第40話 朝顔の色

「何が食べたい?」


人を避けて上手に進む丹羽が耳元で問いかける。


勿論、他意は無い。


ざわめきと、屋台から聴こえる音楽のせいで声を張り上げなくては聞こえないからだと分かっている。


けれど、耳朶をくすぐる柔らかい声と首筋に触れた吐息に否応なくドキドキさせられる。


髪留めで留めたせいで露わになった耳たぶのせいかもしれない。


尚更心許ない。


「食べやすいもの」


「なるほど、じゃあお好み焼きよりはタコ焼きかな?」


「そうねー、後かき氷」


「この暑さじゃすぐ溶けるよ?それに落とさない?」


浴衣の足元を確かめるように丹羽が問う。


「子供じゃないんだから!ちゃんと持つわわよ」


呆れ顔で言い返したら、丹羽が可笑しそうに視線を合わせてきた。


「さっきから、歩き辛そうだけど?」


「それは、浴衣だから!」


大声で言い返した亜季をまじまじと見て丹羽が納得したように言った。


「ああ、確かに。亜季は風切って歩いてるイメージがあるしな」


「っな!!なにそのイメージ!!何かちょっとっていうか、大分失礼じゃないの!?」


仮にも彼女を対するセリフでは無いと思う。


女らしさのかけらもないみたいじゃない!!


眉を吊り上げた亜季が腕組する。


社内での自分は間違いなく”キツイ女”のイメージだろうと覚悟はしていた。


それでも、プライベートではいくらか女らしく可愛くなれているかと思っていたのに。


長年染みついた仕草はそう簡単には直らないらしい。


さあ、こっからどうやって”浴衣の似合う女の子(→年齢関係なし)”になってやろうかしら?


と殆ど動かない恋愛脳を必死に稼働させる。


と、丹羽が亜季の髪留めを指先で撫でた。


「事実でしょ」


あっさりばっさり切り捨てる。


取り付く島もなし。


呆然とする亜季がセリフを反芻する間に、丹羽が続けて言を継ぐ。


「だからかな?今日の亜季はちょっと新鮮」


「・・・どういう意味よ?」


どうせ馬子にも衣装とか言うんでしょうよ!と、お得意のひねくれた思考回路が嬉々として動き出す。


どこまでも反恋愛体質な自分にげんなりしそうだ。


売り言葉に買い言葉で、これまで付き合った男とも何度口ゲンカをしたことか。


素直、可愛い、女の子らしい。


自分にとって一番”足りない要素”


誰より自覚しているのに。



食ってかかった亜季のセリフをさらりとかわして、丹羽が前髪を撫でる。


一瞬のふいを突かれて目を閉じたら指が頬を撫でて離れた。


いつもより高い体温が丹羽の存在をよりリアルにする。


「女の子だなぁと思って」


呟いたセリフに、亜季が目を見開いた。


「なんて!?」


「え?」


「もっかい言ってよ!」


「そんな食いつくとこ?」


「だって!・・」


自分には恐ろしく縁遠い、女の子と言われて一番に浮かんでくる(仕事場の可愛い後輩たち、例えば暮羽ちゃんとか、友世ちゃんとか)可愛い存在達が脳裏をよぎる。



叶わないし、掴めない。


どうせと割り切って諦めていた言葉。


だけど。



★★★★★★


”恋”をしたら、いつでも”女の子”だよねぇ。


いつだったか、酔った勢いで珍しく佳織と女子会らしい恋愛話で盛り上がった。


基本、お互いの近況報告以外は、恋愛事情は話さない2人だったから、本当に珍しいことだった。


恋愛に対してのスタンス、価値観、好きになる相手のタイプ云々。


苦い過去も引っ張り出して酒の肴に出来る程には酔っていた。


そうだ、確か今は佳織の夫となった紘平が九州転勤して間もなくのことだった。


いつになく落ち込んだ佳織をむりやり連れ出した馴染みのバーで、グテングテンに酔っ払って語り合った。


佳織が、カクテルグラスを指でなぞりながら、溜息交じりに言ったのだ。


”自分がこんなに脆いと思わなかった”


歳を重ねるたびに上塗りされた意地とプライドは、どんどん自分を縛りつける。


身動きが取れなくなっても、平気な顔をして歩く事に慣れていた。


折り合いをつけるべき現実も、受け入れる覚悟も諦めも、ちゃんと知っている。


だから”全然平気”


それなのに、時々ふいに襲う”寂しさと孤独”


ひとりじゃない時間を過ごした後は尚更辛い。


張りぼての武装を綺麗に脱ぎ去っていた自分に気づいて、更に自己嫌悪。


それでも生まれた思いは消えない。


目を閉じれば思い出す、甘やかな時間をぽつりぽつりと口にした佳織が言ったセリフだ。


だからこそ鮮明に残った。


「泣けばーぁ?」


冗談交じりに言ってグラスを持ち上げたら、赤くなった目元を擦って(見事にアイシャドウがヨレた)佳織が唇を引き結ぶ。


「まさか」


そう言うと思っていた。


だから、亜季も笑って続けた。


「どーしよーもない私達に乾杯」



★★★★★★



ドキドキ鳴る心臓を押さえつつ、ありったけの期待を込めて丹羽を見つめ返す。


”女の子”って!!


もう百回位聞いて、鍵かけてしまっときたい!


が、丹羽は亜季の視線を受けてたじろいだように口を閉ざした。


それから、重たい溜息を吐く。


「そうやって期待に満ちた目で見ない」


「それは無理よ」


きっぱり言い返してやる。


「参ったな・・」


降参と両手を上げて丹羽が呟く。


「浴衣って卑怯じゃない?」


「さっきは褒めた癖に、そう言う事いう?」


「だってコレ。完全に俺の方が不利だよ」


そう言って、尚も言い募ろうとする亜季の手を掴んで、人ごみを抜ける。


沿道の眩しい明りが急に遠くなった。


煌々と照らされた照明の下ではいつものように振る舞えなかったけれど。


引っ張られるように歩きだした亜季が浴衣の裾を気にしつつ小走りになる。


「ちょっと、何処行く気?買い物・・」


指摘を受けて、漸く丹羽が立ち止った。


振り向いて、亜季の姿を確かめる。


怪訝な顔をしてこちらを見つめる亜季の手をそっと離す。


”歩きづらい”と指摘したのはこっちなのに。


これでは支離滅裂だ。


「ほんっとに・・余裕ないのかも」


ため息交じりに言って、亜季の後ろ頭に手を伸ばす。


いつものヒールでない分、若干視線が低い。


身長差から仰のいた亜季の顎を掬い上げて視線を合わせる。


髪留めのパーツの朝顔がやけに目に着いた。


ラメが入った鮮やかな青は暗がりでも目立つ。


おぼろげに記憶している朝顔の花言葉は・・・平静・・・


今の俺とは真逆の言葉だな・・


自嘲気味に笑って唇を重ねる。


案の定亜季が腰を引いて距離を取ろうとした。


すかさず後ろ頭に添えていた手を腰に運ぶ。


抱き寄せた瞬間に帯が当たって、ドキリとした。


すぐ傍には祭りの喧騒、人の足音。


どこにでもある日常はすぐ目の前なのに、自分だけが、丹羽だけが非日常に追いやられたような気になる。


何でこんなに意識するんだか・・


自問自答しても答えは出ない。


褒められる事に慣れていない亜季にからかい半分”可愛い”と告げる事はあったけれど。


今更自覚してどうする?


騒ぎだした心を振り払うように、唇を離すと深く抱きこむ。


まともに顔を見る余裕が無くて、そのまま告げた。


「思ってる・・・可愛いよ」


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