第77話 キャンドルナイト

一人ならきっと考えもしなかった。


誰かが待っている家に帰るということ。


たったそれだけの事なのに、今は、ものすごく特別に思える。


クリスマスイブの夜。


★★★★


「ケーキ出す?」


ワインと楽しめるようにと、レアチーズケーキをチョイスした。


生クリームたっぷりのデコレーションケーキにも惹かれたが、ワインは外せない。


亜季の問いかけに、丹羽が悪戯っぽく目を輝かせた。


チキンがメインの食事は軽めに済ませた。


本格的なイブの夜はこれからだ。


チョコにナッツにクラッカー。


手軽なおつまみをローテブルに広げて、今度はソファで寛ぐ。


「そうしようか」


グラスは用意しておくよ、と言って亜季を冷蔵庫に向かわせる。


丹羽は結婚祝いに贈って貰ったペアグラスを取り出して、テレビボードの奥にこっそり忍ばせておいたアイテムを取り出した。


ちらりとキッチンに視線を向けるが、亜季は冷蔵庫からケーキ箱を取り出すのに夢中だ。


ほくそ笑みつつ箱からそれを取り出す。


亜季がこちらに戻って来る前に準備を終えなくてはいけない。


★★★★


「面倒だからお皿抜きのフォークだけでも・・・え?」


キッチンから戻ろうと踵を返した亜季が、目を瞠って立ち止まる。


部屋の明かりが消えていた。


停電・・・なわけない。


キッチンの明かりは煌々とついている。


ということは、犯人はただ一人。


「岳明ー・・なんで明かり・・」


リビングへ足を踏み入れると、小さな淡い光が目に入った。


ローテーブルに置かれたキャンドルだ。


「うっそ・・・」


オレンジ色の優しい光がワイングラスやおつまみをぼんやりと照らしている。


完璧すぎる演出に思わず亜季は言葉を失くす。


「ど・・・どうしたの。これ」


「キャンドルナイトもいいかと思って」


どこまでも用意周到な出来る夫の発言に、亜季はぽかんと馬鹿みたいに頷く。


柔らかい光が映す、優しい輪郭。


岳明の整った顔に映える陰影が、亜季を落ち着かない気持ちにさせた。


「なんでそんなに気が利くの!?」


考えたくないけど、他の女の子ともこんな風にイブの夜を過ごしたのだろうか。


胸をどろどろとした、濁った重たい感情。


折角のイブに淀んだ気持ちは抱きたくない、けど・・・


「ロマンティックで素敵すぎる!」


「嬉しいのか複雑なのかどっち?」


「嬉しいわよ!」


「なら、素直に喜んでよ。亜季の為に買ったんだから」


「・・・」


「なにかな?その胡乱な視線は」


呆れた顔で丹羽が亜季の頬に指を伸ばす。


人差し指で綺麗にチークで彩られた頬を突いた。


「キャンドルなんて・・・」


「初めて買ったよ」


「うそ!」


条件反射で答えたら、丹羽が思い切り眉を顰めた。


「普通男がキャンドルなんて買わないだろ?この時期だからだよ」


「・・・そ・・・そりゃそうだけど・・・」


「亜季が前に言ってた、輸入雑貨のお店あっただろ?」


「駅前の?」


「うん。そのお店にふらっと寄ったんだよ」


どう考えても女子が好む雰囲気のお店。


なんでよりによってそんなトコに・・・と言いかけて、亜季が口を噤む。


丹羽は、亜季の表情が変わったのを見逃さなかった。


笑みが浮かぶ。


「何が喜ぶかな、と思ってさ」


店に入ってすぐのディスプレイに、クリスマスギフトとして飾られていたキャンドルがコレらしい。


赤みが買ったオレンジ色のキャンドルは、アロマキャンドルだった。


琥珀色のガラスに入ったそれが、ゆっくり溶けて、淡い香りが広がっていく。


ジャスミンベースの上品な甘い匂いは、深く吸い込むと胸までじんわり広がる。


「いい匂い」


「なんか落ち着くだろ?」


微笑んだ丹羽が、亜季の項に鼻先を押し付けた。


「亜季を抱いた時と同じ」


背中に回った腕の力強さと、さらりと言われた一言に、動悸が激しくなる。


それってそのままの意味?それとも・・・?


深読みすればとんでもない事になりそうで、なにも言えない。


「あれ・・・?もっと動揺するかと思ったのに」


丹羽が意外そうに腕の力を僅かに緩めた。


とは言っても、完全に力を抜いたわけじゃない。


亜季が逃げられない程度に加減したというだけだ。


「もっと慌てるかと思ったのに・・・」


間近で顔を覗き込まれて、亜季が慌てたように身を捩った。


暗がりだからか、距離感が掴めない。


「顔赤い?」


丹羽の指が亜季の頬を包み込む。


「ち、ちかい・・・ってば」


亜季の小さな呟きに、丹羽が耳元で囁く。


「暗いから・・・見えない」


「それがいいんじゃないの・・?」


ぼんやりと僅かな明かりを頼りに見つめ合うのが、素敵なイブというやつだ。


雰囲気のあるお店では間接照明が好まれる。


煌々と照らされた明かりの下で愛を語らうのは、ロマンティックさに欠ける。


「明かりが少ないから、距離が近づく。それがいいんだよ」


吐息が触れる距離で、丹羽が静かに囁く。


うやむやになる前に、と亜季は跳ねる心臓を抑えつつ進言した。


「ワインと・・・ケーキは?」


「ん?食べるし飲むよ?」


この距離で言われても説得力がまるでない。


しれっと言った丹羽が、亜季の唇を奪う。


触れるだけの優しいキスに、亜季がほっと体の力を抜いた。


それと同時に、舌が忍び込んでくる。


亜季の口内を味わうように、丹羽のキスはどんどん深くなる。


絡まる吐息がキャンドルの淡い光を揺らした。


「・・・ん・・・ワインは・・・?」


唇を離した丹羽が、楽しそうに尋ねた。


「・・・っの・・・む」


負けじと言い返すが、丹羽が視線を更に甘くする。


「ケーキは?」


わざわざチーズケーキ専門店で取り寄せたのだ。


甘さ控えめでワインにも合うものを。


「た・・・食べるわよ」


亜季のセリフに、丹羽が柔らかく微笑んだ。


「それ、いつまで持つか試してもいいかな?」


「今日はクリスマスよ!」


精一杯の虚勢を張って言い返したら、丹羽が勝ち誇った笑みで宣言した。


「だからだよ」

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