第45話 引き留める

システム移行してから数カ月。


定期訪問でメンテナンスに訪れた丹羽を工程管理の部署内にあるミーティングスペースに通す。


今日は丹羽の同僚でシステム営業の中でも配線関係を専門とする吉岡を伴っての来社だった。


システム移行がひと段落したので、次は各デスクにあるパソコンのインターネット回線の改修工事を予定しているためだ。


電波の都合上、無線が届かなかった為、有線でネットに接続しており、配線が床を占領するという事態が発生していた。


ヒールは引っかかるし、商品を運ぶ時にも足元が危ないので、気を使う。


ガムテープや何やで補修はしているのもの付け焼刃というやつだ。


一通りフロア内を案内した後、本社のシステムを一切管理する、システム室から担当者として赤嶺と原がやって来て、各デスクを回って、配線図と位置関係を確認しながら吉岡と今後の改修工事についての打ち合わせをしている。


システム営業の丹羽としては、今日に限っては殆どする事がなく、システム不良や、改修の依頼が無いかを確認してすぐにお役御免となった。


そんな彼をミーティングスペースに通して、亜季が声を顰めて問いかける。


「コーヒーでいい?」


先ほどまでと、打って変わった柔らかい声音に、丹羽が目元を和ませた。


その視線は止めて、と言いたいけれど言葉には出来ない。


一瞬でも油断したら、うっかり女帝の看板を下げてしまいそうになるから。


自慢じゃないが、この会社ではそれなりに恐れられている存在なのだ。


まかり間違っても、恋人が会社に来てウキウキドキドキなんて、許されない。


「うん、ありがとう」


穏やかに頷いた丹羽が、傍を離れようとする亜季の腕を軽く掴んで引き寄せる。


「でも、コーヒーは要らない」


「え・・・でも、結構時間かかると・・」


「なら、尚更ここに居てよ。山下さん」


ニヤッと笑って丹羽が亜季の腕を更に引き寄せる。


薄いドア越しに、打ち合わせを続ける声がここまで聞こえて来る。


そっちが亜季の現実だ。


後輩でもある程度の回答は出来るだろうが、デスクの配置や、プリンターの設定になると、範疇外だ。


間違いなく自分が呼ばれる。


頭では、仕事をしなくてはならないと分かっている。


亜季とて、パソコンの配線となるとさっぱりわから無い。


それでも、フロアにいる上司のおじ様連中とよりは知識を持っているつもりだし、後輩より社歴が長い自分の方が、詳しくて当たり前だ。


それでも、触れた指から丹羽の低めの体温がじわじわと伝わって来ると、眩暈を覚えそうになる。


躊躇いがちに、丹羽の方に踏み出せば腰かけたままの彼の腕が背中に回された。


甘えるように亜季の胸元に顔を埋めて小さく笑う。


「緊張してる?」


「当たり前でしょ、こんな場所でっ」


「亜季、声」


「・・・っ」


ここで名前を呼ぶなんてズルイ。


迷う様な視線を送れば、丹羽が誘うように亜季の項に手を添えて引き寄せる。


流されてしまいたい気持ちが半分を超えて来て、いよいよ踏みとどまれなくなる。


「本当に、マズイ・・・から」


「何がマズイの?」


わざと試す様な視線を向けて来る丹羽から逃げるように、亜季が視線を逸らす。


早期撤退しないとこれは本当に命取りになる。


けれど、すかさず丹羽が甘い声で名前を呼んだ。


「あき」


「・・・ほんとに・・・赤嶺が・・呼びに」


その言葉に、丹羽が強引に唇を重ねた。


「っ・・・ん・・・」


噛みつくようなキスが角度を替えて何度も繰り返される。


ぬるりと舌先で内側の柔らかい粘膜を舐めて、ちゅっと啄まれる。


ぶわりと身体の奥から弾けたのは恋心と快感。


亜季が吐息を漏らすと、丹羽が僅かに唇を離した。


「そういう声、だめでしょ?」


「だって・・・こんなとこでこんな事する、そっちが悪いっ」


「赤嶺さんって、同期?」


頬を染めた亜季を立ち上がった丹羽がそっと抱き締める。


先ほどまでの、強引なキスとは裏腹の優しい仕草。


「同期・・・だけど・・・」


赤嶺は、樋口、相良、佳織達と同じ同期メンバーのひとりだ。


システム室は、万一に備えての当番制夜勤勤務があるので、飲み会への参加はそう多くは無いが、今も変わらず仲の良い同期である。


「そう・・・えらく仲良さそうだったから」


言い訳のように呟いて、丹羽の唇が亜季の頬を滑る。


「だからってねェ・・・」


「あの人の左手に指輪見つけたから、少しはホッとしたけどさ」


どこまでも目ざとい丹羽。


短い挨拶と、フロア視察の間にそんな所までチェックしていたらしい。


丹羽の腕に抱きしめられながら、自分のスカートの裾がほつれていたら、先に見つけるのはこの人なんだろうなと、ちらりと思う。


ぼんやりと別の事を考えたことに気付かれたのか、緩く回された腕と、反対の手が亜季の頬に伸びて来た。


包まれるように撫でられて、亜季が目を閉じて息を詰める。


耳元を覆うショートボブの短い髪をかき上げて、丹羽が囁いた。


「ふたりきりなのに、他の男の名前呼んだりするからだよ」


2人きりって、壁一枚隔てて皆居ますけど!?


ってか、今地震が起きてこの壁が壊れたら、間違いなく羞恥心で死ねる、あたし。


強気が専売特許の山下亜季、まさかの鬼の撹乱って社内の噂になる。


でも、そんな事どうでも良くなる位彼の腕は優しくて心地よい。


「離れたくなくなるような事、言わないでよ」


亜季は精一杯の強がりでそう答えた。

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