第54話 遅れましてのご挨拶

休日の昼下がり。


バス停から徒歩5分の山手の住宅街のとある家の前で、亜季と丹羽が只ならぬ空気で向かい合っている。


「いいってば!」


「よくないよ、こういう事はちゃんとしないと」


首を振って拒否した亜季の手を掴んで、インターホンに手を伸ばす丹羽。


さらにその手を抑えるべく亜季が反対の手を出してくる。


インターホンの上の表札には”山下”とある。


亜季の実家だ。


「大丈夫なの、うち、そんなやかましい家じゃないし」


「そういう問題じゃない」


「そういう問題よ!あたしが良いって言ってるんだからいいの!」


「亜季」


溜息を吐いて、丹羽が恋人の名前を呼んだ。


「ここまで来て、帰るって選択肢はないでしょ?」


手にした菓子折りを見せつけるように丹羽が持ち上げる。


亜季がぐっと言葉に詰まった。


たしかにそうだ。


順番逆になったけど、今度の休みに、実家に挨拶行かせてもらっていい?


そう訊いた丹羽にOKを出したのはほかならぬ亜季だ。


両親の許しなしに結婚しようなんて思っていない。


けれど、そもそも、一生嫁に行かないのではないかと心配されていた娘が、恋人を連れてくるのだから、反対されるわけがない。


なんだったら、いきなり結婚式の案内を渡したって即OKするはずだ。


だから、挨拶なんていらないのに!


というのが亜季の持論。


もちろん、丹羽がそんな事を納得するはずもなく。


「それとも亜季は、ご両親に俺が非常識な男って認識されてもいいのかな?」


「そんな事はないです、滅相もございません」


「だったらいいよね?はい」


一瞬の隙を逃さず、丹羽がインターホンを押した。


ピンポーンと空しい音が亜季の耳に届く。


直ぐに、インターホンではなく、玄関先から返事が聞こえた。


と同時にドアが開く。


「はーい!待ってたわよー!いらっしゃ・・・あら!やっだー!!なーに!!予想以上のイケメンじゃない!!亜季、あんたホラ吹いたと思ってたけど違ったのねー!いやーびっくりよ、びっくりー!!おかーさん!おかーさん!!亜季が彼氏連れて来たわよー!ほら、上がって上がってー!」


つっかけで出てきた、亜季に面影の似た女性が手招きする。


亜季は丹羽の隣で盛大に溜息を吐いた。


「姉・・・です」


「だろうね」


丹羽が笑って答えた。


「いやー。この子ってば、連れてくる男連れてくる男すぐに浮気して振られちゃってさーあ。もっと真面な男連れて来いって母さんとも言ってたのよー。でも、よかったわー、よーやく貰い手が見つかって、ねえ、母さん」


ダイニングテーブルに腰掛けた亜季の姉、咲季がにこにこと笑顔を浮かべて様子を見守っていた母親に顔を向ける。


「そうねぇ、お姉ちゃんは、心配する前にお婿さん貰って来てくれたから、母さんちょっとあっけ無さすぎて、面白くなかったけど。亜季は、大人になってから、ちっとも彼氏連れてきてくれなくって。色々気を揉んでたんだけどねー」


「そーよ、ねえ。母さん。心配して気にかけたら、怒って拗ねるし」


「当たり前でしょうが!!彼氏連れてくる度ケチョンケチョンに言われるあたしの身にもなりなさいよ!」


「だって、あんたが連れてくる男、ほんっとに味噌っかすばっかり!」


吐き捨てるように言って、咲季が頬杖を突く。


「優しいだけの馬鹿男とか、プライドが高い見得張り男とか」


「ちょっと言い過ぎじゃない!岳明の前でやめてよ!ほら、困ってるでしょう!!」


隣に座った丹羽を振り返ると、相変わらず人の良い笑みが返ってきた。


「姉妹ってこんな感じなんだね」


「あら、丹羽さん、女兄弟いないの?」


「弟がひとり」


「そうなんだ?」


「なに、あんたも知らなかったの?」


「うん、兄弟の話したことないかも」


「そうですね。会うたびお互いの事ばっかり話してたかもしれないな」


姦しい女性陣に囲まれても、穏やかな表情を崩さずに会話に滑り込む話術は流石だ。


「亜季と話してると楽しくて、ね?」


赤くなった亜季のフォローをするのも忘れない。


ふたりのやり取りを眺めていた咲季が、ごちそう様、と口をはさむ。


「仲が良いのは何よりだけど、大丈夫かしら、丹羽さん?亜季はこの通り見た目は人並みだし、性格は強情で頑固、姉の私から見ても、可愛げはほぼないけど?」


「それは、お姉ちゃんもでしょう!?」


噛みついた亜季に向かって、咲季は余裕の表情で、左手の薬指に光る指輪を堂々と見せつける。


「だけど、お姉ちゃんは23歳で山下の家に婿養子に来てくれる旦那様を見つけてきましたー」


長女としての役目を立派に果たした咲季の言葉に亜季はぐっと唇を噛み締める。


「でも俺は亜季がいいんです」


咲季に向かって、丹羽が特上の営業スマイルを見せる。


「まだまだ、隠してる欠点もたくさんあると思うけど?」


「それはお互い様ですから」


「意地っ張りで、可愛げのない妹でも最後まで大事にしてくる?」


「勿論です。短所も含めて愛していきます」


「はー、そう・・・うん、なら私はいいわ。母さんは?」


「母さんもいいわよ、亜季が認めた人なら大丈夫でしょう。お姉ちゃんのお墨付きも貰ったみたいだし。お父さんにも報告してらっしゃいね。きっと天国で一番心配してるわよ」


頷いた亜季に向かって、咲季が漸く満面の笑みを見せた。


「亜季、よくやったわね」


「え?」


「合格!百点満点あげるわ」


「ほんとに?」


これまで歴代の彼は最高得点60点だったのに。


「あんたにしては、頑張って超上玉捕まえた」


親指を立てる咲季の左手をペシンと叩く。


「もう!これだから、家に連れてくるのいやだったのよ!


岳明、お仏壇和室なの、案内するわ」


立ち上がって廊下に続くドアを開けると、通せんぼのように立ち尽くす人物と鉢合わせた。


「亜季ちゃん、纏まったみたいでよかったね!」


腕に3歳になる甥っ子を抱きかかえて人の良い笑顔を浮かべているのは、咲季の夫である和也だ。


「お義兄さんに准貴(じゅんき)あ、優琉(すぐる)も!!」


父親の後ろに隠れるようにしていた小学2年生の上の甥っ子も見つける。


「何で隠れてんのよ!」


「いや、首脳会談の邪魔はいけないと思ってさ」


眼鏡の奥の目を細めて優しく微笑む和也。


「何よそれ、もー」


「亜季ちゃんお嫁行くの?行き遅れ脱出?」


「一言多い!」


亜季が遠慮なくゲンコツを見舞う。


「イッテー!お淑やかにしとかないと婚約破棄されるぞ!」


頭を抑えながら言い返した優琉に向かって、丹羽が笑顔で告げた。


「行き遅れじゃないし、婚約破棄もしないから大丈夫だよ」


「いいわよ。行き遅れましてすみませんね」


腰に手を当てて言い返した亜季の短い髪を撫でて丹羽が言った。


「そのおかげで出会えたわけだしね」


それから目の前の義兄に向き直る。


「丹羽岳明と申します。


これから宜しくお願いします」


「義兄の和也です。こちらこそ宜しく」


二人の挨拶を眺めながら、また一歩結婚が近づいた事を亜季は実感していた。

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