第111話 同胞
リーグチャンピオンシップシリーズを大雑把に理解するなら、日本のクライマックスシリーズのファイナルステージである。
だが実際には各地区の優勝チームの対決だけに、ファイナルステージのような勝敗のアドバンテージはない。
ディビジョンシリーズ第三戦、後のないカジュアルズ。
ホームに舞台を移して、負けられない勝負だ。
『行った~!!!』
ただ気合が入っただけでは、抑えられるものではない。
『また行った~!!!」
なお英語ではThat's out of here!などと言うらしい。
ソロホームランながら大介が二本を打った。
そして歩かされるとすかさず盗塁し、さらに三塁をうかがう。
大介の大活躍から、補強されたシュミットとシュレンプ。
この二人の打撃によって、大介はこの試合で四回もホームを踏んだ。
思えば最初の試合で、大介が逆転サヨナラホームランを打ったのが、大きな分岐点であった。
次の試合は5-3で、この試合は6-2と、クローザーのはずのランドルフを出さずに試合は終了である。
全ては大介を倒そうとしたことが裏目に出た。
怪物との勝負は、まずは避けるべきだったのだ。
一二戦で大介の影響力が、メトロズ全体を包んでいると思った。
だからこそここで大介を封じれば、まだ逆転できると思ったのだが。
MLB全体で見ても、ラッキーズの次に優勝回数の多いカジュアルズを破ったことで、メトロズは勢いに乗る。
だが忘れてはいけないのは、まだここからが勝負であるということだ。
レギュラーシーズン優勝を決めた時もだが、MLBにおいては優勝や次のシリーズへの進出が決まれば、シャンパンファイトとしてシャンパンを振りかける。
日本におけるビールかけのようなものだが、シャンパンの方が甘くていいよな、と下戸の大介は思ったものだ。
酔っ払った気分のままでニューヨークに戻り、そして待つ。
リーグチャンピオンシリーズで戦う相手は、第五戦にまでもつれこんでいる。
MLBはピッチャーの運用が無茶だなと思っていた大介だが、ポストシーズンは本当にピッチャーが無茶をする。
特に先発は、球数制限がここにきて解除される。
もちろん負けると見た試合では、早々に引っ込めてもう一度使う機会を狙う。
だが完投してしまうこともあるし、それが二試合もあればワールドシリーズではMVPもありえる。
そしてリーグチャンピオンシップシリーズの相手も決まった。
ロスアンゼルス・トローリーズである。
ナ・リーグ西地区の名門強豪トローリーズ。
実は球団誕生当初から、第二次大戦後までは、ニューヨークにあったのだ。
移転して今ではカリフォルニア州にあるチームの一つとなっているが、かなり長い間は東海岸のチームだったのだ。
それでも移転して半世紀も過ぎれば、ロスのチームという意識もある。
金銭的に余裕のあるチーム作りをしていて、貧乏球団から羨ましがられることは多い。
ただそういう点ではメトロズも、それなりに資金は潤沢だ。
また珍しくもオーナーがほぼ一人であるので、GMとしても動きやすいのだ。
三連勝で勝ったメトロズに対して、トローリーズは消耗しているのでは、と見ることは出来る。
だが接戦を制して勝ち残ったチームというのは、ハイになっていて実力以上の力を出すことがある。
正確に言うと、実力以上に限界を超えてくる。
ちょっと無理をすれば故障の元にもなる。
トローリーズとの試合は、あまりいい結果を残していないのがメトロズだ。
七試合を戦って、三勝四敗。
もっとも九月の三連戦は、大介がいなかった。
戦力が完全な状態では、二勝二敗の五分と言える。
大介の感想としては、まさか地球の裏でまで、本多と対決することになるとは、といったあたりか。
大介は14打数6安打、ホームラン二本の五打点二盗塁。
四試合でそんな数字を残しているのだから、かなり好き放題にしている、と言ってもいいだろう。
母数が少ないためあまり意味はないだろうが、打率0.429 出塁率0.529 長打率0.929 OPS1.458
相性は悪くないだろうが、それでも五月以来の対決となるのだ。
あちらは大介を徹底的に分析してくるだろうから、何か奥の手があってもおかしくない。
「奥の手かあ」
「あるかもねえ」
桜は退院したが、椿はまだ左足がしっかりと動かず、病院でのリハビリ生活だ。
神経の問題であるので、劇的な改善は見込めず、補助用の義足パーツを着けた方がいいらしい。
桜は三人の子供の世話で、かなり手一杯だ。
金でなんとかなる部分はあるが、大介の財産管理などは、この二人でないと出来ないであろうし。
また大介はこの二人になら、野球の話もしている。
どちらもがそれに相応しい能力を持っていると分かっているからだ。
ネットから現在のトローリーズのデータを拾ってきて、メトロズのデータバンクとつなげる。
そして分析するに、試合は序盤から中盤にリードするのが大切だという結論が出る。
当たり前のことである。先にリードした方が、野球は勝ちやすい。
いやほとんどの競技は、先取点を取った方が有利だろう。
ただ野球の場合はセットアッパーとクローザーの質によって、やはり終盤が強いチームというのは出てくる。
トローリーズの場合は、フィデル・ゴンザレスがクローザーとして強力である。
102マイルのストレートに加えてツーシーム、チェンジアップ、スプリットと使ってくる。
そしてこれもまたトレード・デッドラインで加えたリリーフ投手が、左のサイドスロー。
スライダーを得意とする左殺しのピッチャーなのだ。
MLBにおいてはワンポイントリリーフが禁止されている。
もっとも毎年議論が行われていて、意味がないとも言われている。
大介としてはNPBでは、ワンポイントで使われる左殺しと対戦してきただけに、それほどの苦手意識はない。
だが普通にリリーフで使われるレベルの左殺しだと、確かに攻略は難しいかもしれない。
「大介君対策かなあ」
大介を別にしてもメトロズは、一番のカーペンターに四番のペレスと、左打者がそこそこ集中している。
九月の試合で実際に対決出来なかったことは、微妙に痛い。
野球は初対決なら、投手有利と言われるからだ。
大介は速球ならいくら速くでも簡単に打てるが、変化球にはそれなりの時間がかかる。
もちろんたいしたことのない球なら別だが、これはなかなか厳しそうだ。
球速はそこそこであるが、高速スライダー使い。
サイドスローであるので、ボールの角度はよりつきやすい。
あるいはバッターによっては、背中から飛び出てくるように見えるかもしれない。
だがそれだけであれば、大介には対処法がある。
右打席で打つ。
ランナーがどうなっているかにもよるが、ヒットさえ打たれてもまずい状況なら、それで打ってしまえる。
右打者に対しても有効な変化球を持っているなら、それは確かに攻略は難しいが。
そんなことを病室を作戦室に変えて、三人は話し合っていた。
そこへSPから、面会人が来ていることを知らされる。
「井口か」
今シーズンからニューヨーク・ラッキーズに移籍していたタイタンズの井口。
ラッキーズもポストシーズンには進んでいたが、ディビジョンシリーズで敗退。
井口はもう今年は、オフになっているわけだ。
同じニューヨークに住みながら、わずかに試合前後に話したぐらい。
双方が忙しく、またこちらの環境に慣れていなかったというのもある。
大介の場合はMLBにやってくる前の状況が状況であった。
井口としてもそう話す機会は作れなかったのだ。
そんな井口は、ごく普通に訪ねてきた。
スプリングトレーニングからレギュラーシーズン序盤は、やや調子を落としていたというか、適応しきれていなかった井口であるが、それでも最終的には三割20本には乗せてきた。
大介の大活躍に隠れていたが、ちゃんと活躍していたのである。
チームが敗退しても、ここからまたFA選手ならやることがある。
しかし井口はラッキーズと三年契約を結んでいるので、とりあえずは暇になったわけだ。
日本に帰っても良かったのだが、同じ日本人がまだ勝ち残っている。
そいつは家族が事件に巻き込まれて、かなりの期間を休んでいた。
あれだけ休んで記録を作るあたり、やはり化け物だと井口は思っていたのだが。
そんな化け物でも少し心配になるあたり、井口もまた日本人としての同胞意識があるのかもしれない。
井口は完全にVIP用の病室に案内されて、やはり驚いていた。
手土産には果物を持ってきたのだが、果たしてこれでよかったのか、と思えるぐらいのまるでホテルの一室のような部屋。
一通り驚いた後、挨拶を済ませた井口は口を開いた。
「もう大丈夫なのか?」
「どの件についてだ?」
「まあ、色々とだな」
大介には色々なことが起こりすぎている。
野球選手としてはこのニューヨークで、派手すぎるデビューをした。
これまでも国際試合や国際大会、また日本のリーグでは信じられないような記録を残してきた大介だ。
だがこのMLBというリーグでもそれを維持するどころか、むしろ上回ることになるとは思わなかった。
だから、成功はしている。大成功だ。
しかし成功すればそれはそれで、周りは騒がしくなる。
個人としては妻が撃たれて入院し、新しく子供が生まれて、また亡き友人の忘れ形見を引き取ることになった。
スーパースターっぷりもすごいものであるが、それよりは一人の人間として、まだ事件から一ヶ月ほどしか経過していない。
アメリカ人はとてつもなくビジネスライクで契約主義だが、同時に家族を大切にする。
もっともそれは本当に家族を大切にするというよりは、家族を大切にしないといけないという同調圧力、また家族を大切にしないとすぐに関係性が崩壊するのだ。
アメリカの離婚率は高い。
なのでおそらく大介の件に関しても、家庭の事情においてどれぐらい休むかなどは、契約の条項にあったはずなのだ。
MLBの選手の中には、家族との時間を作るために引退してしまう人間もいるのだから。
大介としては、もうしばらく二人の傍にいようかと思っていたのだ。
ツインズは人間としてとんでもなくタフではあるが、それでも銃弾を受けて後遺症が残り、もう片方も子供を産んだばかり。
また引き取った子供にも片方のおっぱいをあげてと、ふらふらになってもおかしくない。
大介は昇馬が生まれて時も育児に参加しようとしたのだが、それはツインズによって拒否された。
二人もいるんだから大介の手がなくても大丈夫だと。
そして今回もプロの手を借りていて、大介は野球をしてこいと見送られたのだ。
五月以降の打撃成績などを見て、大介が来年も今年のような成績を残せるとは限らない。
野球選手としての大介のキャリアのため、ツインズは送り出した。
実際はさすがにアメリカにいると、知り合いも少なくて心細かったのだが。
ただイリヤの友人などが、たくさん彼女の娘に会いに来てくれた。
そして桜の産んだ娘と、他人のはずだけどなんとなく似ているな、とは言ったものだ。
赤ん坊など誰でも、そうそう顔立ちなど変わらないとも思えるのだが。
ただ大介もニューヨークにいる間は、マンションではなくこのホテルのような病室を完全に拠点にしている。
元々あのマンションに住んでいたのも、同じマンションにイリヤがいたからだ。
故人の思い出の残る場所は、どうしても悲しみがつきまとう。
それならばまだコンシェルジュまでついたこの病室の方が、金さえあれば便利というものだ。
井口もまたそれは、同じようなことを思っている。
アメリカは確かに金さえあれば、多くのサービスが受けられる。
日本の場合は貧乏人でもある程度のサービスが受けられるが、アメリカでは底辺層への支援は厚くない。
自己責任とも言えないだろうが、とにかく富裕層と貧困層の差が激しいのは、ニューヨークに住んでいれば実感する。
ちなみに井口の契約は三年1800万ドルで、一年目の年俸は大介と同じである。
大介の二年目はこの調子だと最大限の1800万ドルになりそうだが。
それよりも球団はこの契約すら破棄して、より高額のオファーを出してくるかもしれない。
だが大介の目の前には、まずリーグチャンピオンシップが待っている。
井口は日本時代、日本一の栄光を一度も味わっていない。
主に上杉と大介のせいであるが、だからこそアメリカでも最強レベルのラッキーズを選んだのだ。
他にも興味を示すチームはあったろうが、まずはラッキーズとの契約を考えた。
大介の場合の、ニューヨークのどちらかがいいというのとはまた違う。
井口はしかし、この選択の違いこそが、自分が優勝の味を知らない原因になっているのではと思っている。
優勝を狙えるチームに行くのではない。
自分が入ることで、優勝を狙えるチームにしてしまうのだ。
大介の存在感は、そういったものだ。
日本での九年間で、リーグ優勝四回に、五回の日本一。
存在感のレベルが違う。
どんなスポーツでもそのリーグのレベルが上がっていくと、一人の選手が持つ支配力は、相対的に減っていく。
だがたった一人の存在が、チームを一変させてしまうことがある。
上杉、大介、そして直史。
この三人は間違いなく、歴史に残る存在ではなく、歴史を作っていく存在なのだ。
そして上杉が離脱し、直史と大介の戦場が違う以上、両者はそれぞれの舞台で覇権を握る。
井口はまだ、直史の渡米を知らない。
久しぶりに知り合いと話したな、と思っていた大介であるが、また在米の日本人から連絡が入った。
もっともこれは単独ではなく、他の人間も一緒であったが。
イリヤの死後、その鎮魂のためでもあろうか、全米のみならずヨーロッパも回っていたケイティ。
それと一緒に、織田がやってきたのである。
イリヤはまるで自分が、娘の成長を見られないことを悟っていたかのように、遺言を残していた。
その中で娘の将来を託した人間の一人がケイティである。
ケイティとイリヤの関係は、最初は師弟から始まり、すぐに友人となり、愛し合うことも多かったという。
両者は共にバイセクシャルであることを公言していたし、単純な友人ではなかった。
こと音楽の世界では、イリヤにとって最も自分と近いレベルにあったのがケイティであった。
自分が引き取りたいとも思ったケイティであるが、既に子供がいてしかもそれの世話の大変さを分かっているので、安易なことは言えない。
確かに大介のところであれば、双子のように二人の女児を育てることは出来るのだろう。
この日もイリヤの赤ん坊に首っ丈で、大介と話すのは織田の方がメインであった。
ケイティとの間に子供はいるが、何分あまり会えてはいない織田。
それでもシーズンオフにはちゃんと面会して、自分が父親だという認識は持ってもらっているらしい。
「なんで結婚しねえの?」
「重婚してるお前に言われたくない」
もっともである。
ただイリヤの死でケイティは参っていて、このまま押せばウエディングに持ち込めそうな気もするが、基本的にケイティは多性愛者だ。
結婚をしないことこそがむしろ、織田を尊重しているとも言える。
だがケイティの場合はバイセクシャルと言うよりは、イリヤが好きだったのではとも言えるが。
本来はあまり恋愛を必要としない、音楽に愛された音楽の奴隷。
イリヤがそうであったように、ケイティもまたそうなのだ。
「今年は日本に帰るのか?」
「全然考えてなかったけど、帰った方がいいのは確かなんだよな」
直史の帰国後しばらくは、佐藤家と白石家の二人の母親が様子を見に来たが、彼女たちも英語は使えない。
しばらく体調を見た後に、日本に帰国していた。
それらを安心させるためにも、一度は戻るべきなのだ。
ただ移動の手間隙やリハビリのことを考えると、手続きなどが大変そうではある。
しかしそれにはケイティが解決策を持ち出してきた。
「友達のプライベートジェットを借りて帰るのはどう?」
このあたりまだ、金持ちにはさらに上に金持ちがいる。
ケイティのその提案はありがたいもので、大介たちは前向きにそれを考えることになる。
それよりもまずは、目の前のポストシーズンが、終わっていないことを忘れてはいけない。
×××
※ 本日先行公開していた群雄伝を投下しています。
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