第33話 機嫌直して?

お互い忙しくてデートらしいデートを出来ない時期が続いていた。


新入社員の頃とは違う。


社歴が伸びるにつれ、任される仕事と責任は必然的に増えて行った。


他に拠り所なんて無かったから、有難くない女帝という看板にしがみ付いて必死に片意地張っていたわけだけれど。


仕事以外の場所にも居場所を見つけた今は、いつもの多忙がかなり恨めしい。


亜季の場合は後輩の面倒も見つつ、パソコンが殆ど使えない上司の秘書的な役割も担いつつ仕事のスケジュールも組みながら、製作部門の工程も把握しておかなくてはならない。


さらに、業務改善のミーティングに社員組合の会議に、新商品の企画会議に・・と仕事は後から後から湧いてくる。


そして、丹羽の方も部下のフォローもしつつ、抱えている得意先との打ち合わせ、見積もり作成、上司のサポートと外回り、企画会議に売上報告、経費精算に事務処理、伝票チェックに納期管理と多忙を極めていた。


仕事の合間に、マメにメールのやりとりは行うけれどそれでも、これまでのようにちょくちょく電話をするような余裕はもう無い。


携帯を握ったまま返信を打ちながらベッドで撃沈という事も何度かあった。


お互いまさに疲労困憊。


こういう時程、恋人に甘えたいのに。


もう子供じゃない。


自分の生活の為にも仕事は勿論大事だし、やりがいも感じているけれどこの時ばかりは、何もかも投げ出したくなった。


これまでなら、どんなに忙しくても仕事でストレスを溜めこんでもプライベートで凹んでもひとりでどうにか立ち直って来た。


例えば、佳織を引き連れて朝まで飲んだり豪華エステに行ったり後輩とオールナイトのカラオケに出掛けたりと、自分自身で消化してきたのだ。


でも、もう駄目になった。


一度甘える事を覚えたら、抜け出せない。


抱きしめて貰える喜びを安心感と幸福感を知ってしまったから。


尚更側にいないと不安になる。


相手も時間が無いと分かっていながらも席を立つたびに携帯を確かめてしまう。


机に置いていてバイブが鳴るとドキドキする。


そして、液晶画面を確認して落ち込む。


そんな事の繰り返しだ。


自分でもどうかと思うけれど。


こればっかりはどうしようもない。


恋なんて落ちたら最後だ。


後は解けて離れて消えてくか、結ばれて離れずに添い遂げるか。


願う未来はいくつもあるけれどまだ口にできるほど勇気も度胸も無い。


自分の未来さえ見えないのに。


それさえもひっくるめて預けたいなんて。


だから、2週間ぶりにゆっくり電話が出来た時


「来週末、一日デートしよう」


と言われた時には飛び上がって喜んだ。


勿論、実際に飛び上がってはいない。


自宅のベットの上で、うつ伏せに寝転がって足をばたばたさせる位だったけれど。


それでも気持ちとしては飛び跳ねたのだ。


勿論二つ返事で頷いた。


「行く!絶対休みにするから!間違っても土曜出勤にはしないから!」


すぐさまスケジュール帳を引き寄せる。


月曜日からぎっしり詰まった打ち合わせや商品工程の日程を確認する。


怒涛の月~水を乗り切れば、何とか金曜日には定時で上がれそうな気配がした。


絶対終わらせる!と意気込む亜季に丹羽が


「なんか希望ある?」


「んー別にないかな?」


「じゃあ、俺に任せて貰っても良い?」


「あ、何か考えてくれてるの?」


「うん、ちなみに亜季船酔いする?」


「船酔い・・?しないと思う。って言っても子供の時にフェリーに乗った位だけど・・多分大丈夫」


「じゃあ、来週は神戸港行こうか」


「港?いいねー。最近海見てないから、行きたいかも」


「ナイトクルーズ、したくない?」


大橋のライトアップに合わせてクルージングをしながら夕食を楽しむ。


ランチタイムやティータイムもあるらしいが、ディナーとなると結構な金額になるはずだ。


「行きたい!っていうか、豪華デートねー」


「たまにはいいでしょ?」


「うん!ご褒美ね」


仕事を頑張った自分への。


そして、彼と会えなくて寂しくてもめげなかった自分へのご褒美でもある。


「中華のコースが出るってさ」


「ふかひれスープに飲茶も食べたい!後、杏仁豆腐に美味しいお酒ー!」


「一週間乗り切れそう?」


「うん!岳明は?」


「俺も乗り切れそうだよ。ナイトクルーズもだけど、とりあえず亜季に会いたいな」


さらりと言われて、素直に”あたしも”と言えずに黙り込む。


相変わらず丹羽は愛情表現が真っ直ぐだ。


臆面もなくこういう事を言う。


そしてそのたびに亜季はやっぱりドキマギしてしまう。


ここに丹羽が居ればいいのに。


咄嗟に思った。


目の前に居たら、きっと丹羽は黙り込んだ亜季の真っ赤な耳たぶを引っ張って、それから優しいキスをくれる。


「来週・・ね」



それはそれは精力的に仕事をこなした。


週前半の残業も覚悟の上で。


おかげで木曜の午後にはほぼ仕事が片付いて、目標にしたデートは目の前。


・・・だったのに。



★☆★☆


「だめになったってどーゆう事!?」


問い詰める口調の亜季に丹羽がすぐさま


「ゴメン、仕事でトラぶった。これから福岡に出張」


と切り返す。


「ええええええ!」


「ほんとにゴメン、亜季が楽しみにしてたのも知ってるし何とか土曜日の朝戻るスケジュール組もうとしたけど無理だった」


「・・・そう・・」


文句を言っても仕様の無い事だ。


仕事を持っている以上どうしようも無い事態は起こり得る。


丹羽だけじゃない、自分だっていつ何時同じ状況になるか分からない。


だから、諦めるしかない。


けれど。


「ごめんな」


「さ・・三週間も会えないなんて・・あたしっ・・・平気じゃない・・ぜんっぜん平気じゃないっ!」


携帯に向かって大声で言ってそれから、すぐに付け加える。


「怒っていいわよ」


「なんで?」


丹羽が小さく笑った。


ああ、その顔が見たいなと思う。


目を細めて亜季を見つめるその目がどうしようもなく恋しい。


「勝手なこと言ってるの分かってるから。でも、どうしようもないの。あたし、こないだまで平気だった。大抵の事自分でどうにか出来た。我慢することにも慣れてた。甘え方知らなかったからよ・・」


「今は?」


「だめ。だって、会いたいんだもん。勝手だっておとなげないって言われても。自分でも自分の気持ちどうしようもない。全部、あんたのせいよ。デートキャンセルで泣くなんて・・ほんっとにあり得ないっ」


目尻に溜まった涙を拭って亜季が言った。


「気をつけて行ってきて。待ってるから」


「うん・・」


頷いて、丹羽が亜季の名前を呼んだ。


「なに?」


「俺の方が会いたかったよ」


「・・そう言う事今言う?」


「ごめん。機嫌直して」


「直らないわよ」


「帰ったら一番に会いに行くから」


「そんなの当たり前でしょ!」


盛大に強がってみせたら丹羽が囁き声で告げた。


「好きだよ」


そんな一言で涙が止まる自分が心底恨めしい。


亜季はせいぜい尊大に言い返した。


「あたしもだからね」

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