー」


「でも、そういうのは足に来るから・・・ほら、亜季、足元見てって・・・」


「知ってるわよー、あたしの事はいいから、ほら、岳明も飲みなさいっ」


ずいっと差し出された新しいカップ。


それに視線を落として、それからチラリとこの後の予定を考えたかどうか。


「まあ、特に予定も無いからいいけど」


呟いて、紙コップを煽る。


確かに飲みやすい日本酒だ。


こういう美味い酒なら、アテにはあっさりしたものがいいな、なんて考える。


そうしているうちに、亜季は何杯目かの日本酒を飲んで、すっかり酔いが回ってしまった。



☆★☆★



「・・・ん・・・?」


肩口が肌寒くて、何だかウエストは窮屈だ。


そして、この感じ、まだストッキング履いてる?


身を捩ったと同時に感じたいくつもの違和感。


亜季は重たい瞼を押し開けた。


最近見慣れて来た、丹羽の部屋の天井。


日本酒を飲んだ所までは記憶にあるが、何とか帰って来られたらしい。


ひとえに丹羽のおかげだろうと思うけれど。


とりあえず、自分で歩いていた事だけは信じたい。


で、帰ってから、どうしたっけ?


何となく玄関で押し問答した気がする。


「なんの・・・」


呟いたら、記憶の断片が蘇って来た。



★★★★★★



「亜季、荷物置いて、まず靴脱いで、ほら。手、持ってるから」


酔っ払った亜季の手を掴んで、支えてやりながらパンプスを脱ぐように促した丹羽。


けれど、既に泥酔状態の亜季は丹羽の手を掴んで、靴を履いたままで、つま先立ちになった。


靴を脱ぐ為ではなく。


反対の手は、丹羽のネクタイを掴んで引き寄せる。


必然的に屈む事になった丹羽の唇に亜季のそれが重なった。


一瞬、現実を疑った丹羽が瞬きを繰り返す間も、亜季は丹羽の唇を離すまいと自ら舌を絡めてきた。


「あ、亜季・・・ちょ・・・」


さすがに玄関先でこのキスはマズイ。


別のスイッチが入りそうになる。


焦った丹羽が亜季の手を掴んで、唇を解く。


まだ残っていた亜季の口紅のグロスが滲んで、それを目の当たりにしたら、もう歯止めが訊かなかった。


「ここでそれは駄目」


自分の唇と亜季の唇を親指で拭って、丹羽が呟く。


相変わらず亜季はパンプスを履いたままだ。


火がついた以上、止められない。


どうしようかと恋人に視線を落としたら、亜季が挑発的な笑顔を向けて来た。


「なーに?焦ってんの?」


「・・・そういう事言う?」


「なによ」


「後で文句言っても訊かないよ」


視線を下ろした丹羽が、亜季の顎を捕えて引き寄せる。


「文句?・・・ッぁ・・・チュ・・」


いきなり強引にキスされて亜季が一歩足を引く。


「やっ・・・ん・・・っ」


その拍子にパンプスの足元が崩れた。


脱げたパンプスに続いて亜季の身体が傾くのを、丹羽の片腕が支えた。


そのまま亜季の腰を引き寄せる。


転がったままのパンプスに一瞥もくれずに、丹羽はキスをしたまま亜季を器用に抱き上げた。


足が地面から離れた拍子に、もう片方のパンプスが床に転がる。


カツン、とヒールがタイルとぶつかる音がした。


けれど、ふたり共気付かない。


繰り返されるリップ音だけが廊下に響く。


「っ・・・ん・・・下りる・・・おろして・・・」


尚も追って来る唇から逃れるように、亜季が丹羽の首に縋りついて囁く。


「いやだ・・・文句聞かないって言ったよ」


「だっ・・・お風呂・・・」


9時間労働をこなした後で、シャワーも浴びずにベッドになだれ込む訳にはいかないと、なけなしの乙女心で訴えてみる。


けれど、亜季の懇願も丹羽はあっさり却下した。


「下ろしてもいいけど、なら俺も一緒に入るよ?狭い風呂場でするのとどっちがいい?」


直球の質問に亜季が思わず閉口した。





★★★★★★




「お風呂・・・って・・・あれ・・・?」


蘇って来た記憶が正しければ、自分と丹羽は昨夜・・・


けれど、肌蹴たシャツとスカート、ストッキングも、もちろん下着もそのままだ。


どこまでが夢でどこからが現実なのか?


混乱して来た亜季を更に現実に引き戻す声が、側から聞こえた。


「起きた?」


「岳明!?」


ベッドの直ぐ下に、ブランケットに包まって眠っていた恋人が、身体を起こした。


てっきり一緒に寝たと思ったのだが、亜季にベッドを譲ってくれたらしい。


「二日酔いは?」


昨日の酔いっぷりを見ていた彼としては、一番気になる事由だったようだ。


亜季は目を閉じて気分を確かめてみる。


「え・・・うん・・・頭ちょっと重いけど、大丈夫だと思う・・・」


「なら良かった」


「うん・・・」


頷いた亜季が、伺う様な視線を丹羽に向ける。


丹羽は、立ち上がるとベッドに腰掛けてから告げた。


「で、この状況説明して欲しい?」


「ぜひ」


こくんと頷いた亜季の額をピンと弾いて、丹羽が苦笑する。


「さんざん玄関先で煽った挙句、ベッドに入った途端、記憶飛ばしたんだよ、誰かさんは」


昨夜の出来事を簡潔に説明してみせた丹羽が亜季の顔を覗きこむ。


「え・・・ええええ・・・じゃあ・・・えっと」


「あんな風に挑発されたら、俺も冷静じゃいられないんですけど?」


「す・・すいません・・・」


「しかも。肝心なところで先に寝ちゃうし」


「思った以上に酔ってた・・・みたい・・」


「相当酔ってたね。で、熟睡中の亜季の傍で大人しく朝を待つ自信が無いから、俺は下で寝たってわけ」


「ほんっとにごめん・・・」


「ごめんより、昨夜の分、取り返させて」


「・・・えっと・・・朝、だよね?」


僅かに開いているカーテンの隙間から朝日が覗いている。


「亜季、男にも事情があるんだよ?」


「し、知ってるけど!」


子供じゃないんだからそれ位理解している。


「とりあえず、シャワー浴びる時間はあげるよ。その後の一日は、俺の好きにしていいよね?とりあえず、ここから出れると思わないで」


ベッドを指差して宣言されれば、もう何も言い返せない。


亜季はくしゃくしゃの髪を押さえて逃げるようにバスルームに駆け込んだ。

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