第82話 横顔
夫婦だから、とか身内の贔屓目差し引いても彼はとてもカッコイイ。
長身だし、細身だけれど頼りなくは見えない。
広い肩幅と引き締まった体躯は安心感を感じさせる。
営業という職業柄、整った顔にはいつも穏やかな笑みを湛えていて、人当たりもいい。
話題も豊富で、気配りも出来る。
勿論仕事だってきっちりこなすし、かといって家庭を疎かにすることも無い。
やりすぎない範囲で上手にそつなく妻の家事を手伝う。
そう、間違いなく丹羽岳明は超優良物件だったのだ。
そんな出来る男が、どうして大してとりえのない普通のアラサーOLである自分と結婚してくれたんだろう。
きっと、彼ならもっと他に沢山いい相手がいた筈なのに。
年下の若くて素直な可愛い女の子とか。
キャリア志向の綺麗め女子とか。
「・・・なに?」
ダイニングテーブルに置かれたノートパソコンに向かっている丹羽が、振り向いて尋ねた。
ソファに腰掛けてテレビを見てる筈の亜季が、さっきから自分を見つめている事に気づいていたらしい。
年賀状のイラストに注文でもあるのかと首を傾げた丹羽に、亜季が慌てて首を振る。
”全部お任せコースで”と言ったのは自分だ。
文章も構成もイラストも夫任せで一任していた、文句何てあるはずもない。
内容が決まったら、事務職の本気を見せて宛名と住所の入力を引き受けることになっている。
適材適所とはこのことだ。
お互いの知人、親戚、上司や同僚、送る枚数は結婚して倍以上になった。
これまでなら、部署の上司にだけ送って、同僚や友人はお年賀メールで終わらせていたのだ。
煩わしい事も増えるが、結婚したんだなと改めて実感している。
「やっぱり一緒に選びたくなった?」
「ううん、それは無いわ。決められないし」
「無難なので、後は適当にって、物凄く当たり障り無いオーダーだったけど。
友達の分だけでも自分でイラスト選ぶ?
もうちょっとカジュアルな感じのをもう1パターン作ってもいいけど」
「え、面倒くさいからいいです」
「・・・そういうと思ったけど」
「だって、何選んだって、どうせ手書きのメッセージ書くから」
「まあそうだけど、じゃあ他に気になる事でもあった?
コーヒーのお代わり、入れる?」
「大丈夫、自分でするわよ」
「そう?」
さすがにそこまで夫を使うわけにはいかない。
いくらフットワークの軽い人だと言っても、自分はいまひたすらにゴロゴロしているのだ。
コーヒーメーカーの置いてあるキッチンまで歩いて行く位しないと申し訳ない。
温くなったマグカップに視線を落とした亜季を見つめていた丹羽が、名前を呼んだ。
「亜季、じゃあさっきから背中に突き刺さる視線は、別の理由って事かな?」
「理由ってゆうか・・・とくに・・・」
何と言っていいか分からずに言葉を濁してしまう。
そんな妻の表情に、丹羽がパソコンから手を離した。
椅子から立ち上がって大きく伸びをする。
さすがに昼過ぎからディスプレイと睨めっこしていたので目も肩も疲れていた。
「・・・わかった。ちょっと休憩することにしよう」
「あ、じゃあお茶にする?」
「うん。コーヒー淹れるよ。座ってて」
先手を打って、丹羽が手を差し出す。
素直にマグカップを渡すと、丹羽がお茶請け何がいい?と尋ねた。
「冷蔵庫にチョコレートあるの」
「買いだめしたトリュフのやつ?」
「うん、持ってきてくれる?」
「分かった。ちゃんと話聞くから、そんな不安そうな顔しない」
「え?」
不安そうな顔なんてしていただろうか?
思わず頬を押さえた亜季に、丹羽が眉間を指差す。
「亜季を悩ませる問題は、コーヒーブレイクで解決してしまおう」
「た、大したことじゃない・・・です」
「そこで視線逸らされても説得力ないよ」
肩を竦めた丹羽が、亜季の短い髪を優しく撫でた。
「ブラックでいい?」
甘いチョコと一緒に飲むのならミルクや砂糖は要らない。
「うん」
「分かった。あ・・・それと、年賀状、ほんとに結婚式の写真使わなくていいの?」
頷いてキッチンに戻りながら、丹羽が思い出したように言った。
結婚した報告も兼ねての年賀状なので、本来であれば二人の写真を載せるのがいいのかもしれない。
けれど、何となく抵抗があったのだ。
いい年だし・・・ドレス姿の自分を自慢げに見せて回るみたいで恥ずかしい。
「使わなくていいわよ。写真はこっそり楽しむの、それで十分」
「・・・亜季がそういうならいいけど」
「結婚式当日って、自分が主役だからあんまり気づかないけどね!冷静になって見返すと色々恥ずかしいの!すっごく!ドレスとかレースとか、そういうの似合わないし」
丹羽は勿論、佳織たちも綺麗だと誉めてくれた。
上質のレースに精緻な刺繍のドレス。
繊細で可憐なヴェールに、眩い真珠やダイヤ。
とんと縁のなかった”女子の憧れ”にどっぷりと浸かっている間は、魔法にかかったみたいに楽しかった。
誰もかれもがお姫様のように扱ってくれたし、憧れや称賛の視線が惜しみなく注がれた。
まさに人生最良の女冥利に尽きる一日。
プロのカメラマンはそれはそれは亜季を綺麗に撮ってくれた。
いつもの倍以上の時間をかけてメイクもしたし、全身磨き上げて挑んだのだ。
”幸せな花嫁”を文字通り演じきった。
だから、こそばゆい位に女の子な一日は、こっそり思い出して時々楽しむ位でいいのだ。
ゆうなれば、宝箱の一番奥に隠しておきたい秘密の宝石のような。
「恥ずかしいって・・・似合ってたけど」
キッチンに入った丹羽が、カウンター越しに話しかけてくる。
さんざん迷って選んだウェディングドレスを着た亜季は、物凄く幸せそうだった。
今思い出しても微笑ましくなる位に。
「必死になって似合うドレス探したから!
でもね、考えてみてよ!あんなヒラヒラしたのあたしのイメージじゃないでしょ?」
「まあ・・・いつもの亜季はカチッとしてるから・・でも、結婚式の花嫁さんって皆あんな感じだろ」
「そうだけど、普段からああゆうふわふわ、ひらひらーってしてるのと縁のある女の子と、あたしとじゃ違うのよ!」
「・・・なんでそこまで意固地になって可愛くないって言い張るんだろう」
呆れた口調で、丹羽が暖かいコーヒーの注がれたマグカップを持ち上げる。
マグカップをトレーに載せると、冷蔵庫にストックしてある海外メーカーのトリュフを缶ごと取り出した。
「あたしが一番あたしと付き合い長いのよ!」
だから、可愛いものと縁がない事、自分自身に可愛げが無い事は誰より自分が一番良く知っている。
ちょっと自分でもどうかと思うくらい”女の子らしさ”にかけることも。
「俺は外側から亜季を見てきたけど・・・可愛いと思うよ」
「・・・それ、旦那の贔屓目よ」
「そうかな?まあ、贔屓目は認めるけど・・・でも、自分のこと、分かってるようで分かってないところが、可愛いよ」
淹れたてのコーヒーとトリュフの缶をテーブルに載せて、丹羽が隣に腰掛ける。
早速マグカップに手を伸ばした亜季に微笑んで、丹羽が缶の蓋を空けた。
一口サイズのトリュフはココアでコーティングされている。
「はい」
笑顔で差し出されたトリュフに、亜季が一瞬黙り込む。
「ほら、口開けて、溶けるよ」
「ねえ、わざと?」
「なにが?」
「あたしのこと甘やかそうとしてるでしょ」
「それ、今更だと思わない?いいから、早く」
促されて素直に口を開ける。
良く冷えたトリュフと、丹羽指の温もりが唇を掠めた。
舌の上でゆっくりと溶け出すトリュフと一緒に、心も奥のモヤモヤがじわじわと沁み出してくる。
「まあ、二人だけで思い出を愉しむっていうのは賛成だけど。で、何を難しい顔して俺の事見てたの?」
「・・・なんであたしと結婚してくれたの?」
「ウェディングドレスの話からそんな所まで飛ぶ?」
「違う、疑問に思って・・・なんでかなって・・見てたのよ。あたしじゃなくても、いっぱい素敵な女性はいたでしょ」
マグカップをテーブルに置いて、膝を抱える。
目移りされても仕方ないとは思いたくない、けど。
俯きそうになった亜季の耳元の髪を指で撫でて、丹羽が穏やかに言った。
「亜季の言う、素敵な女性がどんな人かは分からないけど・・少なくとも俺は、他の誰とも結婚したいとは思わなかったから」
「一時の気の迷いだったりしない?」
「なに、疑われるような事した?」
「・・・してない」
亜季の前ではいつも優しい。
他の女性の影なんて感じた事も無い。
だからこそ、思ってしまう。
その手を取るのは、ほんとにあたしで良かったのかなぁ・・・
亜季の耳たぶをなぞる指が顎にかかった。
引かれるように視線がぶつかる。
「浮気の心配してるなら、そんなつもり微塵も無いって証明してみせるけど、どうする?」
耳元で掠れた声がして、亜季が小さく震えた。
「い、いいです!大丈夫!ちょ・・・っと思っただけで」
「俺としては、僅かでも俺の気持ちを疑われた事がショックだよ・・・こんなに愛してるって言ってるのに」
呆れたような溜息と共に、丹羽が亜季を腕の中に閉じ込めた。
どうしようかな・・・と小さなつぶやきの後、丹羽が小さく微笑んだ。
「余計な事考える暇も無い位、手加減なしで愛してもいい?」
「・・・ご、ごめん」
咄嗟に謝った亜季の唇にキスして、丹羽が囁く。
「もう手遅れだよ」
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