第24話 プロフィール

四六時中一緒にいるわけじゃないのに。


ひとりじゃない。


それだけで、この心は満たされた。


”好きだよ”彼が使った魔法の言葉。


これから、この魔法を大事に大事に守って行く。


けれどまだ、現実味を帯びない。


これが夢だったらどうしようと思う。


何年も前に始まって、あっという間に終わった恋を思い出して、どんな風にこのふわふわした高揚感を押さえていたのか昔の自分に問いかける。


でも駄目だ。


モトカレの顔なんて思いだせない。


どんな風に手を繋いで、どんな風に一緒に歩いて、どんな風に過ごしてきたのか。


繋いだままの手をじっと見ていたら丹羽が亜季に向かって尋ねた。


「離しがたくなった?」


まるで小さい女の子に問いかけるような優しい響きに亜季の目が潤む。


不覚にも頷きそうになって堪えた。


声からダイレクトに伝わる愛情。


久しぶりすぎる感覚は、軽い眩暈に似ている。


触れた指先から零れる愛情、分けあえる温もり。


そうか、だから手を繋ぐのか。


一緒にいることを確かめたいから。


ひとりじゃないことを思い知りたい。


こんな気持ちなら、ずっと持っていたい。


無くしたくない。


答えに困った亜季と視線を合わせたままで丹羽が言を継ぐ。


「手、繋ぐの好きなの?」


「えっ・・・どう・・だったかな・・手は繋いでたかも・・」


答えに詰まったら、視界が遮られた。


二人の隙間が無くなって目の前がスーツで埋め尽くされる。


「っなに!?」


急に引き寄せられて亜季が目を白黒させる。


覗き込んできた丹羽の目を見返す余裕は当然ながら、まだない。


「訊くんじゃなかった」


溜息交じりに言って、有無を言わさず亜季の唇を塞ぐ。


もう何度目か分からないキスに、漸く亜季が息継ぎの仕方を覚える。


何のキスか分からないけれどさっきまで甘ったるいキスじゃないことは確かだ。


別の意図を持った、何かを奪うようなキス。


焦り?


おぼろげに唇から伝わる感情。


いつも隠れて見えない丹羽の真意。


掴み損ねてばかりいる気持ちが、ほんの少しだけ。


自分にも身に覚えのある感情が頭を過ったけれど、口にするのは憚られた。


「し・・質問したのそっちでしょ!」


解放された唇で精一杯憎まれ口を返したら丹羽がさも嫌そうに言った。


「ここで、別の男思い出さないでよ。頼むからさ」


「・・・!」


そんなもん思い出す余裕なんかない。


だって、さっきから頭も心も丹羽でいっぱいなのに。


こんなに人のことを振り回しといて一体彼は亜季にどれくらいの余裕が残っていると思っているのか?


唖然として黙り込んだのに、丹羽はそれを図星と見て取った。


遠慮なく顔を顰める。


「消して、忘れて」


そう言って亜季の顎に指を滑らせる。


仰のかせた視線の先に自分がいることを確かめて僅かに表情を柔らかくした。


綺麗に合わせた視線は見る間に甘ったるく蕩けていく。


恋の魔力は凄まじい。


が、伝えておくべきことがある。


「ちょっと待って!」


「なに?」


「この状況で他の男を思い浮かべるわけないでしょ?」


さっきまで近づかれるたびに必死に距離を取ろうとしていたのに今度ばかりは自分から詰め寄る。


聞き捨てならないセリフに、亜季の別のスイッチが入った。


「え?」


「昔の恋なんて思い出してない。ていうか、思い出せない。どんな人だったかも・・・好きって思った人が目の前にいるのにモトカレが浮かぶわけないでしょ!」


「でも手・・」


「手を繋ぐなんて久しぶりすぎたから!その感覚にちょっとドキドキしたの!」


言いきってから、ドキドキ、とかアラサー女子が口にする言葉じゃなかったか、と思って妙に恥ずかしくなる。


なんでだろう。


恋を自覚した途端に、自分がぐんと幼くなった気がする。


社会人としての自覚も責任も自信も。


女としてのプライドも意地も見栄も。


みんななし崩しになってただ、目の前の人の視線の先に自分だけが居る事を、いつもいつも確かめたくて仕方ない。


少し不安で、愛されている事を自覚したくてしょうがない女の子。


”女の子”そうだ、ただの女の子だ。


いくつになっても。


甘いお菓子と恋のお話。


占いにふわふわにキラキラ。


愛されたくてしょうがない。


遠い昔に手放した、いつかの可愛い乙女心。


「そんなこと言われたら帰しがたいよ」


笑って丹羽が亜季の指先をそっと撫でる。


この人は、自分の気持ちが今どこにあるか本当は全部分かってるんじゃないか?


そんな風に思わず疑ってしまいそうになる。


撫でられた指先が甘く蕩けてしまいそうだ。


聞こえてきた言葉を確かめる前に丹羽が続けた。


「泊まってく?」


「とっ・・・」


数十分前に”付き合おう”ってなったとこですけど?


大人の恋ってこんな感じだったっけ?


手を繋いで一緒に帰ってそれから・・


いや、待って現実、これ現実、悩むとこじゃなくって。


だから・・泊まるって・・だってほら、色々用意とか。


明日の服とか・・てその前に、あたしこの服の下・・・わわわ!今日は駄目!


色んな事情が目の前に現れて、お泊りに×を付ける。


「カ・・・カラオケでオール?」


へっぴり腰で問い返せば、丹羽がすかさず切り返した。


「イマドキ高校生でもなくない?そのパターンは」


「だって!!」


「困る?」


「困るっていうより・・・このままずるずるとか・・いやだ」


「ズルズルって?」


「だってまだ現実感ないし」


「ならちょうどいいじゃない」


一緒に目が覚めたら、現実だって嫌でも思いしれるよ?なんて笑って見せるからタチが悪い。


「駄目!そういうのは勢いじゃなくて!」


「勢いじゃなくて?」


「っ・・・今日は帰り・・マス」


「嫌だって言ったら?」


「・・・丹羽さんはそうゆう人じゃありません・・・」


「ここでそれ言うの?」


「・・・」


亜季の無言の圧力を受けて丹羽が言った。


「岳明って呼んでよ」


「え?」


「仕事ではしょうがないけどさ」


「い・・いま呼ぶの?」


「いつ呼ぶの?亜季」


耳元で囁かれて、心臓が跳ねる。


と同時に、ふと気付く。


まだ、この人の事を何もしらない。


「丹羽さん、誕生日いつ?っていうか今いくつ?」


浮かんだ疑問をそのまま口にしたら丹羽が困ったように笑った。


「今31、誕生日で32」


「誕生日いつ?」


「名前で呼んだら教えるよ」


不意打ちなら呼べそうなのに、待機されると緊張が増す。


必死の形相で亜季が名前を呼んだら、丹羽が至極幸せそうに笑った。

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