第16話 今日も明日も戦うキミへ 

打ち合わせの終盤に顔を出した緒方が、良かったら今晩みんなで飲みに行きませんか?と声を掛けて来た。


志堂の案件のメイン担当は丹羽で、オブサーバーとして緒方が付いているので、来社時の挨拶程度しか顔を見せていなかったのに、決して暇ではない彼がわざわざこんな風に誘いかけるのは、偏に丹羽の為だ。


亜季に対する丹羽の対応から矢印に気づいた緒方が、珍しく煮え切らない部下を鼓舞する為に飲み会を持ち出したことは分かっていた。


ちょっといいな、と思う相手へのアプローチに悩んだことは無いし、空振りした事も無い。


聖人君子ではないので、分かりやすい色目を使われればその気になる事もある。


ここ一年弱、恋愛していなかったのは預かる案件が増えたせいだ。


そろそろいい歳だし、いつまでも軽い付き合いを続ける訳にもいかない。


付き合いがそれなりに続けば、相手の女性が将来を考えるのも当然の事で、けれど丹羽にはまだその気が無かった。


拗れる前に上手く別れて、暫く一人でもいいかと思っているうちに時間が過ぎていた。


そんな時に出会ったのが亜季だった。


興味を持って、始めは半信半疑で、けれどすぐ気になる相手に変わった。


初っ端の印象が強烈だったせいか、どの表情を見ても新鮮で胸がざわめく。


久しぶりに追いかけたいなと思わせる相手だった。


が、当の本人は恐ろしくガードが堅い。


自分が誰かの恋愛対象になることを恐れているかのような反応は逆に嗜虐心を擽られる。


少しでも距離を詰めたいこちらとしては、次の一手に迷っている最中だったので、緒方からの申し出は正直有難かった。


差し飲みに誘えば頑なに拒否されることは目に見えていたので。


口説くよと態度で分かりやすく示したせいもあるのだろうけれど。


予定が入っていた庄野は残念ですーと断りを入れ、亜季は必死に逃げる理由を探していたが口にする前に、それなら三人で、と先手を打った。


緒方と相談して、オフィスからほど近い壺焼きピザが有名なイタリアンに行く事に決めた。


前回の店も今回の店も、どちらも雰囲気、料理、酒の種類も豊富な人気店だ。


ボトルワインを三人で二本空けた所で、緒方に連絡が入って席を立った。


気を利かせてのんびり一服してから戻ってくるだろう。


ちょうど話題が途切れて、沈黙は困るなと分かりやすく表情を強張らせた亜季に、仕事に対する価値観についての話題を振ったのは、当たり障りない話の方が身構える事がないだろうと思ったから。


さすがに緒方が不在の数分間でどうにかできるなんて思っていない。


「そういう時は、戦わない、もアリだと思うよ?」


「・・・それ、戦線離脱って事?」


思わず険のある声になった亜季が、眦を吊り上げた。


雑居ビルの中にあるこじんまりとした店は、平日ど真ん中という事もあって、客が少ない。


そのせいか、亜季の声は意外にも響いた。


思わず声を小さくして、亜季が続ける。


「あり得ないっ」


さっきまでは、緒方が同席していたので言葉遣いに気を遣っていたのだが、今は目の前には丹羽ひとり、遠慮は無用だと判断したらしい。


ついこの間までの敵対関係だったら、きっとテーブル叩いて喧嘩腰になったに違いない。


頬を赤くして感情を露わにするすまし顔じゃない亜季の反応を内心嬉しく思いながらも、丹羽は賢明にも感想を口にするのを留めた。


ここでうっかり”俺には気を許してるよね?”なんて言った日には、ムキになった亜季が女舐めんな!とか言って逆切れしかねないからだ。


お年頃の女性の扱いには慣れたつもりだったが、亜季は例外対応対象者。


普通のやり取りで、上手く落とせるとは思えない。


最初こそ喧々囂々の舌戦を愉しんでいたが、本気になってからは地雷を避けるようにしているが、返ってくる反応が新鮮で構うのをやめられない。


とはいえ気になる相手との時間は和やかに過ごすに越したことはない。


丹羽の目下の目標は、亜季の笑顔を少しでも多く見る事。


やっぱり女性は笑顔が良いと思う、思いを寄せる相手なら尚更。


この先を望むなら、相手に合わせて攻め方を変える必要がある。


足踏みしている場合ではないのだが、亜季のようなタイプの女性は初めてで攻略方法に迷っているのが現状。


言葉遊びを愉しむのは、もっと仲良くなってからでいい。


今は、山下亜季という鎧の内側に入り込む隙を狙うのみ、とは言ってみたものの、こういう返事が返ってくると、つい突きたくなるのが性分だ。


”ひとりで生きていけますけど、なにか?”


無言のままに張り巡らされた鋼鉄の鎧。


そうする事で自分を守ってきた亜季が、時々覗かせる気弱な一面。


勝負は五分五分。


どっちに転んでも、亜季の本音に近づける事には違いない。


そう踏んで選んだ問いかけ。


乱雑に踏み込まないように、そっと忍び込むチャンスを待っているのに。


そんな時に限って”放っておけない女の顔”を覗かせる。


彼女は実にやっかいな相手だ。


「戦わない、が戦線離脱になるのはなんで?」


「え・・・だって、自分の場所を放棄するって事でしょう?」


訝しげに言葉を紡いだ亜季が、眉根を寄せた。


”戦う女”の鑑の様な回答。


そやってここまで生き残って来たんですけど?


無言のオーラに透ける亜季の本心。


お見事です、と拍手をするべきところだろうが、それでは始まるものも始まらない。


共闘相手なら、それでいいかもしれないけれど。


丹羽は亜季と同じリングに上がりたいのではない。


あくまで、恋愛がしたいのだ。


「違う見方もあると思うけど」


「たとえば?」


「仕事以外に、生きがいを見つける」


「考えた事ない」


「仕事辞めて、俺の奥さんやってよ」


変化球を投げた丹羽の視線の先で、亜季が酢を飲んだ様な顔になった。


物凄くマズい顔のままで口を開く。


「冗談でしょう?」


「結構本気って言ったら?」


「丹羽さんがあたしを養ってくれるって?」


ふざけんな!とか言って怒るかと思ったが、意外にも亜季は冷静だった。


明らかに冗談といった口ぶりで問いかける。


ワインを口に運ぶ横顔に浮かぶのは困惑の色。


丹羽もそれは承知の様子でおどけたように笑って見せた。


「不自由させない位には働いてるつもりだけど」


「・・・素敵な申し出ですね」


冷めた口調で亜季が言った。


手にしたままのワイングラスを一気に煽る。


「・・・酔わなきゃダメなくらい、困る質問だったかな?」


これまでの丹羽なら、これは相手にされないなと読み取った対応。


けれど、今は分かる、これは、違う。


動揺を隠すために、ワインを飲んだ。


「・・・困ってないから。呆れてるんです」


早口に返した亜季の視線が泳いでいる。


読みが外れていなかった事を確信した丹羽は、ポーカーフェイスのままで告げた。


チャンスは、今、だ。


「そういう将来を、思い描いた事って、ない?」


逆切れされるか、どうか。


ある意味賭けの台詞を投げた。


手にしたグラスをテーブルに戻して、亜季は数秒黙り込んだ。


「・・・どんな答えを望んでんのよ?」


「きみの本音」


挑むように交わされた視線。


一瞬間違ったかな、とたじろぐ程度には迫力があった。


面白い位表情が変わるから、片時も目が離せない。


つい数分前に見せた”弱い部分”は鎧の向こうに隠れて消えた。


もうちょっと待つべきだったか。


亜季が無言を通すなら、話題を変えようと決める。


そんな丹羽の思考を他所に、意外にも亜季は真面目に答えた。


「・・・正直、今の場所を捨ててもいいって思える位、誰かに求められた事なんて無いから。


あたしは・・・自分で手に入れた場所以外には、怖くて行けない・・・と、思う」


山下亜季が、自分で作り上げてきた居場所。


いきなり現れた良く知りもしない白馬の王子様には見向きもしないわけだ。


”怖くて”亜季が口にした言葉を頭の中でもう一度繰り返す。


最初の夜にもこんな風に心細い表情を浮かべていたことを思い出す。


今現在丹羽の知り得る山下亜季なら、きっとこう言う。


”不安で”


外側に向けた言葉じゃない、あくまで自分の中で導き出した答え。


・・・これでまた少しだけ”強くない”きみの内側を知ることが出来た。


別の自分、知らない場所、新しい価値観。


これまでの自分が塗り替わってしまう可能性を、恐れているなら。


「なら、怖くない、安心できる場所を俺が用意したらどうなの?その時は乗ってくれるの?」


そんな場所、あるわけない。


根っこから全否定される覚悟の上の言葉。


茶化さないで!と平手打ちが飛んで来る可能性も視野に入れつつ。


丹羽の顔を一瞬見て、すぐに逸らした亜季は、視線を下げた。


「・・・そんな場所、あんのかしらね」


「全然信じられない?それとも、半信半疑?」


「・・・わかんない」


迷うように頭を振った亜季は、ワインボトルに手を伸ばす。


本当なら、その手を掴んで付け入りたいところだけれど。


今日は、引いてあげるよ。


迷いも、不安も、怖さも。


数センチ注いだワインを不安ごと全部飲み干すように、亜季はをグラス空にした。


飲む前よりも視線が定まっているから不思議だ。


そうやって、嫌なモノにフタをして、自分を守って来たのかな?


訊きたいことは沢山あって、見たい表情も触れたい場所も際限なし。


それでも、今は困らせるより、やっぱり笑って欲しいから。


明日の天気でも話すように、わざとあっけらかんと丹羽は切り出した。


「じゃあ、もし、戦わないって決めた時は、俺を頼って」


「え?」


「絶対後悔させないから」


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