第50話 夢と現実

夢を見ていられる年齢じゃない。


憧れそのままを描いて、満足出来る程子供でも無い。


苦い現実に折り合いを付けて生きられる程、大人でも無い。


夢は夢と割り切って、諦められる年齢じゃ・・・まだ、無い。



☆★☆★



女同士で飲もうと、佳織を誘ったのは亜季だ。


呑める2人で出掛けるならと、オープンして間も無いビアガーデンを選んだ。


暮れてゆく夕空を見ながら、仕事を定時で終えて飲むビールは何より美味い。


「久しぶりだよね、2人で飲むの」


「そーね、忙しかったしねー」


「今日は、樋口は?」


「相良と飲みに行くってさ」


「あら、暮羽ちゃん良かったのかな?」


「ほら、暮羽ちゃんのトコに後輩入ったじゃない、販売から移動して来た子。あの子と舞ちゃんとウチの友世とご飯行くって。どーも部活に引っ張り込もうとしてるみたいよ」


「ああ、有村さんね、東雲さんとこの」


「東雲?って東雲室長?」


「そーよ、アレ、知らなかった?内輪じゃ有名」


「なによそれ、どゆこと?」


ビールグラス片手に身を乗り出して来た佳織に詰め寄られて、亜季がオフレコだからね、と念を押す。


「東雲室長の離婚した奥さんの連れ子」


「え!?血のつながらない娘?」


「そういう事」


「へー・・・知らなかったわ」


「でしょうね、トップシークレットだもん。社員で知ってるのって上層部と一族関係者だけじゃないかな?」


「情報規制されまくってるじゃない・・・やるわね、あんた」


「まーね。色々探り入れたら出て来た情報なの」


「へー・・・東雲の・・・って事は、東雲慧の」


「元キョウダイってことね」


「そうなんだ・・・」


「なに?何か気になる事でもあった?」


「あ、ううん。別に・・・」


曖昧に頷いた佳織がビールを煽る。


と、隣りのテーブルのOL達の話し声が聞こえて来た。


「ええー!絶対無理!結婚してとか言えないって!そんな自分から切り出す重い女やだ!」


「外堀囲われてると思われても困るしね」


「でも、そろそろ考えないと、駄目だった時後が無いよー」


「それはそうだけど・・・」


4人グループの会話に思わず、口に運びかけたビールをテーブルに戻して、亜季はチラリと隣りのテーブルに視線を送った。


明らかに、自分達より4,5歳は若い女の子。


”後が無い”のは、間違いなく自分の方だ。


「何よ、気にしてんの?」


佳織が平気な顔で問いかけて来た。


「気に・・・はしてるわよ、やっぱり・・・」


間も無く30歳になる。


結婚を急ぐつもりは無い。


今更急ぐ歳でも無い。


物凄く家庭に入りたかった時期はとうに過ぎてしまった。


丹羽との付き合いは円満で、申し分なく楽しい。


でも、将来とか、未来、という話しになると二の足を踏む自分がいる。


「丹羽さんだって、良い歳した大人だし。それなりに考えてるでしょうに。2人で居る時、そういう話したこと無いの?」


「話・・は・・・」


「んー?」


「出た」


「あら」


「けど、逃げた」


「・・・あんた、またぁー!?」


呆れた顔で佳織が嘆いた。


「だって!・・・これで上手く行かなかったら、ほんとにもうどうしようもない」


最後が小声になったのは、隣りのテーブルの女子の視線を感じたような気がしたから。


誰より、今この話題に敏感なのは自分だ。


「どうしようもないって・・・亜季・・・」


「別に、結婚とか望んでないし。もう諦めてるから、そういう事は。今更だし・・・それに自分からそういう話振って、嫌われたくない」


「向こうから振って来たんでしょうに。何て言われたのよ?」


「そういう・・・直接的な事は言われて無い」


「じゃあどういう事?」


「もうちょっと先の事、考えてみないかって・・・」


「あーそういう・・・」


「一緒に暮らそうってだけかもしれないし。そんな、一足飛びに結婚とか考えてないかもしれないし。もしかしたら、お互い良い人探そうねって話かもしれないし~・・・」


「ええええ!?ちょっと、あんたどんだけネガティブよ。2人の甘ったるい会話でしょうに」


「甘くなかった・・・」


「亜季・・・」


「むしろ、夢の時間が終わったみたいで、苦かった」


会えば嬉しい、一緒に居られたら楽しい。


それだけで十分だと思ってた。


恋愛している自分に満足していた。


いや、違う、満足して、いたかった。


本当は、未来を望んでいた自分を、ひた隠しにしていた願望まみれの自分を。


綺麗に見透かされたのかと思って、恥ずかしかった。


イイ歳して、まだ夢見る事を諦めきれない自分を。


だから、丹羽の言葉にすぐに返事が出来なかった。


笑って、逃げた。


その先に彼が出した答えが”結婚”の2文字でも、たぶん、迷ったと思う。


もっと若い頃は”結婚”=”幸せ”だったな。


寸分の狂いも無い完璧な未来が自分に降ってくると、馬鹿みたいに信じていたから。


でも、大人になればなるほど、どうしようもない現実を思い知って、少しずつ、そういう憧れは薄れていった。


恋愛から遠ざかれば遠ざかるほど、望んだ未来は眩しく見えて、だから見ないフリをした。


でも、降って沸いた恋は、これまで諦めた全てを取り戻させるくらい、楽しくて。


”もういい”と手放した未来を、手繰り寄せたくなるから。


「今、がずっと続けばいいんだ。お互い大人だし、このままでいられたらそれでいい」


「そうやってすぐ逃げる」


「だって怖いもん」


「意気地なし」


「何とでも言って、あたしはあんたよりずっと、根性無しよ」


「そうやって、もういい、って言いながらどっかで期待捨てきれない癖に」


「何よ」


「丹羽さんに聞いてみなってば。あんたが逃げたから、向こうだってそれ以上踏みこめないんでしょう?今、に拘るのは悪くないよ。刹那的なのも嫌いじゃないわよ。でも、相手あっての恋愛なんだから。まずは、確認してみなさい。丹羽さんが、本気であんたとの将来考えてないってんなら、傷ついたあんたの代わりに私が怒鳴りこみに行ってやるわ」


「それは理不尽でしょう。付き合ったから、結婚しなきゃいけないなんて法律どこにもない」


「それでも、私の気が済まないからよ!」


ドンとビールグラスをテーブルに叩きつけて佳織が言った。


亜季は目の前の親友を眺めながら、羨ましい気持ちでいっぱいになる。


佳織が弱気になった時、叱咤激励して支えるのは亜季の役目だった。


亜季が泣いた時には、佳織が全力で慰めてくれた。


そうやって、お互いを唯一無二の存在と思って来た。


でも、佳織は、もう帰る場所がある。


ありのままの自分をさらけ出して、泣ける場所がある。


それは、佳織が逃げずに戦って掴んだ居場所だ。


「また、ひとりになって、1から頑張れる自信が無いよ・・・」


居心地の良い丹羽の側を離れてしまうのが怖い。


「・・・怖いのも、不安なのも、分かった!でも、ひとりにはなんないでしょ!私がいる!紘平だってあんたの事ほっとかないわよ!丹羽さんがいなくなったら、一人ぼっちなんて、そんな事、絶対言わせないんだからね!」


散々愚痴って、弱音を吐いた。


タクシーを降り際に、佳織が念を押すように言った。


「丹羽さんは、いい加減な人じゃないわよ」


「・・・うん」


それを知っているから、尚更怖い。


多分、彼は中途半端な答えは出さない。


白か、黒か、突きつけられた答えを受け止める自信はあるのか。


自問自答を繰り返す。


自宅のベッドの上で、ぼんやりと携帯を見つめていたら、11時半を回っていた。


飲みに行くと伝えてあるので、丹羽からの連絡は無かった。


亜季は、深呼吸ひとつして、発信ボタンを押した。


コール音が、異様に大きく聞こえる。


「亜季、もう家帰ったの?」


繋がると同時に聞こえて来た声に、亜季は小さく頷いた。


「うん・・・もう家・・・」


普通にしていようと思うのに、声が震える。


深呼吸しようとしたら、丹羽が問いかけて来た。


「亜季、泣いてるの?」


「・・・え・・・?」


「友達とケンカでもした?それか、仕事で何かあった?」


「・・・う・・・ううん・・・何でもない。楽しかったし、ビール美味しかったわよ」


「じゃあ、何か心細い事あった?」


穏やかに言われて、答えに詰まる。


「亜季?どうした?」


「・・・最近・・・どうしようもなく、自分が不安になる事があるの・・・こんなこと言ったら、馬鹿だって思うかもしれないけど・・・自分の居場所が不安になる・・・あたしに自信が持てないの・・・時間が経てば経つほど、どんどん駄目になる。言っても仕方ないのに・・・もうやだ、ごめん・・・酔ってる・・・切るね」


口にすればするほど、泥沼に嵌まる。


零しても仕方ない本音。


誰もそんな言葉は望んでいないのに。


「亜季!」


携帯を離そうとした途端強く呼ばれた。


「それは、俺があんな事言ったから?」


「・・・違う」


「違わない。亜季を追い詰める為に言った訳じゃないよ」


「違うの!」


かぶりを振って携帯を握りしめる亜季の耳に、丹羽の優しい声が聞こえて来た。


「俺は、亜季の未来が欲しいよ」


未来。2人が一緒に居る未来。


頷きかけた亜季が、こみ上げて来る涙を堪えてさらに言い募る。


「・・・でも・・・あたしじゃ駄目かも」


「駄目じゃない。俺と居る事で、亜季は幸せになれない?」


「そんな事無い!」


即座に否定したら、丹羽が穏やかに告げた。


「じゃあ、一緒に居よう。もっと亜季を幸せにするよ」

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