第99話 トレード・デッドライン
GMの仕事は何か、明確に説明できる者はいるだろうか。
実は球団によって、微妙に権限が違ったりする。
それはGMもまた、雇用されている立場であるからだ。
その雇用内容によって、出来ることの範囲もある。また現場の意見を聞いたり、オーナーに要望をしてみたりもする。
メトロズの場合はオーナーがコール一人でほぼ全ての代表権を持っているので、色々と動きやすい。
ただこれが下手に成功しすぎると、ワンマン経営で球団を壊してしまうこともある。
メトロズのビーンズの場合は、選手に関わる戦力編成だ。
チームの選手待遇なども管轄だが、それは基本的に部下の手に任せていて、一番重要なのは戦力をトレードやドラフトで確保することである。
またその過程において使える金額は、オーナーから事前に伝えられているが、状況によってそれは変化する。
メトロズのオーナーはほぼコールが全権を持っている。
金を出すのも彼なので、他のわずかな権利を持っているオーナーも、特に何も言わない。
今は球団の価値が上がっているので、自分の株式などをどこで売るかは、その零細オーナーの自由である。
コールは企業の買収などで大きな利益を得た投資家なので、基本的にはMLBの球団経営もその延長で行っていると、当初は思われていた。
だが徐々に自分の影響を強め、一気に権利を取得したところで、これに関しては子供の頃からの夢だったのか、と周囲は驚いたものである。
そのコールはメトロズを持ってから、まだワールドチャンピオンになったことがない。
アメリカンドリームという言葉があるが、その中の一つには、MLBのチームのオーナーになるというものがある。
さらにそこからワールドチャンピオンになったら、コールは嬉しさで爆発するかもしれない、と自分で思っている。
そんなわけでオーナーからの資金枠拡大を受けて、ビーンズは改めて戦力の補強にかかる。
彼もメトロズのGMになってから七年目で、そろそろ大きな結果がほしい。
二度ほど地区優勝まではいったのだが、主力が怪我で離脱したり、あと一歩で届かなかったりと、ワールドシリーズには出場出来ていない。
(シュレンプを取るのは若手を出せばいい。あとは金銭か。それとリリーフだが……)
当初予定は戦力の最大化は、来年になるはずであった。
シュミットの契約も来年までは残っているので、そこでリリーフをこのオフに整理する予定だったのだ。
大介を直接オーナーが持ってきたのは、正しくはGMの職権への干渉である。
だがその分のサラリーは負担するということで、ビーンズは納得したのだ。
それにしてもあまり知りたくはないが、どういうルートで大介との接触を果たしたのやら。
頭を振ってその思考を消し、今やることを考える。
リリーフが一枚必要だ。
出来れば来年も残るぐらいで、しかし残り過ぎない。
大介は代理人を入れずに契約をしている。現在は28歳で、今後五年から七年ほどが最盛期になるだろう。
この怪物をコアに、チームを維持する。
今年か来年にワールドチャンピオンを狙い、そこで一度コアの選手を残してチームを解体。あるいはトレードで上手く戦力を再編成。
五年以内にまたワールドチャンピオンを狙う。
それまである程度の強さを保っていれば、球団の価値はかなり上がるだろう。
コールもそうだがビーンズも、ビジネス的にちゃんと球団運営を考えている。
いずれは経営権をまた誰かに売却する時も来るだろうが、それまでは強いチームであってほしい。何よりそれで高く売れる。
メトロズというチーム自体の、価値を最大限に高める。
出来るならラッキーズからファンを奪いたいものだ。
「やるべきことはまあ、私の仕事の範囲内のことだな」
改めてビーンズはトレード交渉に入った。
シュレンプのトレードに関しては、さほどの手間もかからなかった。
元々オークランドの方も、シュレンプの高額契約は持て余していたのだ。
それにFA移籍の五年契約初年度に、膝を痛めたということもあった。
かつては走攻守そろった選手であったが、これで走ることと守ることが難しくなった。
打撃だけでも確かに価値はあったが、それでも選手運用の柔軟さを失ってしまった。
現在はファースト固定であり、走塁もさほどは求められない。
今年のオフにはオークランドの再契約は、ないだろうと思われている。
今季の残りの年俸と、若手の選手を一人。
そして金銭でもって、貧乏球団サバイバーズは主砲を手放した。
これで年俸総額が抑えられ、若手でしっかりと補強をしていくのだろう。
メトロズの放出した若手も、去年は3Aで成績が安定し始めていた選手だったのだ。
問題なのはリリーフである。
この時期になると地区優勝を狙えるラインにいれば、どの球団でも選手の移動が活発になってくる。
電話を何台も用意して、次々と電話をかけていく。
(一人は必ず必要として、どのレベルを獲得するか)
マイナーからの昇格も考えておかないといけない。
九月になればロースター枠は拡大されるので、そちらにもある程度は期待したい。
コールの出した追加資金は、とりあえず3000万ドル。
とりあえずでぽっとこの金額が出てくるあたり、アメリカのスポーツ市場はとてつもなく大きい。
シュレンプの獲得について、その契約のどこまでをこちらが引き継ぐかも、交渉次第となる。
単純に残り二ヶ月のシーズン分を払うというわけでもない。
こちらがプロスペクトを出すのは、単純にその金額以上の戦力を出すと言いうことになる。
よってシュレンプはそこそこ安く交換できた。
実際のところは資金よりも、プロスペクトを持っていかれることの方が痛い。
極端な話、金は誰が持っていても金だが、選手は一人しかいない。
もちろんやや条件を広げて探すのも、選択肢の一つだ。
ただシュレンプについては、想像以上に有利に獲得することが出来た。
リリーフには何人かの候補がいる。
ただし中にはトレード拒否権を持っている選手もいるのだ。
しかしこのトレード拒否の条件は、あくまでも所持はしているが、行使することは選手が選べる。
おおよそ大都市を本拠地とするチーム、特にニューヨークとロスの球団を、拒否する者はあまりいない。
ただしチャンピオンリングではなく年俸を望む場合は、次の契約を見込んでチームを選択することもある。
ビーンズは色々なチームに声をかけて、出来れば選手の流出を抑えて、より強化することを考える。
「よし、ランドルフを取った!」
この短時間にトレードを成立させていくときが、GMの一番の醍醐味と感じる。
シュレンプという右の大砲と、ランドルフというセットアッパー。
予想以上に上手くいったので、まだ資金には余裕がある。
基本的に地区優勝が現実的なチームに、一線級の選手の引抜をかけてくるトレードは少ない。
だが向こうがよりいい条件でこちらのウィークポイントに適した選手を出すなら、そこで交渉の余地はある。
ビーンズの計算によると、今年と来年は、ワールドチャンピオンが狙っていける。
そのためにどういう選手をそろえていくかが、問題となるのだ。
日本の球団であれば、リーグ優勝したチームから、FAで選手が出て行くことは少ない。
それこそよほどの条件を出されない限りだ。
今年の戦力を計算するのと、来年の戦力の計算。
そして今後およそ五年も計算をしていくが、途中で自分が切られる可能性もあるというのがアメリカ社会。
だがここでしっかりと結果を残せば、すぐに次の職も探せるというものだ。
スタメンでこそなかったがベンチには入っていた、まだ若手の選手がもういない。
大介は話には聞いていたが、実際に目にすると驚く。
「育成中の若手だったんだろ? どうしてトレードになんか出したんだ?」
「ショートのバックアップだったからな」
「俺のせいかよ」
「まあショートをしっかり守れるなら、普通に他の球団で需要があるから」
杉村とは単に通訳をしてもらうだけではなく、MLBのシステムについても色々と聞くことが多い。
その中の一つが、このトレード・デッドラインというものだ。
地区優勝にあと一歩足りないか、地区優勝は間違いなくポストシーズンのプレイオフを勝ちあがり、ワールドチャンピオンになるには不安が残る。
そういったチームは七月末までに、トレードで補強を行うのだ。
戦力を出したチームは損ではないかと思われるかもしれないが、既に優勝の目が消えていたら、年俸の高い選手を抱えておく必要があまりない。
ましてや契約最終年であったりすると、どうせシーズンが終わればFAになるのだ。
若手の有望株をもらって数年後のチーム再建を考えたり、あるいは年俸のプールを空けたりして人件費を削減する。
ラッキーズやトローリーズは毎年、おおよそは地区優勝までは狙っていける戦力をそろえる。
資金が豊富であるからこそ出来ることだ。
メトロズも資金は豊富だが、毎年ワールドチャンピオンを狙うのは、さすがに難しい。
プロスペクトの成長や、トレードでの若手獲得をして、戦力が充実した年に優勝を狙う。
もっとも怪我人が続出して回らなくなることがあるのは、NPBと同じことだ。
ただMLBはその怪我人の続出で、一気にチーム解体に舵を切り、来年ではなく数年後の優勝を狙うことがある。
メトロズはおそらく、今年のレギュラーシーズンでナ・リーグの東地区を優勝するだろう。
そして対戦するのは、ナ・リーグの他の地区の優勝チームだ。
それも勝ち進めば、ア・リーグチャンピオンとの対戦となる。
このあたりの感覚はNPBに似ていると思う大介だが、NPBも昔はリーグ優勝したチーム同士が、いきなり日本シリーズを戦っていた。知らない者もひょっとしたら多いかもしれない。
クライマックスシリーズの創設は、間違いなく消化試合を少なくした。
「それで、その新しく入ってくるのってどんな人?」
「シュレンプは聞いたことないかな? ホームラン王にもなってるはずなんだけど。ランドルフはセットアッパーだな。去年も30ホールドぐらいしてたような」
ああ、なるほどと大介は思った。
メトロズの投手陣は、先発はかなり計算の出来るピッチャーが多い。
だがリリーフ陣は明らかに、枚数が足りていなかった。
MLBはNPBと比べても、先発の投げるイニングが少ない。
そのためリリーフ陣はさらに重要なものとなる。
メトロズのリリーフ陣は、負け星自体はそれほど多くはない。
だが勝ち星自体も少なく、それはつまり相手に負けている状態でリリーフすれば、そのまま点差は縮まらずに負けてしまうパターンが多いということだ。
リリーフでもセットアッパーがくると大介は聞いたが、実のところ今のクローザーのライトマンは、セーブ数こそそこそこ多いが勝ち星と負け星がそれなりについている。
クローザーはもちろん、同点の場面で投入されることを除けば、勝ちも負けもつかず、セーブだけが増えるのが理想的だ。
ここにセットアッパー一枚では足りないような気がする大介だが、そこはレギュラーシーズンとポストシーズンでは戦い方が変わる。
レギュラーシーズンでは100球で厳密に投球管理をしていた先発が、もう少し長く投げることが多い。
またセットアッパーやクローザーも、回またぎで投げてくるのだ。
ポストシーズンは短期決戦だが、それでも試合の展開や先発のローテ次第でで捨てる試合があったりする。
そのあたりの投手起用は、現場の首脳陣の仕事だ。
選手をそろえるのはGMの仕事と言っても、現場の声が全く反映されないというわけでもない。
メトロズのFMディバッツは、基本的にGMのビーンズには文句を言っていない。
レギュラーシーズンはこのままの戦力で、充分に戦えると思っているのだ。
戦線離脱していたウィッツも、もうすぐ戻ってくる。
先発がまた計算どおりに投げられれば、地区優勝は間違いない。
残り試合は60試合ほどだが、既にメトロズは70勝をしている。
二位ブレイバーズとの差を考えても、勝率五割でここから試合をこなしていっても、地区優勝は間違いないだろう。
新しく入ったシュレンプとランドルフは、七月末よりチームに合流する。
実際には八月の一日から試合には出る。
それまでに大介は、まだ残りの試合を消化する。
久しぶりの初対決となるチームは、ナ・リーグ中区のピッツバーグ・カリビアンズ。
場所的に見て東地区じゃないのかと大介は思ったし、事実現在の区分けになる前は、20世紀末まで東地区であった。
球界再編というのはアメリカの方が日本よりも多い。
チーム数にしても、ここからまだ増やしていこうという話はあるのだ。
ここのところあまり成績が振るっていないカリビアンズは、大介と積極的に勝負してきた。
なにしろラジオなどで、我々は逃げずに勝負する、とFMが断言していたぐらいなのだ。
実際に一試合目は、確かに勝負してきた。
もっとも正々堂々とやって、それで大介をあっさり抑えられるわけでもないのだが。
一つ出てしまったフォアボールは仕方がないだろう。
ただ大介は四打数二安打で、二本のホームランをスタンドに叩き込んだ。
なおカリビアンズのフランチャイズ球場は、大介のようなライナー性の打球でホームランを打つには不利な球場だ。
今回はホームでの対戦なので、あまり関係なかったが。
二試合目も一本打ったことで、さすがにカリビアンズも心が折れたらしい。
ただ明確なフォアボールや、申告敬遠は使わなかった。
おかげで大介はボール球でも振っていって、打点を稼ぐことは出来たが。
大介が打つたびに、満員の観客席から歓声が上がる。
これだけチケットの完売が続くのは、本当に去年までは考えられなかったことだ。
ビーンズからトレード交渉がまとまった報告も受けて、オーナーのコールはほくほくしている。
またも一日休みがあるように見える予定表だが、ここはまた移動に使われる。
今度の対戦相手は、ア・リーグ中区のシカゴ・ブラックソックスが相手の三連戦だ。
シカゴには球団は二つあるが、こちらは不人気な方のシカゴの球団。
長らくチーム再建に失敗し続け、もう10年以上もポストシーズンに進んでいない。
勝負してくれるのかな、と大介はベンチから相手を見る。
なおスタンドの客の入りは、ほぼ満席になっている。
ホームランを打ち続けて、そして敬遠されれば盗塁をしまくるというスタイルは、観客にとっては間違いなく刺激的だ。
相手チームの人気によってチケットが売れるところなど、かつての日本のタイタンズのようである。
そんな空気を読んだわけでもなかろうが、第一戦はなんと久しぶりに、具体的には21試合ぶりに、大介はフォアボールで塁に出ることがなかった。
もっともボール球を打って、アウトになったケースはあったのだが。
ホームランは一本を打って、これで合計58本。
なんとかこの月も二桁本塁打を達成した。
そしてそれ以上に、打点が増えていく。
ただシーズンが過ぎれば過ぎるほど、どんどんとヒットの数が減っていく。
そしてフォアボールの数が増えてくるのだが。
続く三連戦の二戦目で、七月は終了。
ここでもまた、大介は一本を打っていた。
大介の成績が、今まで以上におかしなことになっていた。
七月はオールスターやその前後の休みもあったため、打席数などが減るのは仕方がない。
だがここで月間打率は、0.424の出塁率は0.632となったのである。
打率はともかく、出塁率は四月を超えてしまった。
なおオーナー席でこれを見ていたコールは、喜びすぎて興奮し卒倒。
救急車で運ばれるという椿事も発生した。
もっともこの頃になると、アメリカ各所のテレビの前で、似たようなことが頻発するようになっていた。
これを後に、ダイスケ・ショックと呼ぶようになる。
「俺のせいじゃねーぞー」
本当に大介のせいではないのだが、どうしてもそう言いたくなる七月の大介であった。
そして追い込みをかける八月が始まる。
×××
※ オーナーと株
作品中では流していますが、MLBの球団はオーナーが一人だったりグループだったりします。またある球団のオーナーがその球団を売り払い、また違う球団を買うということもあります。アメリカではMLB球団でさえ投資の対象で、元ニューヨーク・ヤンキーズのスーパースター、デレク・ジーターは引退後にマイアミの共同オーナーになったりもしてますね。
作中ではメトロズもアナハイムも、一人オーナー描写になっています。
※ 本日群雄伝投下しています。アメリカ国内の話です。
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