第100話 八月の新戦力
シカゴ・ブラックソックスとの最終戦から、見知らぬ顔がチーム内に増えた。
とは行っても事前に聞いてはいた。
通算400ホームランのテッド・シュレンプと、セットアッパーのポール・ランドルフ。
どちらも年齢は30代で、選手としてのキャリアもそろそろ晩年になる頃か。
それでもランドルフの方は、まだまだ一線級であるらしい。
シュレンプも昔ほどには走れないが、ファーストを守る程度の守備力は残っている。
試合前のフリーバッティングでは、シュレンプは柵越えを連発していた。
だがそれ以上に、大介のバッティングをじっと見ていた。
「Hey,Boy」
「ボーイじゃねえぞ。アイムトゥエンティエイト」
「OK”CRASH”」
いつの間にか変な呼ばれ方をしている大介である。
レコードを塗り替えることは、だいたいレコードブレイカーなどと呼ばれたりもする。
だが大介の行為はそれ以上、まさにクラッシュと呼ぶに相応しい。
杉村を呼んで通訳してもらうわけだが、お前はいったいどういう練習をしてきたんだ、というのがシュレンプの質問であった。
「どうってなあ……」
中学生時代の大介は、基本的にアベレージヒッターであった。
無理解な指導者によって、とにかく外野の前に落とすか、内野の間を抜くことを求められた。
もっともあれはあれで、狙ったところにボールを打つことが出来るようにもなったのだが。
コンタクトの瞬間にパワーを全て伝えるのと、ベクトルを伝えるのとは、両方が出来るのはさすがにない。
190cmもある巨漢の黒人選手シュレンプは、大介の練習をじっと見ている。
大介も別にあまり気にしないので、すぐにそれを意識の外にやった。
(どういうことだ?)
若い頃から長打力で知られ、ホームランを多く打ってきたシュレンプにも、大介のバッティングは意味が分からない。
小さな体をしらなせるように使って、スイングスピードを出している。
この使い方だと選手寿命が短くなる気もするが、既に日本では九年もやっているのだ。
九年。
メジャーリーガーというのは多くが、マイナーで長い期間を過ごす。
高卒メジャーリーガーというのはあまり多くなく、大学三年でドラフトを受けて、大学中退、あるいは休学でプロ入りするのがアメリカ国内では一番一般的だ。
ルーキーリーグから最速で上がったとしても、高卒から20歳ぐらいで昇格すれば充分すぎるほど早い。
だが大介は、高卒後すぐにNPBの一軍になっている。
MLBとNPBのリーグのレベルの違いを考えても、それでも500本以上のホームランを打てる。
NPBの方が年間の試合数は少ないだけに、むしろ難しいのではないか。
(これでドーピングをしていないだと?)
アメリカのドーピングに対する意識は、特にMLBにおいてはそれほど高くない。
バレなければいいというのが、今でも思っている選手はいる。
実際に薬物を色々と変えて、合法的なドーピングをやっている選手はかなり多い。
中にはアレルギー治療でステロイド系の薬物を使用するため、医師に専門にかかっている選手もいたり、いたちごっこは続いている。
日本人選手もまた、一応はドーピング検査に引っかかったことはある。
ただそれは身体強化などには効果がない薬品が反応陽性となったもので、医師からの証言もあって問題になったわけではない。
日本人選手はクリーンなだけに、逆にドーピング検査でシロの回数を増やすため、検査が多く割り振られているという説もある。
こらはドーピングというもの自体が思いつかない地域出身の選手も、似たような経験をしているらしい。
もし、大介がドーピングをしていたとする。
ただそれでも、あの体格でホームランを量産するのは不可能だ。
極端な話、全員がドーピングをしていても、それでもその選手が突出していたことは間違いない。
もちろんある程度成績は落としていただろうが。
あのドーピング全盛の時代から、それを上回る記録が出ていないのが、その証拠だ。
今年まではそうだった。
日本からやってくる選手は、MLBに大きなインパクトを残す選手が多い気がする。
トルネード、年間最多安打、二刀流。
そのあたりも衝撃的であったが、大介の長打力はおかしすぎる。
だが確かに普通よりはるかに多くの検査を受けながら、それでも全く証拠が出てこない。
体格が小さいだけに、余計におかしく思えるのだ。
(あとはサイン盗みぐらいか)
だがそれはチームぐるみか、少なくとも数人の協力者がいないとなしえない。
大介のみの成績が突出していることから、それもやはり違うのだろう。
もう一人の補強のランドルフも、同じく190cmにもなる巨漢であった。
だが体格はシュレンプに比べると、だいぶスマートだ。
今日からもうブルペンに入るランドルフは、今年が33歳。
去年も30ホールドに、クローザー離脱の時に少し投げていて、10セーブを記録している。
ポストシーズンに入ると、先発はここまで温存していた力を発揮し、レギュラーシーズンよりも多く投げる。
それでも球数が増えて試合の終盤に入れば、短いイニングで爆発的な力を安定して発揮するリリーフが不可欠だ。
レギュラーシーズンに比べればポストシーズンの方が、ピッチャーの貢献度は高くなる。
大介も軽く肩慣らしをしているランドルフを見たが、確かにコントロールはいいようだ。
リリーフはランナーがいるような危険な状態の火消しの役目もあるので、確実にコマンドに投げられる能力が必要になる。
そして三振を取るための、ストレートのスピードか変化球。
スプリット系がこの中では人気になる。
大介もMLBで四ヶ月のレギュラーシーズンを過ごして、おおよそピッチャーの傾向などは分かってきた。
これまでに対戦したピッチャーの中で、球速が直史よりも遅いのは、五人もいない。
とにかく圧倒的な球速が、メジャーの世界では求められる。
と言うよりはアマチュアからの選抜の過程で、球速がないピッチャーははねられたいったのだろう。
若い頃にはパワーピッチャーで、年を重ねると技巧派になるピッチャーは多い。
ただ40代になってもまだ、100マイルオーバーの球速を維持しているピッチャーはいるが。
技巧派の頂点と言えるピッチャーは、やはりグレッグ・マダックスになるだろうか。
1980年代半ばから、2000年代に活躍したピッチャーだ。
ストレートの球速は最速でも150km/h程度で、晩年には単純な球速は140km/hを下回っていた。
ただし各種の変化球を微調整して投げて、グラウンドボールピッチャーとして名をはせた。
サイ・ヤング賞に四回も輝き、ゴールドグラブ賞には18回も輝き、通算355勝の227敗。
100未満の投球数で完封することをマダックスと言うのは、彼の名前からきている。
これまでに大介が対戦した中で、一番球速よりコントロールを重視していたのは、セントルイス・カジュアルズのウエインライト。
とにかくボールをバッターの手元で動かして、ゴロを打たせるピッチャーであった。
大介もヒットは打ったが、ホームランにはいたっていない。
この二人の加入後の、最初に試合がブラックソックスとの三戦目となった。
大介は二番を打っていて、一回から早速フォアボールを選んで出塁したが、後続の打線が打ってホームに返してくれた。
シュレンプの長打で一気にホームに戻ってきたのだ。
おかげで残りの打席も、安易に歩かせることは難しく、微妙なところで勝負してくる。
ホームランを一本打って、ついに大台の60本に乗せた。
だが153打席ぶりの三振もして、色々と記録に残ってしまった。
リリーフ陣ではさっそくランドルフが登板し、一イニングを無失点。
そしてチームも勝利して、これで六連勝となる。
次戦はまたも移動し、アウェイでのカリビアンズ戦。
ここでもメトロズの打撃は爆発する。
打線に厚みがないと、打率や出塁率はともかく、ホームランや打点は伸びていかない。
その点で大介は、補強が上手く援護してくれている。
そもそも大介のこの高打率と高長打率で、勝負を避けないのがおかしい。
だがやはりここまで記録の更新が具体的になってくると、観客や識者からの注目が強くなってくる。
記録の達成や、記録の更新などに。
七月に大きく数字を伸ばしたことで、打率と出塁率がまた高くなっていた。
特に打率は通算で0.416と、単純に四割を達成したいなら、ここからもう全ての試合を休んでしまえばいい。
この月には単打よりも二塁打、二塁打よりもホームランが多いという、歪な打撃成績も作った。
そしてまたもやプレイヤー・オブ・ザ・マンス。
NPB時代も怪我などをしたとき以外は、よほどのスランプでない限り、選ばれ続けていた。
だが今年はここまで四ヶ月連続と、既にもうMVPは決まったようなものである。
ピッツバーグ戦では、ついにまたもとんでもない記録が達成された。
60-70つまりホームラン60本に、盗塁70個である。
もはや大介はプレイをしていくごとに、それがそのまま記録になっていく。
残り50試合で、何本のホームランを打って、何度盗塁を決めるのか。
更新不可能と言われた出塁率は、さすがに今年は難しいか。
だがもうはるか昔となってしまった、打率四割は現実的になっている。
しかも長打を捨てずに。
ニューヨークに戻ってきた大介は、ついにこの他社には無関心な街でも、マスコミやパパラッチに追いかけられることとなった。
もっとも大介の日常は、別に変に派手なことはしていない。
残りの50試合をどう戦って、ポストシーズンを迎えるか。
そのための体調管理が大切になってくる。
そして体調管理は、大介だけがしていくものではない。
かなり桜のお腹が目立つようになってきて、父親としては心配になってくる。
ただ二人でいるということが、ツインズにとってはやはり心強いのだろう。
出産は10月の上旬予定なので、おそらくポストシーズンの最中だ。
ちなみにイリヤも同じぐらいなのだが、彼女はずっと作曲と編曲で忙しいらしい。
自分で家事をするのが面倒であるらしく、白石家にほぼ毎日やってきている。
結局イリヤの子供の父親は、誰なのか大介は聞いていない。
あるいはそれには、意味がないのかもしれない。
ただ大介の家にやってきても、彼女は主に曲を作っている。
部屋の一画が、彼女の私物で埋められていく。
この部屋は広いので、別にそれはいいのだが。
イリヤの姿を見ていると、何か狂気めいたものを感じる。
元々人間としておかしな存在だったから、それはある程度仕方がない。
だが高校時代のような、飄々とした姿ではないのだ。
それがこの、ニューヨークという刺激的な街に、関係しているのかは分からない。
彼女は時々、メトロズの試合も見に来ているらしい。
だがほとんどの場合は、スタジアムには来ない。
高騰しているチケット代などは、彼女の伝手があればいくらでも手に入る。
ただ元々彼女は、大介のホームランにはさほどの魅力を感じていないのだ。
彼女が求めているのは、直史のピッチングだ。
芸術を生み出す人間にとって、そのインスピレーションを与えてくれる存在。
それがマウンドの上の直史なのだという。
来年になれば、それが見られるのかもしれない。
ただ大介が感じるのは、いくら直史でも一人では、チーム力の使い方がNPBとは全く違うMLBでは、優勝までは出来ないのではないだろうということだ。
先発で投げて100球以内で試合を完封する。
最近の日本では、直史は中五日などをしている。
それは大介にとっては、来年のMLBのシーズンを見据えたものに思える。
だが大介は、直史の体力では、完全にローテを守るのは難しいのではとも感じる。
直史のことを甘く見ているわけではない。
おそらく世界で一番、その恐ろしさを分かっているのは、大介か樋口だ。
だがそんな大介でも、チームがフォローしてくれなくては、自分が打っていく機会を作ってもらえないのが分かる。
少なくともバッターは一人ではチームを優勝に導けない。
直史が30勝したらどうだろうか。
もう半世紀も、MLBにおいては30勝投手などは出ていない。
しかし試合数が多いMLBであれば、直史は中五日で投げられる。
あとは頼れるリリーフが一枚いれば、直史の先発から、完投までする必要はないかもしれない。
大介もまた、肌がざわざわするのを感じていた。
それはこの、MLBという舞台が原因ではない。
もちろん自分の周囲の、記録を期待する視線。そして優勝への現実的な数字。
そういったものも感じているのだが、他にも何か不思議なものがある。
メトロズは強い。
陣容がさらに増して、おそらく地区優勝してポストシーズンに進出するまでは間違いない。
来年に直史がやってくれば、また驚きの記録を残してくれるのかもしれない。
だが今年は、メトロズにワールドチャンピオンの可能性が高く存在する。
大介も直感的に、何かを感じることがある人間だ。
それがこのシーズンが進むごとに、何かが動いているのを感じる。
普通ではない何か。
わずかにだが不安にさせる、これはいったいなんなのだろう。
「そうは言っても、どうにもならないんだけどな」
口にしてしまえば、それだけの話だ。
まずは目の前にある、記録への挑戦。
あるいはダーティ・レコードをクリアにする。
それを今、大介は求められている。
そしておそらく、それは出来るだろう。
比較的勝負してもらえることが多かった、今年が一番のチャンスだった。
四月の数字がなければ、さすがに更新は難しかったはずだ。
八月の夏、日本であれば甲子園が始まる前。
ざわめきの中で、大介は己のプレイを発揮する。
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