第71話 可愛くない

「え、それで、大久保君拗ねてたの!?うっそ!!なーによ、それー!!可愛い!!あの子可愛すぎるー!!」


クッションをぼかすか殴りつけながら、亜季は言った。


スマホの向こうで恐らく佳織も同じようにしているだろう。


『でしょー?俺に会いに来たと思ったのにーって!もう拗ねた顔、想像出来ると思わない!?』


「想像できるね!あの可愛い顔で膨れ面とか、目の保養過ぎるっつーの!!」


『友世もさー、目の前で見て倒れそうになったらしいわよー。あんまりにも可愛いから、ほっぺにちゅうして来ましたって!』


佳織からの暴露に、亜季は思わずクッションをリビングのドアに向かって投げつけた。


「何それ!!!友世ちゃんも可愛いわ!!


可愛い彼氏に可愛い彼女!!


あの子ら何やってんの!きゃー!」


『でっしょ!でしょ!!もーこれが言いたくて!!』


佳織がハイテンションで言い返す。


後輩カップルの惚気話は、いつ聞いても楽しい。


しかも、志堂を代表する美男美女カップルとなれば、楽しさは倍増だ。


「分かる!やっぱり、時代は可愛い系男子が引っ張ってるのかしらねー?」


大久保瞬は、入社式から話題を攫った、イマドキ男子だ。


すらりとした長身に整った甘めの顔立ち。


テレビに出てくる若手アイドルのような雰囲気が、あっという間に女子社員のハートを掴んだ。


以来、志堂の王子様として人気を博している。


『それはあるかもねー。だって、見てるだけで癒されるし!』


「分かる!!癒されるー!!


大久保君って、可愛いし、話し方も優しいしねー。


うち来ても、いっつも低姿勢でさー。


あの子からの依頼だと、納期都合つけてあげたくなっちゃうのよ」


”いつも無理言ってすみません”


心底申し訳なさそうな顔を見たら、任せとけ!と、母性本能が疼き出すのだ。


男前で愛想がいい、向かう所敵は無し。


ラグの上に寝転がって話し込んでいたら、急に視界が翳った。


真上から声がする。


「可愛くなくて、悪かったね」


いつの間にか帰ってきたらしい夫の声だ。


亜季は慌てて飛び起きた。


と、同時に頭の上にクッションが降ってくる。


リビングのドアに投げたものを拾って来てくれたらしい。


「・・・オカエリ」


恐る恐る見上げた先には、丹羽の笑顔。


『あ、旦那帰って来たの?』


「う、うん・・・」


『うちもそろそろ夕飯の準備するわ。またねー、亜季』


「うん、またね、佳織」


慌ててスマホを放り出して、丹羽の方に向き直る。


何だか物凄い誤解を生んだ気がする。


亜季がクッションを抱えて口を開く。


「特別な意味はないから!」


「そんな必死になって否定しなくても分かってるよ。帰るなりクッションが飛んできたときはびっくりしたけど」


丹羽が苦笑した。


そりゃそうだろう。


玄関から上がるなり、勢いよくドアにクッションが叩きつけられた日には、驚くに違いない。


「ご・・・ごめん、ちょーっと・・・盛り上がっちゃってさ」


「みたいだね、えらく楽しそうだったから」


「・・・か、会社の後輩でね、美男美女のカップルが居てね。しょーもない事で彼氏が拗ねて、それを見た、彼女が、彼氏が可愛くて仕方なかったって、話を・・・」


「それで、可愛い可愛いって騒いでたんだ」


しゃがみこんだ丹羽が、亜季の短い髪を指で撫でた。


乾いた指が頬に触れて、首筋を辿る。


「岳明は、可愛くなくていいのよ!?」


「まあ、可愛いってキャラでもないしね」


「そうそう!!大久保君は、若手アイドルみたいな感じなのよ、またタイプも違うって・・・ん・・・っ」


言い訳がましく瞬の説明をしたのが気に食わなかったらしい。


丹羽の唇が話を遮った。


挿し込まれた舌の感触を確かめる暇も無く翻弄される。


ただいまのキスじゃない。


これは、どう考えても嫉妬のキスだ。


「っ・・・んっ・・・っちゅ・・・あ、あたし・・・っ可愛い系・・・好みじゃ・・・な・・んっ」


キスの合間に必死になって言い返せば、唇が触れる距離で、丹羽が目を細めた。


「そんな事、付き合う前から知ってます」


「・・・」


それもそのはず。


亜季がもともと好きだった相手、相良直純を、丹羽は目の当りにしているのだから。


「・・・だよね・・・んっ・・・やだ、っ・・・何・・」


耳たぶを甘噛みされて、亜季が吐息を漏らした。


「今、誰の事考えた?」


頭を過ぎった直純の事を完全に見抜かれている。


亜季は思わず言葉を失くす。


こういう所が、丹羽の恐ろしい所だ。


「今すぐ忘れて。・・・亜季・・・キスして」


切り返しに迷う亜季の耳元で、甘えるよう

に丹羽が囁いた。

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