第78話 夫婦の時間

「亜季ー」


夕飯の片づけの後、テーブルを拭いていた亜季に向かって、丹羽が言った。


「俺、来週出張なんだ」


「どこにー?」


「東京」


「何泊?」


「二泊三日ー」


「・・・はーい」


僅かに小さくなった亜季の返事に、丹羽が苦笑を返す。


「寂しいだろうけど、ごめん」


付き合っている時から、お互い仕事を抱えていてデートもままならない時期もあった。


会えない日がある事が普通だった。


のに、一緒に暮らした途端”いない”日があると、寂しくなる。


変な話だ。


そんなに態度に出したつもりは無かったのに、バッチリ沈んだ気持ちを見透かされて、亜季は慌てた。


「だ、大丈夫だから!」


今更とは思いつつ取り繕うが、失敗する。


明らかに笑えていない。


なんでこんな風になっちゃうかな、自分・・・


盛大に溜息を吐きたくなるが、ぐっと堪える。


忙しいのが普通だったのに・・・って、あ、そうか。


結婚してから初めての、丹羽の出張なのだ。


毎日隣に居た人が、数日留守にするだけだ。


すぐに帰ってくる。


「あーき」


いつの間にか隣に来ていた丹羽が、亜季の顔を覗き込んだ。


柔らかく微笑むその瞳には、悪戯っぽい光も宿っている。


「そんな生返事する位なら、寂しいって言って欲しいなー」


「さ、寂しいとか・・・」


そういう事が言えたなら、きっともっと楽に生きて来たと思うのよ!?


もーちょっと可愛げがあって、愛想がよくて。


あああ駄目だ、ここはネガティブになるところじゃないのに・・・


ずるずるとマイナス思考に引き摺られそうになりながら、亜季が視線を彷徨わせる。


亜季が掴んでいた台ふきんは、丹羽が撤去してしまった。


「俺はちょっと期待したけど?」


「何を期待してんのよ・・・」


「夜、俺がいないベッドで、亜季ひとりで眠れる?」


「眠れるっていうか、眠れなきゃ困るし・・・そんなの・・・」


「それはそうなんだけど・・・」


困ったように呟いて、丹羽が視線を天井に向けた。


「俺は、亜季がいないと眠れないよ」


こそばゆい位、甘ったるいセリフが耳を擽る。


亜季が俯くのと、丹羽が亜季に手を伸ばすのが同時だった。


「こうやって、触れない日が二日もあるなんてさ」


「二日って、正味一日でしょ!?」


「朝、亜季が起きる前には出るから」


「早起きするわよ!」


「そういうとこは意気込んでくれるのに」


視線を戻した丹羽が、額をぶつける。


吐息が触れて、丹羽が目を細めて笑った。


「キス、しよっか」


「・・・ん・・・っ・・・」


いちいち言わなくていいのに、と思うけれど、確かめるように尋ねる丹羽の声も好きなので黙っておく。


頷いた亜季の唇を、丹羽が軽く啄んだ。


「じゃあ、二日分のいってらっしゃいのキスで、見送って貰おうかな」


「二日分って、何回・・・?」


素朴な疑問を口にしたら、丹羽が吐息で笑った。


「亜季が好きなだけしてよ」


「・・・か、考えと・・・ん・・・」


考える暇もなく、再び丹羽の唇が降りてくる。


今度は啄んだ後で、唇を軽く舐められた。


息を呑んだ隙に、舌が滑り込んでくる。


亜季の気持ちを探る様な、慎重なキス。


「っ・・・ん・・・」


優しい甘さが、だんだん艶っぽい甘さになって、次第に丹羽のキスが深くなる。


決して強引でない丹羽の、丁寧で巧みなキスは、亜季の気持ちも体も解いてしまう。


ああだこーだと、言い訳して逃げ出す亜季の強がりも、意地も、何もかも取っ払ってしまう。


馬鹿みたいに恋する乙女になる。


だって、好きな人とするキスは最高に気持ちいい。


キスに酔いしてれているうちは、素直になれる。


「・・・寂しいって言えない分も、キスしてくれたらいいよ」


「た、岳明・・・」


「なに?」


「・・・あ、あんたはどれだけあたしにキスさせるつもりなの!?」


お手上げ状態で亜季が恨めし気に尋ねる。


回数なんて考えた事もなかった。


キスはその場の雰囲気でするものだし。


「そうだなー・・・」


丹羽が真面目な顔で顎に手を当てて考え込む。


まさかそんなに悩むとは思わなかった。


え、なにそれ・・・


予想外の展開に亜季が困り顔になる。


と、丹羽が亜季に向かって満面の笑みを向けた。


「回数は何回とは言わないけど・・・俺が戻るまで、亜季がずっと俺の事考えてくれるようなキス?」


「ど、どんなキス!?」


「それを考えるのが、亜季の今夜の宿題」


「しゅ、宿題って・・・ちょっと!!」


「ヒント欲しい?」


茶目っ気たっぷりで丹羽が亜季にしな垂れかかる。


「お、重いってば・・・ヒントって?」


「今夜、おやすみのキス、亜季からして」


それが交換条件だから、と丹羽が微笑んだ。

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