第52話 お楽しみに

Aライン、マーメイド、プリンセスライン。


様々な形のドレスがところ狭しと並ぶ店内。


ドレスを探してるんです、と営業スマイルで丹羽が告げると、直ぐにスタッフが対応してくれた。


ちょうど客が切れたタイミングらしく、二人の他には誰もいない。


いつもは窓の外から眺めるだけだった自分が、他でもない自分の為のドレスを選ぶ事になるなんて、今でも信じられない。


前を歩く丹羽が、すぐにでも振り返って『今のは冗談だよ』と言いそうで、ゆっくり店内を眺める余裕もない。


人って、幸せ過ぎると不安になるんだな。


30年近く生きてきて、初めて知った。


この時間が永遠に続けばいいのに。


お互いだけを見つめている、柔らかくて甘い時間が。


上品なシャンデリアを見上げたら、ふいに、おとぎ話のシンデレラを思い出した。


童話なんて20年以上読んでいないのに。


憧れの舞踏会で、王子様とダンスを踊ったシンデレラも、きっとこんな気持ちだったんだろう。


魔法使いのおばあさんがくれたガラスの靴を、絶対に脱ぎたくないと思ったに違いない。


あたしだったら、さっきの場面だな。


彼の台詞を永久保存して、これからも時々思い出して、余韻に浸る。


だって、本気で自分が主人公だって、初めて思えたから。


生まれて初めて。


一生涯亜季がいいよ、って言って貰えた。


他の誰に言われるより、一番嬉しかった。


あー、やだ。


タイムマシンとか無いかな?


もう一回聞きたい。


何度でも聞きたい。


ああ、そうか、だから、皆幸せそうなのか。


この世界を回す根源的なところまで思考が落ちていって、驚いた。


シンデレラに例えたり、世界幸福を思ったり。


よっぽど、嬉しかったのだ。


本当は、あの場で跳び跳ねたいくらいに。


店員と話にしていた丹羽が振り向いた。


「式場の手配とかはまだこれからの予定なんですけど、ドレスの雰囲気だけでも、確かめられたらと思って、ね、亜季…って上の空だな」


定まらない視線を丹羽に向ける亜季の頬を指で突ついた。


「えっ!はい!なに!」


「亜季が上の空って話だよ。主役はそっちなのに」


「だって、夢みたいで!」


丹羽の手を掴んで必死になって亜季が言う。


普段の彼女からは似ても似つかない台詞。


思わず丹羽が目を丸くする。


言葉を失った未来の新郎の代わりに、店員が口を挟んだ。


「わかりますよー。やっぱり花嫁は永遠の憧れですものね!」


「え!」


自分の発言を思い出して、居た堪れなくなった亜季が真っ赤になる。


視線をさまよわせたら、丹羽が顔を覗きこんで目を細めた。


愛しげな眼差しに亜季はドキッとする。


丹羽がさも幸せそうに、店員に向かって胸を張った。


「可愛いでしょう」


「ええ。素直な彼女さんで、素敵ですね」


「二人の時限定、なんですよ。今日は特別かな」


嬉しそうな丹羽の台詞を否定する事も出来ずに、くすぐったい気持ちのまま、ドレスの希望を訊かれて、亜季は悩みながら告げる。


「ふわふわし過ぎなのはちょっと…恥ずかしいです。年甲斐ないし!」


「そんなこと無いですよ。でも、スレンダーなドレスの方が、お似合いかもしれませんね。細身の体をいかして」


「でも、体のラインが出るのもちょっと」


「そうですねー、控えめなラインでスタイルが良く見えるこちらのドレスなんか、お勧めですが」


店員がドレスを亜季の体にあわせてみる。


長いトレーンがいかにもウェディングドレスという感じだ。


鏡の中に立つ自分をまじまじと眺めて、亜季は漸くこれが現実だと信じることが出来た。


「上品なドレスだね」


少し離れた所で様子を伺っていた丹羽が近づいてくる。


「着てみたら?試着できますか?」


「はい、ご案内します」


「いえ!いいです!」


即座に断った亜季を見つめて、丹羽が驚いた顔をした。


「え?なんで、折角だから、着て見せてよ」


「いいの、今日は見るだけ!」


「よろしいんですか?」


店員が再度確かめてくるが、亜季は笑顔で大丈夫です、と答えた。


カタログだけ貰いたい旨を告げると、店員は心得た様子で側を離れた。


「本当にいいの?時間なら気にしないけど」


「うん、楽しみは取っておきたいから」


一日で幸せを味わい尽くすなんて勿体無い。


「カタログ見ながら、色々考えたいし。また、付き合ってくれる?」


心配そうに尋ねて来た亜季の前髪をそっと撫でて、丹羽が笑う。


「それは、俺の特権だよね?」


「あ、でも、どのドレスにしたかは、当日まで教えないから!」


「いいよ。楽しみにしとく」


頷いた丹羽が亜季の指先を握って微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る