第97話 ホームラン・アーチスト
ホームランの軌道というのは、美しい円弧を描く。
空気抵抗によって失速し、重力に引かれてスタンドにぽとんと落ちる。
大介のような、バックスクリーンを高確率で破壊するようなライナー性のホームランは、やはり邪道なのである。
言い方が悪ければ、普通はホームランになる距離まで飛ばないのだ。。
初速がとんでもなく速い。
そして大介は、インパクトの瞬間にバックスピンをかける。
パワーがその腕の太さから、他のスラッガーに劣るのであれば、重いバットを足腰の回転で、速く振るしかないのだ。
当たり前のことだが、小さな体でスイングする場合、本来ならば肉体への負荷はより大きい。
大介は動体視力でミートポイントを見抜き、肉体のバネを使ってバットコントロールを行う。
よくこのバットの重さで打てるなと言われるが、逆である。
重いバットでないと打てないのだ。その重いバットをコントロールするのが、大介以外では無理なのだが。
そんな大介は、MLBのオールスター前日に行われる、ホームラン競争にエントリーしていた。
選出されるのは八人で、これはオールスターメンバーの中から、さらに長打力に優れた者が選ばれる。
なお選ばれるのは若手選手の方が多い。
なぜならフルスイングというのは、基本的にそれだけでけっこう疲れるものなのだ。
またベテランになると高給取りが多く、100万ドルの優勝賞金でも、それほどたいしたものではないと思ってしまう。
それよりはわずかでも怪我のリスクを避けたい、というのが正直なところなのだ。
八人のバッターが、対戦式のトーナメントで勝ちあがっていく。
合計3ラウンドで、優勝者を決めるというわけだ。
時間は四分間で、それに加えて途中に一分の休憩が入れられる。
そして特定の飛距離以上を出したらその最大で二本分、30秒ずつの時間が加えられる。
投げてもらう間隔は、打ったボールがどこであれ着地するまでは、次のボールは投げてもらえない。
ライナー性の打球でホームランを打つ大介は、それだけで有利である。
しかし他の選手がどいつもこいつも190cm前後はあるのに、大介だけは170cm未満。
オールスターまでやってくると、本当にでかくて動ける選手が多くなる。
動けなくても飛ばせる選手も、それなりにはいるが。
ただしマイナーの段階で、ひどいレベルの守備ははねられる。はずなのだが、時々ひどい守備の選手はいる。
フィラデルフィアとの三連戦で、さらに一本のホームランを打っている大介。
その注目度は当然ながら高い。
ホームラン競争に日本人が出るのは久しぶりか、
なお他の日本人選手としては、本多がピッチャーで選ばれている。
ここまでWHIPが日本時代より改善しているのが、微妙にすごい。
そして日本人選手ではないが、懐かしい人間も選ばれている。
「おひさでござる~」
「お前、そんなキャラだったっけ?」
現在ア・リーグ西地区のテキサス・レイダースに所属している、中村アレックスであった。
アレクはホームラン競争に参加するわけではないが、オールスターには選ばれているので、普通に見物には来ている。
「相変わらず頭おかしいですね」
「うるさいよ。それだと俺の頭がおかしいみたいじゃねえか」
そうは言うが、久しぶりの日本語での会話である。
もちろんアレクが言いたかったのは、頭がおかしくなりそうな成績、という意味だろう。
なお勘違いされるがアレクはブラジル系ポルトガル語の他に、英語と日本語を話せるトライリンガル。
語学というか通訳としては、ちょうどいいチートなのである。
とりあえず一日目が終われば街を歩こう、という話になったわけであるが、まず大介はホームラン競争だ。
一回戦の相手は、アナハイム・ガーディアンズのパワーヒッター、マルチネス。
去年の成績は打率0.301のホームランは46本と、かなりのスラッガーではある。
足がそれほどではないので、四番に入っている。
先攻は大介であり、この球場の特徴としては、温暖な季節になるとライト方向へ風が吹き、左打者が引っ張るのが有利になってくる。
それが分かっている大介は、とりあえず初球からスタンドに運んでいった。
普段よりはやや、放物線に近いホームラン。
これはちゃんと理由がある。
ホームラン競争は走らなくてもいい分、楽そうに見えるかもしれない。
だが体のパワーを全部使って、ボールをスタンドに運ぶのだ。
陸上競技の円盤投げあたりを、何度も繰り返すことを考えればいいだろうか。
やれば分かるのだが、ものすごく疲れる。
なのでボールを打つタイミングは、ある程度の間隔をつける必要がある。
だが大介の場合は、普段の通りならば間隔の短いライナー性の打球。
有利なように思えるが、実はそうでもないのだ。
大介が打ったホームランは、35本。
飛距離が出てプラス60秒があったとはいえ、300秒で35本を打ったことになる。
12秒につき一本というペースは、もちろん普通はありえない。
だが大介は簡単そうに打っていった。
そして先にこんなに打たれては、対戦相手も戦意喪失、あるいは焦りが出てくる。
結局は15本しか打てず、ダブルスコアで大介が勝利した。
続いて二回戦というか、ベスト4に残った同士での対戦。
今度の大介は少しタイミングを抑えて、32本を打っていった。
やはりあちらは戦意喪失で、18本しか打てていない。
大介の打っているホームランは、違う。
誰もが認識しはじめたのは、このホームラン競争からであったかもしれない。
現在の主流はなんだかんだ言ってアッパースイング。
それで三振も多くなるが、その分長打を打てばいい。
もちろん選手によって、合ったプレイスタイルは違う。
即ち選ぶスイングも違うのだ。
一番いいのは、本当はダウンスイングで入り、そこからアッパースイングに抜けていくというものだ。
たとえば王貞治のバッティングは、こういうものである。
だがダウンスイングばかりが浸透してしまって、しかも高校野球レベルならそれもそこそこ通用して、日本の野球のバッティング技術は、かなり遅れるものになってしまった。
はっきり言うとアベレージだけを狙うなら、バットは出来るだけ寝かせた方がいいのだ。
その方が投げられたボールに対しては、当てやすくなる。
自分の骨格や筋肉の付き方などを見て、それで一人一人判断する方が正しい。
しかし指導者がバカであると、また今度はフルスイング絶対主義になってしまう。
大介は常にレベルスイングだ。
マウンドは高いところにある以上、全てのボールは落ちてくる。
もちろん空気抵抗と重力で、全てのボールは落ちてくるものだが。
大介はボールをミートする瞬間まで、正面からそれを打とうとする。
すると自然とボールにも、バレルの角度がついて遠くへ飛んでいく。
スイングスピードがないと、ただの外野前のヒットになる。
しかしほんの少ししかない正しいインパクトのゾーンを叩けば、ボールはスタンドまで飛んでいくのだ。
小さな体のバッターが、長くて重いバットを使い、ボールを大砲のようにスタンドに叩き込む。
この光景はあまりにも非現実的なものであったろう。
決勝戦も大介は30本を打って、結局何もイベントは起こらずに終了した。
優勝賞金100万ドル。
オールドルーキーがこの年のホームラン競争チャンピオンに輝いたのであった。
オールスターとなると、MLBの中でも特にトップクラスの選手ばかりとなる。
むしろオールスター級となって、ようやく本当のMLBと言えるだろうか。
大介は当然ながらスタメンのショートだが、ピッチャーもバッターもフィールダーも、やたらと上手いやつが多い。
特にセカンドとサードは、大介並の身体能力を持っているのか。
ただそのバネを、バッティングの飛距離にまでは持っていけないようであるが。
オールスターはあくまでお祭り騒ぎで、怪我をするようなプレイをしてはいけない。
そう思いつつも軽々と、打球を処理する大介である。
あの体のサイズで、どうしてあれに追いつくのか。
逆である。体が小さいからこそ、クイックネスに優れているのだ。
そしてバッティングにおいても、完全にパワーで勝負してきてくれたため、遠慮なく飛ばすことが出来た。
ボールはバックスクリーンのビジョンを、またも破壊した。
破壊王と呼ばれることになる大介。
ダイ・ザクラッシャー。
あるいは単にクラッシャーとも、呼ばれるようになる大介である。
「MLBって言ってもそんなに変わらないと思ったけど、やっぱりオールスタークラスになると違うんだな」
日本人選手に付いてくれる通訳は、今日はいつもの杉村ではない。
「シーズンは長いですから、力を入れるところは絞ってますね」
そしてシーズンでも、レギュラーシーズンとポストシーズンでは全く違う。
レギュラーシーズンはあくまで仕事であり、自分の成績にこだわればいい。
もちろん首脳陣の作戦があってこそのものだが。
野球は団体競技だが、一つ一つのプレイには個人の能力が濃厚に発揮される。
投手と内野の守備連携などはともかく、一つ一つのプレイには、個人技が見えるものなのだ。
そんな個人の力が、一番突出するのがピッチャーだろう。
もっとも一人のピッチャーが、毎試合投げていたのは19世紀から20世紀前半。
今では一試合を投げきることさえ、難しくなっている。
ピッチャーだけではなく、バッターもまた四割など、打てないようになっているが。
このオールスターの前の時点で、大介の打率は0.416と当然ながらトップを走っている。
ただ四月が突出していただけで、五月と六月は四割を割っているのだ。
もっともこのホームラン競争で優勝したことで、さらに勝負されることは減っていくだろう。
ピッチャーの年俸は打たれたホームラン数が、如実に反映されるのだから。
なおオールスターMVPには二安打二打点の大介が選ばれた。
ルーキーによるMVPだが、もはや誰も疑わなかった。
ちなみにオールスターMVPについても、実はインセンティブがついている。
50万ドルの金を、メトロズはまた大介に払わなくてはいけなくなるのであった。
オールスターが終わって二日、ホームラン競争にまで出た大介は、休みをもらった。
別に大介だけではなく、一線級のメジャーリーガーでも、年に数日は休むことがある。
純粋に体力の問題ではなく、精神的にリフレッシュすることも重要なのだ。
その休みの間、ようやく大介はニューヨーク観光などをした。
ブロードウェイのチケットを、イリヤに手配してもらって見にいったりもしたものだ。
桜のお腹は、まだ目立って大きくはなっていない。
だがシーズン終盤か、ポストシーズンには産まれるぐらいの計算だ。
イリヤの方も同じで、すると仕込んだのはいつぐらいか、という計算も出来たりする。
同じ学年で暮らすのか、と大介は複雑な気持ちになるが。
なおどちらも女の子であるということは、既に分かっている。
娘はアメリカで生まれるので、自動的にアメリカ国籍が取れる。
これをすぐに日本に連れて行くのは、かなり大変かな、と大介は思ったりした。
あるいは金に物を言わせて、プライベートジェットでもレンタルしようか。
さすがに購入するのは維持費を考えても現実的ではないが、それぐらいならどうにかなる。
もっともそこまでではなくても、完全なVIPルームを使えば、それはどうにかなることだ。
そのあたりのコネや伝手には、いくらでも心当たりがある。
オールスターで前半と後半に分けているが、実際のところは前半の方が消化する試合は多い。
91試合が終わったところで、今年のオールスターはあったのだ。
残りの試合は71試合。
現在の大介のホームランは51本、盗塁は54、打点は134点。
かなり厳しく敬遠されてくるとして、盗塁はかなり稼げるだろう。
だがMLBでのシーズン盗塁記録は、100を軽く超えているので、このペースでも追い抜けそうにない。
もっとも盗塁王でも、トップを走ってはいるのだが。
あまり注目されない盗塁よりも、やはりホームランを期待されている。
クリーンレコードという言葉が、大介の周囲ではよく口にされる。
ステロイドなどのドーピングなしでの、正常な記録を達成してくれという、ファンからの願いである。
それはどうやら東洋系への人種差別などより、よほど切実なものらしい。
ゾーサとマグワイアのホームラン競争は、当時は低迷していたMLB人気をまた救ったと言われていたらしいが、今ではその後の選手たちの成績も含めて、MLBの歴史の汚点となっている。
実際、素晴らしい成績を残してはいても、それらの選手は野球殿堂入りしていない。
当時のMLBは、それらを禁止していなかったのだからいいのでは、などと大介は思ったりもしたが、それは大介がドーピングなしで、そういった記録を抜けそうだから言えることだ。
同時代にプレイして、クリーンだった選手にしてみれば、馬鹿馬鹿しくもなるのだろう。
そういった気持ちも含めれば、記録を剥奪することはなく、殿堂入りを拒否するだけというのは、むしろマシな待遇であるのかもしれない。
大介としては、試合数が多いために記録しやすい、一つの数字を狙っている。
MLBではタイトルにはなっていないが、年間安打記録である。
大介は実は、シーズンを通して200本安打を達成したことがない。
最高だったのがルーキーの時代の185安打。
それ以降は勝負されないことが多かったため、200本は一度も達成していないのだ。
MLB一年目の今年、現時点での安打は129本。
一試合に一本打っていけばいいのだから、大介の打率ならば普通に届きそうなものだ。
だがその長打率を考えれば、勝負してもらえる展開はますます減る。
満塁の場面で敬遠というのも、そのうち行われることだろう。
別に大介は名球会入りしたいわけではない。
それに安打数に対して本塁打数は多く、日米通算でもう、NPB記録では第三位にまで上がっている。600本を超えたのだ。
ただ逃げられて200本の安打を打てなかったのは、打者六冠制覇を出来なかった大介としては、微妙に残念には思っている。
NPBの最終年は、打ったヒットが166本だったのに対し、敬遠を含めたフォアボールが179回。
自身の持っていた記録を、またも更新するものであった。
シーズン後半、初戦はまだも敵地においてシャークスが相手。
大介としては優勝争いに絡んでいない分、そこそこ勝負してくれる、ありがたい相手だ。
オールスター中は休めた他の選手は、かなりリフレッシュしているだろう。
そのリフレッシュした状態で、大介と当たるならありがたいのだが。
またも飛行機でマイアミへ。
三試合で五回もフォアボールで歩かされる、いらだたしい後半戦の開幕であった。
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