第102話 それは御伽噺?

周りが自分に抱くイメージがどんなものかなんて、確認するまでもない。


嫌って程知ってるし、それに沿うようにいつからか自分を作って来た。


持ち物はシンプルに、華美なアイテムは避けて、色味も抑え気味の、スタイリッシュなものを選ぶ。


花柄、リボン、レースに水玉、そんなものは以ての外だ。


ボーダーとギンガムチェックがギリセーフ。


あたしの知る”山下亜季”とはそういう女だ。


☆☆☆


和風パスタ専門店の暖簾をくぐり歩道に出ると、夏かと錯覚する位強い日差しが照り付けて来た。


日中は夏日になるので、出かける時には紫外線対策を忘れずに、と気象予報士がニュースで話していた。


日焼け止めは塗ったし大丈夫だろうと高を括って出て来たが、日傘が必要だったなと青空に輝く太陽を見上げる。


短い髪は涼しくて楽なのだが、いかんせん日焼けしやすい。


襟足と首はとにかくすぐに黒くなる。


念入りに日焼け止めを塗っても汗で落ちたり、洋服でこすれたりして気付くとうっすら色が変わっているのだ。


出掛ける時から暖かかったので、体温調整の為のストールも持って来ていない。


会計を済ませて追いかけて来た丹羽が、店の外で待っていた亜季の項をするりと撫でた。


この時ばかりは短い自分の髪が大好きになる。


「ごちそうさま」


「どういたしまして」


夫婦で食べに出かけると、丹羽が支払いをするのが常だ。


亜季は自分も働いているので時には奢る!と言い張るのだが、丹羽が女性に財布を出させることをよしとしない。


正社員とはいえ、事務職と総合職、さらに年齢も役職も丹羽の方が上なので、素直に甘える事にしている。


夫を立てるというのはこういうことよね、と内心ほほほと笑ってみたり。


せっかくふたりで出かける休日なのだから、日焼け云々を気にするのはやめよう、とさっそく日陰を探し始めた自分の思考を引き戻す。


満たされたばかりの胃袋と共に、さらりと繋がれた指先のおかげで心まで幸せで満たされる。


「お腹いっぱいになったわ・・なんで明太子と高菜ってあんなに美味しいんだろ・・」


一番人気のシソと明太子のパスタと、二番人気の辛子高菜としめじのパスタは、リピーター続出も納得の美味しさだった。


スープにサラダもついたセットというのがさらにお得感もあっていい。


ラーメン屋のような店構えなのだが、中に入るとモダンな和風カフェのような造りになっていて、店内の装飾も店主の拘りをそこかしこに感じることが出来た。


「並んだ甲斐あったな」


「他のメニューも食べたくなるね、あれは」


「男性客も多かったしな」


「ラーメン屋と思って入って来る男の人が多いって店員さん言ってたけど、納得するわ」


メニューを持ってきた愛想のよい店員曰く、渡されたメニュー表を見て仰天する客が結構いるらしかった。


隠れ家風の店なので分かりやすい表看板も無い為、店の雰囲気だけで選んで入って来る客がパスタ専門店と聞いて目を丸くするのも無理はない。


亜季が情報誌で見つけなければ、きっと夫婦揃って新しいラーメン屋さんだな、と思っていたに違いない。


「日差し強いけど、歩いて平気?」


シャツの袖を捲って、上着も持たない軽装の丹羽が首を傾げる。


亜季が日よけグッズを何も持って来ていない事を気にしたらしい。


本当にマメな男だ。


こうやってこれまで何人も気遣われた女性がいるんでしょうねぇ・・・


思わずもやっとした気持ちが込み上げてくる。


いや、待って。


こんな男と付き合えるんだから、あたしの数倍女子力高い系の女を選んでたはずだ、だから、こういう心配はした事がないはず、たぶん、そういう事にしよう、うん!


落ちかけた気持ちを急浮上させて、挑む気持ちで太陽を見上げる。


「日焼け止めは塗ったし、もうそれで焼けるのはしょうがないわよ」


開き直って言ってやる。


丹羽が亜季の顔を見て、可笑しそうに笑った。


「亜季らしいよ。じゃあ、俺ももう触らない様にする。日焼け止め落ちると困るだろ?」


その気遣いは嬉しいけれど、嬉しくない。


彼の指先がくすぐるように襟足を撫でる仕草が凄く好きだ。


亜季を甘やかす指先は愛情に溢れていて、自分が小さい仔猫にでもなったような気分になる。


いや、仔猫なんて柄じゃないんだけど。


「・・・」


黙り込んだ亜季が俯くより先に、丹羽が尋ねた。


「なに?不満?」


日焼けはシミになるし、皺の原因にもなる。


もう曲がり角は直角に折れてしまった後だから、昔のように”適当”でどうにか出来る年齢でもない。


だから、これは自分が悪い。


帽子もしくは日傘が必須だった。


そして、嬉しそうに尋ねる丹羽が物凄くいとおしくて憎らしい。


日傘はしょっちゅうトイレや電車に忘れて来てしまうので、毎年のように買い替えている。


帽子なら失くす可能性は僅かに低くなる。


「帽子、買うわ!」


丹羽を軽く睨みつけて返せば、眉を上げて微笑まれた。


「うん、それは俺も嬉しい」


「ちょ、あ、あたしの為に買うのよ!日焼けは美白の大敵で、アンチエイジングの宿敵なんだから!」


「どっかのCMで聞いたみたいな台詞をどうも。じゃあ、この後の予定は決まりだな。どこ行きたい?亜季がいつも洋服買う店に帽子とか置いてある?」


若い頃と比べて、服の素材にも気を遣うようになった。


クリーニングに出すのは面倒だし、洗濯機でいっしょくたにするんだから、質より数のバリエーション重視で、と思っていた時期もあった。


でも、それなりに年齢を重ねて来て、後輩も増えて来るとあまりに安っぽい恰好すると、自分が安い女に思えてくるのだ。


少しずつ派手な色を使わないようになって、誰が見てもしっくりくるスタイルを選ぶようになった。


”亜季さんらしい”


そんな風に言われる女で居たいからだ。


背伸びして格好つけてると思われても、格好つけなきゃならない時だってある。


「もうちょっとカジュアルな店でいいわ。通勤に帽子なんて被らないし」


平日がそんなだから、休日位肩ひじ張らない自分で居たい。


丹羽亜季は、山下亜季の数倍は可愛げがある、はず、だから。


「じゃあ、とりあえず駅前目指すのはどう?」


大通りの先に見える駅ビルを指差した丹羽に頷く。


「さんせーい」


子供みたいに手を上げた亜季に笑って、丹羽が亜季の手を軽く引っ張った。


人波を抜けて、アーケードのせいで日陰になっている場所を選んで歩き出す。


「ほんっと抜け目無い・・・」


ありがとう、と言うべきなのだろうが、言えないのが自分だ。


呟いた亜季に隣の丹羽が伺うような視線を向けて来る。


「え?日焼けしたら困るだろ?」


「うん、ええ、そうね」


顔を上げると、通り過ぎようとしている路面店のショーウィンドウが視界に入った。


「あ・・」


思わず声を上げた亜季につられて丹羽が立ち止まる。


「え?帽子あった?」


「へ?あ、ううん、違う!全然!」


咄嗟に大仰に首を振ってしまったのは、気付かれたくなかったからだ。


何に目を止めたのか知られるのが物凄く恥ずかしかった。


亜季の態度に違和感を覚えた丹羽が、改めてショーウィンドウに視線を向ける。


出窓に飾られたバロックパールの絨毯の上でキラキラと輝いているのはシンデレラを彷彿とさせるガラスの靴。


思い切り視線を外した亜季の手を軽く引いて、丹羽が微笑む。


「アクセサリーショップみたいだけど、覗いてみる?」


見るとアンティーク調の可愛らしいアイテムが店内に並んでいるのが見えた。


明らかに山下亜季には似合わない品々ばかりだ。


「ううん、いい!似合わないし!」


それより帽子を、と言いかけた亜季を窘めるように丹羽が視線を合わせた。


「ガラスの靴って、プロポーズの象徴だろ?だったら、亜季は似合うよ」


「え、待って、何言ってんの意味が分かんないけど」


「何で?俺と結婚してるだろ」


「なんでそれがガラスの靴になるの?」


「・・明日会社で女の子に訊いてみれば?」


自分なんかよりはるかに女心に詳しい丹羽の呆れたような視線が痛い。


でも、そういう女子枠から外れた場所に自分を置いてきた身としては、理解に苦しむ。


「・・・」


黙り込んだ亜季の指先を優しく撫でて、丹羽が日差しを受けてキラキラと輝く憧れの象徴を眩しそうに眺めた。


「ガラスの靴ってそんなハードル高いもの?皆が平等に憧れるアイテムじゃないのか?」


「平等に憧れるけど、憧れ続けられるのは一部の特権階級の女子だけなのよ。女の世界は色々あんの。素敵だけど手が届かないとか、そういう年齢は終わった、とか」


自分で言いながら胸が痛くなってくる。


もう夢を見る時代は終わってしまった、とっくの昔に。


亜季が今手にしなくてはならないのは、どちらかと言えばガラスの靴ではなくて、宝剣のほうだ。


「その辺りの機微は俺には分からないけど、年齢で区切りつける必要ってないと思うよ?


憧れってそんな簡単に遠くならないだろ?


少なくとも俺は気にしないけど。


会社行ったらさ、どうせまた強気振りかざして戦うんだろ?


だったら今日くらい、俺に強請ってみれば、ガラスの靴」


「・・・買ってくれるの?」


半信半疑な気持ちで、恐る恐る丹羽に視線を向ける。


待ち構えていたように笑顔が返って来た。


「欲しいって言ってくれるならね」


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