第8話 アイスと帰り道
”送るよ”という提案に頷いてくれた亜季と、駅前の通りを並んで歩く。
あの夜、驚くくらい好戦的な彼女から噛みつかれて、そのまま逃げられた丹羽としては、穏やかな会話が続いている事が、少し不思議に思えて来る。
店の前でのやり取りで見せていた頑なな表情は程よくほぐれている。
酔ったせいもあるのだろうけれど、この前の”話しかけるなオーラ”が無くなっただけでも十分嬉しい。
完全にこちらに気を許しているわけではないのだろうが、時折笑顔が見られるという事は、信用ならない人というレッテルは完全に剥がれたと思って良さそうだ。
さっきまでの顔も、今の顔も、どれも山下亜季の一部なのだと思うけれど名前だってついさっき知ったばかりだ。
この気持ちが”気になる”だけで終わるのかそれとも違うなにかに繋がって行くのかまだ自分の気持ちは見えない。
けれど、彼女には興味がある。
丹羽は、何と無く逸らせなくなった視線を誤魔化す為に、亜季に話を振った。
「駅の近く?」
「え?」
「マンション」
「あー、そーよ。駅徒歩10分」
「それは安心だね」
駅前の通りは街灯も多いし、深夜帯でもある程度人の行き来がある。
裏通りに入らない限り、妙な気を起こす連中に鉢会う心配はない。
「1人で暮らすってなると色々用心深くなんのよ」
「そりゃーいい傾向だよ」
すんなり頷いた丹羽の顔を不思議な表情で亜季が見上げて来る。
そんな事言われると思わなかった、とその顔に書いてある。
こちらとしては、極々一般的な回答を口にしたつもりだ。
「怖がりになるのは、用心の意味で悪いことじゃないけど。ちょっと、寂しいね」
「・・・」
付け加えた一言は、亜季を困らせたようだった。
分かりやすく眉根を寄せた亜季が黙り込む。
また突っかかって来るかな?と反応を窺えば。
「だって・・痛いのは嫌だから」
驚くくらい静かな告白が聞こえて来た。
「どうして?」
「傷ついて、それでも自分の足で立ってなきゃなんないのよ?踏ん張る力なんてあたしにはないの。だから、先回りして怖いことは遠ざけちゃうの、たとえ遠回りになってもそれでいいのよ。傷つかないならそれが一番いい」
誰かに聞かせる、というよりは自分の心に言い聞かせるような言葉だった。
何となく、彼女が”こう”な理由が分かった気がする。
「・・ふーん・・・」
恐らくこれが彼女の持論なんだろう。
最初に出会った合コンで、亜季が、丹羽ではない男に見せた表情が脳裏に浮かんだ。
必死に現状を取り繕って、そのくせ一度もこちらを振り向きもしない後ろ姿をいつまでも見つめたりして。
面白半分で突いてみれば、さっきまでのすまし顔が嘘みたいに大慌てで自分の気持ちを否定して。
全力であの男が好きなんだな、と一目で分かる位の一生懸命さ。
ひたむき、という言葉がしっくり来る彼女の言動と行動が、痛ましいくらい眩しく映った。
こんな風に思って貰えるサガラという男が物凄く羨ましくなった。
しかも左手の薬指には真新しい指輪まで嵌めていて、確実に報われないと分かっていても、それでも彼女の想いは変わらないのだ。
気になる、と位置付けていたバロメーターが、好意に変わっている事に気づいた。
漠然と彼女が欲しいな、と思う。
とは言っても、まあ相当難しそうだけれど。
駅前にはいくつものコンビニが点在していた。
すぐ前に見えて来た明かりを指先して、お伺いを立てる。
自分の気持ちが固まった以上、嫌われるような事はしたくない。
「あ、そこのコンビニ寄ろうか。山下さんの好きなアイスあるかな?それとも、行きつけのコンビニってある?」
「行きつけのコンビニは無いから大丈夫、すんごい高いやつ選ぶからね」
「好きなだけ、どうぞ」
本心から口にした丹羽に、慌てて亜季が首を振る。
「・・・あ、いや・・そんな大量には・・」
「遠慮しなくていいよ」
そんなことで機嫌が取れるなら安いものだと思った。
丹羽達と同じように飲み会帰りらしいサラリーマンやOLがデザートコーナーを見ている横を通り過ぎて、アイスクリームが納められた冷凍コーナーへ向かう。
コンビニに入った瞬間に、亜季を纏う空気が切り替わった事に気づいた。
蛍光灯の明かりの下で、改めてさっき自分が口にした台詞を思い出したのだろう。
ちらりと丹羽を振り返って、勇み足で先を行く分かりやすい彼女の後を追う。
ぽろっと本音を零したと思ったらあっという間に見えなくなる。
さっきの言葉は、紛れもなく亜季の”素直な気持ち”なのだろうが、今先を行く彼女は全く隙のない”OL”仕様。
コレを掴むなんて多分、絶対に無理だ。
さっきの亜季の言葉に、返したい事は本当はちゃんとあった。
問いたいことも、伝えたいことも。
けれど、どれも口に出来なかった。
何と無く、想像できたのだ。
丹羽の言葉を聞いた後の亜季の表情が。
多分、それを伝えれば今度こそ亜季は綺麗に心を閉ざす。
ひょんなきっかけで、最初から亜季が本心を見せたから、だからこそさっきの彼女の言葉を聞く事が出来た。
何もかも偶然が重なっただけのこと。
適当に飲むためだけに来た合コンで終わっていたら、きっと彼女は、今日も店の前で丹羽の申し出を丁重に断っただろう。
微塵の隙もない言葉で。
出来るだけこれ以上の事は考えないように亜季の隣に並ぶ。
久しぶりに新鮮な感情を味わわせて貰ったと、割り切って去るべきか、それとも。
冷風に晒されたアイスを前に思案顔の彼女に問いかける。
「アイスってどれが美味いの?」
「さー好みによるからね。あんまり食べないの?」
「自分から進んで買うことはないかな」
「そーなの。まあ、男の人ってそうかもね」
「コンビニで買うのは酒類と弁当位だからなぁ・・へえ・・色々あるんだな」
カップやコーン、フルーツアイスや定番のバニラ味。
カロリーや糖質控えめの健康志向なものまで揃っている。
目移りしながら結局亜季が選んだのは定番のバニラアイスだった。
有名ブランドの。
「わー贅沢させてもらっちゃったわぁ」
普段買う100円アイスの2倍以上の価格のカップアイスが入った袋を提げて亜季がニコニコと笑う。
「これで、気は済んだ?」
「ええ。おかげさまで、一晩寝れば嫌な事は全部綺麗に忘れられそうよ」
マンションの前で立ち止まった亜季が今日一番優しい笑みを浮かべた。
”ありがとう”と告げる。
丹羽はその顔をまっすぐ見つめて問いかけた。
「あのさ、また、ってある?」
「・・・・」
亜季は驚いたように目を丸くしてそれから、やっぱり口角を上げて微笑んだ。
「機会があれば、また」
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