第98話 嵐の日々
仕方のないことなのかもしれないが、敬遠はまだしも四球がとにかく増えてきた。
さすがに規定以外のドーピング検査はなくなっているが、アンチドーピングのMLBの人間が、周囲を嗅ぎ回っている気がする。
クリーンな選手にレコードをクリーンにしてほしいが、それが東洋人というのは腹が立つ。
そんなあたりからどうにか、ありもしない証拠を探しているようだ。
マイアミでの三試合は、14打席で六つのフォアボールが発生したが、敬遠は一回だけであった。
チームとして敬遠をしていると言うよりは、純粋にピッチャーが逃げている。
ただしそのおかげで、出塁率が爆発的に上がっている。
打率は無理に打つのをやめたため、これまた上がって四割を超えている。
そしてヒットを打つ以上に、多くホームを踏んでいるあたり、足があるということは大きな武器なのである。
フォアボールの数は100を超え、そのおよそ半分で盗塁をしている。
ランナーが二塁だけにいたら、ほぼ無条件で歩かされてしまう。
こちらはもう仕方がないかな、と思わないでもない。
そんな不完全燃焼の試合の後、今度はミネソタに移動する。
以前はホームで迎え撃ったダブルスとの試合は、今度はビジターとなる。
ただ敵地ではありながら、メトロズを迎える拍手は暖かい。
ほぼ全て大介のおかげである。
前の対戦では二試合ともに三打数の一安打。
ホームランを打っていないのだ。
ホームラン競争でチャンピオンになった映像は、多くの人間が見ていた。
そして人間離れした打球だと、解説が絶叫していたのだ。
二試合に一本ぐらいなら打ってもいいぞ。
そんな気分で観客はスタジアムに足を運ぶ。
メトロズはここしばらくなかったほどに、チケットでの収益性が良化している。
この調子なら次の契約では、放映権料も高く上がりそうだ。
もちろんそれまでに大介が故障したり、FAで出て行ったりすれば全部台無しなのだが。
オーナーのコールはGMのビーンズに話して、なんとしてでも大介をメトロズに残したい。
なんなら二年目の1800万ドルは破棄して、五年で一億5000万ドルぐらいの契約を結んでもいい。
もちろんそれですら、今の大介の価値を考えたら格安であるが。
五年で二億ドル、ぐらいが実力と成績に合った相場の最低限だろう。
もっとも大介は単年契約を好む人間だと、既に知ってはいるのだが。
フォアボールは増えているが、申告敬遠は減ってきている。
だがゾーンの中で勝負するピッチャーはほとんどいない。
おそらくもうホームゲームでも、申告敬遠などをしたら、ブーイングが飛ぶのだろう。
クリーン・レコード。
この言葉が色々なところで唱えられている。
ダーティ・レコードと汚れた記録に対比されるものだ。
90年代からのMLBにおいては、当初は明確に禁止されていなかったというのもあったが、ドーピングが横行していた。
後に禁止された薬物はあったが、新しい薬物はどんどんと出てきた。
ドーピングが全て駄目という指示はあったのだが、基本的にアメリカのスポーツも商業主義であり、バレなければやってもいいという風潮がある。
このあたりは日本は本当に、クリーンな意識が強い。
国民道徳の根底に、そういったものへの忌避感が強い文化があるからだろう。例外はいるが。
少なくともマスコミの識者などは、そういったものを許さない。
アメリカのマスコミは時々、どうしようもなく明後日にバカなこともしでかすが、そういったところの批判をしっかりするところは、日本よりも上だろう。
開放的であるがゆえに、ドラッグにも手を出してしまうことはある。
だが日本の村社会とは、やはり一線を画している。
ニューヨークにきてからこっち、大介は球場付近でファンに絡まれた以外、街を歩いていても声をかけられることがない。
球場の近辺の大介と、プライベートの大介は、明確に分けられているのだ。
王貞治の記録は祝福したハンク・アーロンが、何の価値もないといったMLBのシーズンと通算のホームラン記録。
誰かが抜いてくれるのを、ずっと待っていた。
まさかそれが、こんな小さなスラッガーだとは、誰も思わなかったろうが。
またアメリカにおいては選手の評価指標に、WARというものがある。
打撃、守備、走塁、投球の各種要素を、平均的な他の選手と比べて、どれだけ試合の勝利に貢献できたかを示す指標だ。
計算は複雑で評価方法も適切ではないという異論もあるが、おおよそ全ての選手をこれで評価するのが今の主流だ。
サイ・ヤング賞なども、この指標が大きく関係している。
ちなみに大谷選手がMVPを取った理由の一つに、打者としての貢献に投手としての貢献があったため、貢献度をプラスしまくったからというのがある。
大介はショートというポジションで、実はポジションの重要性から、キャッチャーやショートなどはこの評価に下駄を履かせる。
そして盗塁の多い走塁。単に盗塁の成功数だけではなく、成功率や状況も加味される。
出塁率と長打、そしてアベレージによって、大介はとんでもない数字を叩きだす。
最終的にシーズンが終わってからでないと分からないが、並の選手を使ったときより、大介を使ったほうが20勝ぐらいは上積みされるのではないか。
実際にそれを計算はしてみたところがあちこちにある。
メトロズ本体からしてが、大介の評価を計算したのだ。
それによるともしも大介がおらず、一般的な守備力のショートを使った場合。
そもそもショートは守備職なので、やや打撃は目を瞑られる傾向がある。
ところが大介は打てるショートなので、下手をすれば打てるキャッチャーよりも貴重だ。
大介を使っていなかったら、勝ち星は今よりも14は減っていただろう。
それがコンピューターで出した統計的な結果だ。
メトロズはミネソタから、またサンフランシスコへ。
このフランシスコでは、大介の扱いがまた違う。
なぜならば薬物によるものだとはいえ、バリー・ボンズが数多くの記録を残したのがこの土地だ。
薬物の利用と記録は、別にものとして考える。
日本人には理解しづらいかもしれないが、アメリカ人にはそういうところがある。
たとえばかつては100m走のタイムにおいて、世界記録を出した選手がドーピングをしていたというのが明らかになった。
その選手はもちろん名誉などは全て地に落ちたが、ギネスの記録にはしっかり残った。
ドーピングはしていたが、人間が残した記録としては、確かにそうだからだ、という理屈になるらしい。
ただこれを認めると、パラリンピックなどで足を切断した選手が、健常者よりも速いタイムを出してしまうのをどうするのか。
極端な話、サイボーグ戦士も一緒の扱いをしていいのかというものだ。
厳密にこういうことを決めてしまうと、大介も遺伝子レベルで動体視力や反射神経が優れていることになる。
ただ生まれつきの異能によるパフォーマンスまで、否定するのは無茶であろう。
ウサイン・ボルトも生まれつきの骨格からして違うため、持病にもなったがストライドが大きくなるという副次効果もあった。
サッカーにおいても足が曲がっているため、むしろそのドリブルを止められないという選手もいたりした。
それらのことも無視するならば、身長や体重で分けたリーグにするべきではないか。
ホームランを無理に狙うこともない、ヒットや犠打を積み重ねる、戦略に優れたスポーツに戻るだろう。
もっとも実際はMLBも、ポストシーズンになればその戦術は変わる。
極端に言えば、高校野球に近くなる。
サンフランシスコ・タイタンズとの試合においては、一戦目を二番で打っていた大介であるが、二戦目からは一番を打つことになった。
敬遠されまくることがとにかく多くなってきたため、せめてランナーがいなければ勝負してもらえるだろう、という考えだ。
この作戦は成功だった。
そもそも大介は選球眼も悪くないため、その気になればフォアボールも選べる。
出塁率は七割近くにもなり、それでいてしっかりと一本ホームランも打つ。
ただ四試合で一本というのは、明らかに大介にしては少なかったが。
ただしここでの敬遠攻勢により、大介の出塁率はとんでもないことになってきていた。
月間での出塁率は0.65を超えて、シーズン計でも0.57を超える。
そしてどんどんと盗塁の数が増えて、ついにシーズン50-60というのを達成してしまった。
なんじゃそりゃ。
大介もあまりに外れたボールであると、一番にいたら出塁を優先する。
そしてそこから走ってホームを目指すのだ。
打点よりもかなり得点の方が多くなってくる。
NPB時代は最後のシーズンを除いて、常に打点のほうが得点を上回っていたのだが。
ただ、大介が無理にボール球を打ちにいかないことによって、それよりもはるかに偉大というか、時代錯誤の記録が生まれる可能性が出てきた。
打率である。
過去にホームランが半分になれば、打率四割を打てると言ったのは誰であったろうか。
大介は現在、打率四割を維持しながら、ホームランでもトップを走っている。
最後の四割打者から、もう100年近い年月が流れた。
五月と六月は四割を切った打率が、七月はまた四割となっている。
打てそうなら打ってしまうというのを、一番なので出塁を意識してみた。
するとこういうえげつない打率と出塁率になってしまうのだ。
サンフランシスコで顕著になったが、それ以前からある程度はあからさまであった。
完全にまだ大介を舐めていた四月は、0.467を打っていたのだ。
それが実力が明らかになって、どんどんと勝負を避けられるようになってきた。
この勝負回避に関して、スポーツマスコミが一斉に報道する。
旧来の野球ファンのみならず、クリーンなスポーツを求める者にまで、この騒動は広がっていく。
そして野球の、強打者からは徹底して逃げるということが出来る、欠陥ルールが明らかになってくる。
素直に試合の勝利のためには、確かに大介との勝負は避けるしかないのだろう。
だが中にはちゃんと大介を打ち取ったりしているピッチャーもいる。
もっとも大介にはこれまでの日本人野手にあった、速球が苦手という弱点がない。
おおよそ上杉の、そして少し武史のおかげである。
七月も終盤に差し掛かってくる。
するとチームにおいて、日本では見られなかった動きが出てくる。
それはトレードだ。
日本の場合はシーズン中よりは、オフシーズンに行われることが多いトレード。
もちろんMLBでもオフシーズンのトレードは多いが、それ以上にこの時期のトレードは多くなる。
それは既に優勝を諦めつつあるチームが高額年俸の選手を放出し、それと引き換えに若手の年俸が安い選手をもらうという形が多い。
若手の年俸は基本的に、三年目まではひどく安い。
そしてFA権を取るまでは、それなりに安い。
大介の場合は国外のリーグで六年以上稼動しているため関係はないが、普通のルーキーはとにかくFA権を取るまでは大型契約がない。
それでも本気で強いチームを作るためには、大型契約をする金満球団はある。
メトロズは、とにかくピッチャーを補強する予定であった。
ただ大介のバッティングと出塁率を活かすために、ヒットも長打も打てるシュミットを獲得した。
今もまだ、ピッチャーが重要なことは間違いない。
メトロズは打線の爆発力はMLBで一番になっているが、ピッチャーの各種指標は平均的。
特にリリーフでしっかり投げられる選手が、確実に一人はほしい。
だがここまで大介が敬遠されると、その大介を帰すためのバッターも、ちょっとほしくなってきてしまうのだ。
選手の獲得にまで口を出すオーナーもいるが、メトロズのコールはそこまではしない。
だがこういったチームを目指してほしいとはGMに伝えるし、それが果たせないならカットするだけだ。
そしてビーンズはここまで、コールの意思には従っている。
金銭トレードならば、まだ分かりやすいのだ。
だが多くのチームは、既に実績のある選手をトレードするなら、プロスペクトとの交換を要求する。
あとはドラフトの指名権なども、最近では対象となっている。
メトロズが差し出せるものは、金銭面ではもうあまり余地がない。
トレードでプロスペクトを差し出すにしても、当初の予定通りリリーフを強化するか、それとも打線を強化するか。
メトロズは、ワールドチャンピオンを目指している。
ポストシーズン出場は、もうほぼ間違いがない。
そしてポストシーズンとレギュラーシーズンでは、戦い方が全く違う。
そのために必要な戦力も変わってくるのだ。
レギュラーシーズンでは派手な打ち合いになっても、ポストシーズンで重要になるのは投手力だ。
よってビーンズの補強ポイントは、あくまでもリリーフ。
そのために出す選手も、おおよそリスト化してある。
なおこの獲得するリリーフ選手は、契約が今年や来年で切れるというパターンが多い。
特に今年で切れる場合は、八月からの残り三ヶ月と、ポストシーズンのためだけに獲得するわけだ。
そういった戦い方が、MLBのGMの役割なのだ。
そんなビーンズに対して、資金を増加しようか、とコールは言ってきた。
今年のメトロズの破壊力は、大介のおかげですごい。
ワールドチャンピオンを目指すのは、メトロズほどの資金力があっても、戦力均衡のためにそれほど多く機会があるわけではないのだ。
これだけ金をかけたのに、と思っても故障などで瓦解することもある。
それだけにチャンスと見れば、金はかけてくる。
幸いにもメトロズの年俸はぜいたく税の金額には達していない。
オーナーのコールさえ許すなら、ビーンズもさらなる補強はしたいに決まっている。
そしてコールは、一つの狙いを持っていた。
大介に打たせるために、大介の後ろにも危険なバッターを置きたいと。
現在のメトロズの打線では、大介は二番に置くのが一番期待値が高い。
ただし大介の個人の成績を考えれば、自由に打っていく機会の多い一番でもいい。
しかし大介は日本人らしくと言うか、しっかりとボール球を選ぶことも出来る。
大介を歩かせた時には、シュミットのような万能型や、ペレスのような長距離砲の他に、あと一人ぐらいはいてもいい。
コールとそうやって話していると、ビーンズにも誰を取りたいのか分かってきた。
高額契約で今年で契約が切れて、長打とアベレージが残せて、あとは出来ればチャンピオンリングをまだ持っていない選手。
「テッド・シュレンプですか?」
「うむ、どうだね?」
コールの言いたいことは分かる。
ただしそこまでの資金を出してくることは、ビーンズにとって予想外だった。
シュレンプはア・リーグ西地区、オークランド・サバイバーズの目玉選手だ。
今年は五年契約の最終年で、現在36歳。
若い頃にはホームラン王にもなっているし、やや衰えた現在でもまだ、各種打撃の成績も素晴らしい。
ただ問題となるのは、その契約が高額であることだ。
オークランドは貧乏球団で、それなのにシュレンプを取ったことが、その後の球団経営を苦しめてきたと言っていい。
ただここからシーズン半分の年俸負担なら、充分だとコールは考えているのだ。
「あとはパーソナリティですね」
チームに合うかどうか、という問題がある。
MLBは実力主義ではあるが、チームの和を乱すようなプレイヤーは、排除される傾向にある。
使われるとしても、このようにシーズン終盤に助っ人的に使われることもある。
シュレンプについては、実は以前にも獲得を考えたことがあるのだ。
ただその時はメトロズが、エースに高額年俸選手を抱えていたのと、チームの若返りのため、対象外としたのだが。
「少し調べて、基本的にはシュレンプを獲得する方針で行きます」
「うむ、やはりワールドチャンピオンのチームのオーナーにはなりたいしな」
そう言ったコールの顔がひどく無邪気で、ビーンズも普段の難しい顔に、自然と笑みを浮かべていたのであった。
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